手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

和文化の衰退

和文化の衰退

 

 和文化の衰退は今に始まったことではなく、昭和20年代以降ずっと危惧されて来ました。私の子供のころは、女性で着物を着ている人は多く、主婦の多くは普段でも着物で生活をしていました。男性の着物は、さすがにそう多くはなかったのですが、それでも、お爺さんなどは着物姿で盆栽をいじっている人がたくさんいました。お父さんも、仕事から家に帰ると、丹前に着かえ、くつろいでいた人がたくさんいました。

 藤子不二雄さんの漫画や、長谷川町子さんの漫画には、日常、丹前を着てくつろいでいるお父さんの姿が良く描かれています。あれは昭和30年代40年代の日本の普通の姿です。

 町の日本舞踊の稽古場には、子供の生徒がごった返していて、子供たちは、学校から戻ると、浴衣に着かえて、踊りのお師匠さんの家に行きました。そこには同じような年齢の子供たちがたくさんいて、お師匠さんからもらうお菓子を楽しそうに食べて稽古待ちをしていたのです。

 女性は社会人として勤めをするようになると、会社の合間に、お茶やお花の稽古事をしていました。そいわゆる花嫁修業です。そうしたお稽古を1,2年してから結婚すると言うことが普通に行われていたのです。

 結婚をする段になると、新居に、新婚五点セット、七点セットなどと言う家具を両親から送られました。但しそれはかなり裕福な家です。和箪笥、洋箪笥、整理箪笥、三面鏡、などと言う高価な家具を、町の家具屋さんから買って、新居に送りました。ごく普通の町にある商店ですら、そうした大きな買い物がされていて、家具屋さんと取引のある指物師は、セットで50万円、百万円と言う婚礼箪笥の仕事を引き受け、何不自由なく暮らしていたのです。それと一緒に、呉服屋さんでは夏冬の着物を作り、祝儀、不祝儀に着る和服を作りました。そのほか、布団屋さんから寝具や座布団を買い、大きな風呂敷に紋を書き入れたものを何枚も注文したり、婚礼一つに、今では全く考えられないような商売が成り立っていました。

 日常になんでもなく和文化が浸透していて、多くの人が普通に和文化を受け入れていました。それが大きく変わって行ったのは昭和40年代中ごろからです。婚礼家具よりテレビや、冷蔵庫、洗濯機に変わり、婚礼家具は売れなくなります。お稽古事も、徐々に塾や、英語教室に変わって行き、踊り、お茶、お花は限られた趣味の愛好家によってのみ守られて行くようになりました。

 

 それまで何でもなく日常に生きていた和文化がどんどん衰退を始めます。今では男性の着物姿を見ることは稀です。それでも最近、浴衣や、古着を着ている若い人を見かけますが、和文化と言うには遠いものに感じます。アニメーションの世界から影響を受けて和服を着ているのかも知れません。それでも、着物を着て見ようと思うことは大切です。

 まず着物を着てみると、今まで見ていた世界と違った世界が見えて来ます。着物は案外階段の上がり降りが難しいことに気付きます。また人込みを歩くことの困難にも気付きます。混雑した電車などに乗ると、足を踏まれます。靴なら少し踏まれたぐらい何ともないのですが、足袋に草履ですと、チャット靴に触れただけでもすぐに汚れてしまいます。大切な人の家に挨拶に行くときなど、行く前に足袋を汚されてしまうと困ります。そのために替え足袋を用意しなければなりません。

 着物は、袖や懐が空いています。これがいろいろトラブルを起こします。袖先は、ドアノブにひっかけやすく、ちょっとした動作で着物を破ります。また、袖があることに気付かずに、グラスを取るときなど、近くにある醤油皿に袖を漬けたりします。着物を着て帰って来ると、袖先や、着物の裾が汚れていることはしょっちゅうです。

 そうした問題を経験すると、「あぁ、和服は不便なものなのだ」。と気付きます。然し、それでも和服の良さに気付き、あらゆる不便に気を使いつつ、着物を着る楽しみを覚えると、今度は小物が欲しくなります。着物は袖や懐があいていますので、簡単なものならそこに挟んでおけばいいのですが、余りに品物が多いと袖がふくらみ過ぎてしまいます。

 そこで、小物を入れるバッグが必要です。私は日常、信玄袋のようなバッグを持ち歩いていますが、これはとても便利です。眼鏡、薬、筆記具、メモ帳、単行本、何でも入れておけます。

 これも印伝(印伝=皮の素材に、漆で小紋をプリントしたもの)の革製のバッグとかとなると相当高価です。バッグの口に紐が回してあって、その紐が、鹿の角で作った紐通しなどできていると、価格は10万くらいになります。それでもいい物なら手に入れたいと思います。未だに果たせず、プラスチック製の鹿の角で我慢しています。この、印伝の細工師も、鹿の角の職人もだんだんいなくなっています。早いところいいものを買っておかないといけません。

 

 今日は着物を着て出かけよう、と思い立ったら、どこをどう歩いたら楽に街歩きが出来るかコースを考えます。あまり遠いコースは不向きですし、途中雨でも降られたらたまりません。雨も小雨なら、蛇の目傘でも持って行けば洒落ていますが、一日中降られてはたまりません。

 例えば、国立劇場に踊りの発表会に出かけるとか、知人の琴の演奏会に出かける。あるいは歌舞伎を見に行く。その後は、銀座の鳩居堂に寄って、祝儀袋を見繕って買う。伊東屋に行って、和紙のレターペーパーを買う。そして夜は野田岩に行って鰻を食べる。あるいは両国に行ってちゃんこ鍋を食べる。もっとお手軽に、森下町の美濃屋で桜鍋を食べる、そんなスケジュールを立てて、仲間と着物で出かけるコースを考えるのは楽しいものです。車を出して、仲間数人とぐるりと東京回る。なかなか楽しい一日になります。せっかく手妻が和文化の一翼を担っているなら、もっともっと和服や、和文化のために行動したいと思います。文化が衰退する中、理解者がどんどん減って、かつてなら何でもない生活が、今は出来なくなって行きます。どうしたら日本文化の良さを伝えられるのか、遊びを巡らしつつ思案しています。

続く

 

 明日はブログを休みます。