手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ナチズム 3

ナチズム 3

 

 ドイツ軍の一兵卒として、第一次大戦を戦ったヒトラーにすれば、どうしてドイツが負けたのか、見当が付きませんでした。それは大多数のドイツ人も同じでした。確かに戦争末期、ドイツは物資が欠乏し、食料もままならないほど疲弊してはいましたが、それはフランスも、イギリスも同じはずだったのです。

 第一次世界大戦は新型兵器が次々に登場して、消耗戦の様相を呈していました。だからと言って、ドイツが一方的に不利だったかというと、そうではなく、むしろドイツの兵器はかなり強力に連合国を苦しめたのです。敗戦を迎えた時ですら、ドイツは、フランス軍にも、ロシア軍にも、ドイツの土地に一歩も踏み込まれることはなかったのです。ドイツ人にすれば、この戦いは、ドイツ有利、悪く見ても互角の戦いだと考えられていたのです。

 ところが、戦争末期にドイツ国内で革命が起きます。労働者による社会主義革命です。それによって、皇帝は追われ、退位をしました。その上で革命勢力は敗北宣言をしたのです。本来ドイツは戦いを継続できる状況にはなかったのですが、国民は知りません。

 第一次世界大戦は、敗戦国にも戦勝国にも一大変革をもたらしました。本来戦勝国であるはずのロシアのニコライ皇帝は、労働者の革命により、家族全て銃殺され、社会主義国家になりました。当時のロシア人の中に一体何人社会主義共産主義を理解している人がいたのかは謎です。

 恐らく多くの人々は、ソシアリズム(社会主義)という言葉の響きの中に、平等、民主主義、圧政からの解放といった、漠然とした希望を感じていたのでしょう。単なる希望によって一国が大きく動いて行くのですから、政治は危険です。

 ドイツはロシア人ほどには手放しで社会主義に賛同しなかったようです。しかし政治は紙一重です。もし、ドイツの社会主義革命がうまく行っていたなら、ドイツが世界初の社会主義国になっていたでしょう。

 とにかく第一次世界大戦は、枢軸国にも、連合国にも革命が起こったのです。オーストリアも同様に皇帝が追われました。

 こうした中、ドイツ国民に、連合国の要求により信じがたい賠償金が課されたのです。敗戦による疲弊の上、賠償金でドイツは絶望の淵に立たされます。国内ではハイパーインフレが起き、肉や野菜を買うために、古新聞のように札を山積みにしなければ、ソーセージ一本が買えない状況になります。

 話は戻って、なぜドイツが負けたのかという答えに対して、多くのドイツ国民は、社会主義者が革命を起こして、一方的に敗北宣言をしたからだ。という考え方が浸透して行きます。「社会主義者が余計なことをするから負けたんだ」。という考え方に至ったのです。

 その当時は社会主義は世界の大きな潮流でした。ヒトラーも、自身の政党に社会主義を盛り込んでいます。社会主義を名乗ると世間が注目すると思ったのでしょう。当時のドイツは、民主主義国家を作り、ワイーマール共和国と称していましたが、ヒトラーからすれば、当時の政府は連合国に対して弱腰で、ドイツ人の貧困な生活は、政府が弱いから、フランスに屈しなければならず、弱腰外交が国民を苦しめている。と街頭演説を繰り返していました。

 そうした中で1923年。ナチスによるミュンヘン一揆が起こります。これをなぜ革命と言わずに一揆と言うのか不思議ですが、歴史の教科書では一揆となっています。ミュンヘン一揆は、ムッソリーニに憧れたヒトラーが、ムッソリーニがローマ進軍を果たして、イタリア国民から絶大な支持を受けた姿を見て、自分もそうなりたいと夢を描いて真似をしたのです。

 ところが一揆は半日で鎮圧され、あっさり警察に逮捕され、牢獄につながれます。この頃のナチスは、食い詰め者を集めて、親衛隊と言う私設軍隊を組織し、機を見て暴力で政治に参画しようと考えているようなごろつき集団で、いわば世間の鼻つまみ者だったのです。ろくな支持者もなく、危険な連中でした、逮捕は当然です。

 

 獄中ででヒトラーは初めて自分の行いを客観視するようになります。毎日不満ばかりを言い、暴力によって政府を転覆しようとしても、人は同調しない。先ず社会に溶け込んで、合法的に政治を行わなければ、誰も支持者が現れないと知るのです。

 獄中ヒトラーは、自分の考えをまとめた著書「マインカンプ(我が闘争)」を書き上げます。

 ヒトラーは、第一次世界大戦の敗北は、社会主義者による勝手な敗北宣言にあると考えていました。その社会主義者と言うのは、多くは、陰でユダヤ人が操(あやつ)っていて(マルクスユダヤ人であるために、当時は、共産主義社会主義ユダヤ人の思想と考えている人が多かったのです)、ユダヤ人、社会主義者がドイツを敗北に導いたのだと曲解しました。この辺りから、ヒトラーの偏執的な考え方が定着して行きます。ヒトラーにすれば、社会主義者も、ユダヤ人も、ドイツの敵だったのです。

 そうなら、ヒトラーはどこに拠り所を求めていたのかというなら、それはアーリア人(ドイツ人)の優秀性です。アーリア人こそ、世界中に何百といる人種の中で最も優秀で、知能が高く、人格が優れ、バランスの取れた人種であると語るのです。この後、ナチスによって、アーリア人の優秀性は微細にわたり裏付けされ、頭蓋骨の横幅と奥行き幅までもが規定され(ドイツ人は、顔の横幅が狭く、頭蓋骨が前後に長いのが特徴です。日本では昔からこうした頭蓋骨を持った人を「才槌頭(さいづちあたま=金づち型頭蓋骨)」と言います。私のように顔の横幅が広く、頭蓋骨の奥行きの浅い人間はアーリア人ではありません。当然ですが)、その部分部分の寸法までもが表記され、優れたアーリア人がどういった人なのかを数値で示されます。

 どうもドイツ人と言うのは、極めて厳格に物事を規定して行くことを好みます。そして、基準に到達しなかった人を冷酷に切り落として行きます。仮に、その基準が根本的な部分で曖昧であっても、一度基準が決まってしまうと、基準のみが独り歩きをして、人々の生活を縛り付けて行きます。

 頭蓋骨のサイズも、顔つきも、規制する理由ありません。知的な顔をしていようと、面白い顔をしていようと、大きなお世話のはずです。しかしドイツ人はこだわります。ヒトラーの偏執的な性格は、そのままドイツ人の偏執さにつながります。

続く

 

 アゴラカフェでマジックショウ

 毎週日曜日の12時から、日本橋マンダリンホテルの二階、アゴラカフェでマジックショウが催されます。5日はその第一回です。藤山新太郎、前田将太、穂積みゆき、小林拓馬が出演、食事付き、お一人り5000円。詳細は東京イリュージョンまで。

 日曜日の日中、美しいホテルの中で、おいしい食事をしつつ、ゆっくりと手妻の公演をご覧になりませんか。至福のひと時をお楽しみください。