手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

島田師のマジック 1

島田師のマジック 1

 

 昨晩(5月2日)、NHKのアナウンサー、古谷敏郎さんが私と二人で島田師の追悼会をしようと言うことになり、高円寺まで来ていただき、イタリアンレストランでワインを飲みながら思い出話を語りました。いずれにしても、私は島田師の事をまとめてブログにしようと考えていた時でしたので、文章をまとめるためにも、古谷さんとの話は有効でした。以下、昨晩の話のまとめとして、師のマジックがなぜ世界で評価されたのか。また晩年アジアで、なぜレジェンドとして別格の扱いを受けたのか。その二点をお話ししましょう。

 

 強烈なインパク

ポロックが鳩出しを始めたのは1950年代半ば頃。その後1965年に、映画のヨーロッパの夜に出演するに及んで、ポロックの名声は一気に上がり、鳩出しが一躍脚光を浴びたのですが、模倣者が世界中に現れ、鳩の数を競ったりするような粗悪なマジシャンがたくさん出て来て、鳩出しは徐々に飽きられ、やがてポロックは徐々に仕事場を失い、1970年に44歳で引退します。

 この時、鳩出しは欧米ではもう模倣されつくした状況になっていたのです。島田師が仕事を求めてヨーロッパの芸能事務所を訪ねまわっていた1968年頃がちょうどこの時期で、どこの国でも鳩出しマジシャンが山のようにいる中で、東洋の見知らぬマジシャンが鳩出しを売り込みに来ても、欧州では出演の場はなかったのです。

 師が初めてアメリカに入国し、イッツマジックに出演するのは、1971年。その時は傘出しの手順でした。イッツマジックで成功を収めた島田師はラーセン一家の支援によってアメリカに移住することが出来ました。

 この頃のマジックキャッスルには、大きな舞台がなく、毎晩のショウはほとんどがクロースアップでした。当然傘出しを披露することは不可能でした。師はビルラーセンに、「実は鳩出しの手順がある」。と言い、キャッスルの狭い舞台で演じると、またまたロサンゼルスで話題になります。ここからアメリカでは、一度消えかかっていた鳩出しが再び人気を吹き返し、鳩出しマジシャンが増えて行きます。

 鳩出しと言う芸はこうして、10年15年に一度優れたマジシャンが出現するたびに復活し、その都度話題を提供して行くことになります。

 さて師の演技は、芸能界を引退したポロックが見に来て、驚嘆し、その後師を支援するようになります。結果として考えたなら、ポロックの引退後に師はポロックと知り合ったのです。もしポロックが現役のマジシャンだったら師の演技を見て、師の支援を申し出たかどうか疑問です。この数年前、仕事を求めて世界をさまよっていた時間は無駄ではなかったことになります。ではポロックは、師の何を評価したのか。

 実はこの点を私は1980年にビルラーセンさんのお宅でポロックさんに会った際に、話を聞いています。私の質問に対して、ポロックさんは私が日本人であることを考慮して、丁寧で、優しい英語を選びながら、ゆっくり話をしてくれました。

 要約すると、1,技法が個性的で、オリジナリティにあふれている点。2、基本的なテクニックが完成している点。3、表情、スタイルが芸能人として優れている点。の三つを上げました。

 特に1、のオリジナリティに関して言うなら、師の鳩出しは、ポロックさんとはかなり違った技法が使われています。しかも一つ一つのマジックのインパクトが強く、師を見たあとで、ポロックさんの演技を見ると、ポロックさんの演技が随分とスタンダードで古風な演技に見えてしまいます。それだけ師の鳩出しは革新的だったのです。出だしのトーチケーンがステッキに変わり、鳩がいきなりステッキに停まる所。手袋を取って放り投げると鳩に変わり、鳩が空中で逆戻りして来るなど、どれもかなりインパクトが強く、今までにない技法が続きます。

 その後のファンしたカードの後ろから鳩が現れるところなど、次々にオリジナルが続きます。ミリオンカードも両手から出て来ます。左手は天海パームが使われています。(この辺りは、天海師を否定しつつも影響を受けていることが伺えます)。

 ポロックさん曰くは、師が、これまでの鳩出しの模倣マジシャンとはレベルが違うマジシャンだと言っていました。

 さらには、師のスタイルです。師が舞台に現れた瞬間。寂寥感を湛えて、木枯らしの吹く中を、一人逆風に耐えて、歩いて行くような、侍の孤高な姿を見るような、何とも言えない個性が感じられます。

 ポロックがほとんど表情を加えないで淡々と演技をするのは、自身が全能の神であると言うスタイルであり、自身が触れるものすべてに魔法が生まれる。という全知全能のアポロ的な演技です。

 対する師の演技は、笑顔をほとんど見せず、少し寂しげでありながら、人間的で、ひたすら孤独に耐えているように見えます。それがサムライ映画の主人公のようで、アメリカ人にはたまらない魅力なようです。

 こんな表情で見せる鳩出しなど今までになく、十分個性的な世界を作り出しています。こうした点が、ポロックは師の鳩出しに自分と違った世界を見出し、支援したくなったようです。

 実際、鳩出しの系譜は、ポロックから島田、ランスバートン、と受け継がれて行きますが、それは流れとしてみたならそうなのですが、個々に関しては別段技法や秘伝などの継承などがなされたわけではありません。

 私は、島田師の逝去を思うにつけ、直接の継承のないままの鳩出しの系譜を語るのは寂しい思いがします。たとえ数人でも、誰か信じられる後輩を見つけ出して、しっかりとした継承をしてもいいのではないかと思います。世界中のマジック界では実際の継承も行われている人もいるようですが、鳩出しはそうはなっていないように思います。そうした中で鳩出しマジシャンが徐々に消えて行く現状を見ると、これでいいのかと考えてしまいます。この事は明日。傘出しの演技を書いた上で、更にまとめとして書かせていただきます。

続く