手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

負けるが勝ちは無知

負けるが勝ちは無知

 

 今回のロシアによるウクライナ侵攻が、如何に無謀で、非人道的であるかは、ウクライナ侵攻の影で人権侵害が繰り返されたことが白日にさらされ、まるで人類の歴史の発展が、そっくり数百年前に逆戻りしたようになってしまいました。

 21世紀は、世の中の大多数の人が民主主義を理解し、互いを尊重し合う社会になっていると信じていたものが、実は、人はほとんど進歩していなかったことが暴露されたのです。そして、自国が如何に「戦争をしない」「相手を侵略しない」。と宣言をしても、相手国が、隣国に無理解で、一方的に侵略し、他国民を奴隷にすることを何とも思わない国である限り、平和も自由も保障されないことを知りました。

 テレビのコメンテーターの中には、「敗北を認めたらいい」。「戦争はしませんと宣言したらいい」。と、理解不能なことを言う人がいますが、仮に日本がロシアに攻め込まれて来たとして、降伏をしたなら、国名が日本からロシアに変わっただけで、日本人は今まで通り生活が保障されるでしょうか。そうであるなら、敗北を認めることも悪いことではないかも知れません。然し、国を失うと言うことは、国名が変わるだけではないのです。

 ロシア人は伝統的に占領国民の強制移動を求めて来ます。負けた国民は、地域ごとそっくりシベリア移住を要求されます。今回のウクライナ人の中でも降伏した人たちが、サハリン移住をさせられています。ロシア人は、豊かな土地を手に入れたいがために、ウクライナ人をサハリンに強制移住させて、ウクライナの肥沃な土地をロシア人に渡してしまうのです。第二次世界大戦のときに、ポーランドを占領したソ連はそれと同じことをポーランド人にしました。

 日本も同様でした。太平洋戦争で日本が負けたときに、ソ連は、日本兵を捕獲して、何万人もの日本兵をシベリアに連れて行き、強制労働をさせました。多くの日本人は寒さと食糧不足で亡くなり、生き残った人でも日本に帰国できたのはそれから6年も経ってからでした。

 日本が戦争に負けたことで、日本人が奴隷になる理由はないのです。明らかに人権侵害で国際法違反です。然し、当時、敗戦国の日本の主張を聞く国はなく、ロシアの無法はまかり通ったのです。

 今回のウクライナでも非人道的な行為は繰り返されています。降伏したウクライナ兵士をロシアは、ロシア兵として使っています。ウクライナ兵は、ウクライナ軍に銃を向けることを強制されます。逆らえば後方からロシア軍に狙撃されます。自国の平和のために立ち上がったウクライナ人に自国民を撃てと命じることはあまりに酷です。つまり、降伏すれば自由は保守され、平和に暮らせるわけではないのです。更なる過酷な生活を強要されるのです。

 それでも「降伏したほうがいい」。と言えますか、「戦争はよそう」、と言えば、ロシア人は優しくいたわってくれますか。世の中は話してわからない人はたくさんいるのです。

 

 ロシア人に民主主義が根付いていないのではないか、という疑念は、実はかなり以前から言われていたことです。実は、ロシアは1917年までは帝政を敷いていた国です。無論、その時期まで帝政、王制を敷いていた国はたくさんありました。問題は、帝政を敷いていて、しかも、農奴と言う奴隷を国内に抱えていたことです。

 自国民を奴隷として使うことが公に成り立っていたのです。奴隷には人格などありません、民主主義などないのです。ただただ主人のために労働を提供するだけの家畜だったのです。実際ロシアと言う国には、長い間低い農業生産だけで生きて行ったために、貨幣経済が発展せず、皇帝や貴族の圧政によって国が維持されていました。

 それが19世紀になって、にわかにヨーロッパで民主主義の波が起こり、共産主義が台頭し、よくわからないまま労働者革命に巻き込まれ、たちまちのうちに社会主義国になってしまいました。ところがロシアは言ってみれば、日本の律令制度のような時代からいきなり労働者の国になったのです。

 商工業の発達が未熟だったのです。商業や貨幣制度が発展しなければ、法律も、民主主義も育ちません。社会のルールが成り立たないのです。ロシアは民主主義が育たないまま社会主義が始まってしまったのです。

 マルクスは、共産主義国は、民主主義が発展し、労働者がある程度資本の蓄積が出来た国が共産国となるはずだ。と言っていたのです。そうなら、世界で初めて労働者の国になるのはイギリスのはずです。少なくとも、ロシアで社会主義が生まれるとは誰も予想していなかったのです。

 ロシアの悲劇はここから始まります。民主主義を尊重する意識の薄い国家が社会主義を標榜すればどんなことになるのか。それが20世紀のロシア(ソビエト)の不幸な歴史に繋がるのです。

 前述の、1945年の敗戦時に日本兵を強制労働をさせた行為も、ロシア人にしてみれば、民主主義などと言うものは理解の他です。彼らの中には1917年まで農奴だった人が大勢いたのです。それが25年経っただけで民主主義が根付くことなどあり得ないのです。彼らの頭の中は依然として農奴であり帝政が根付いていたのです。そうした人たちに「強制労働はいけない」。と言ったところで、相手は理解できないのです。理不尽な仕打ちを受けた人は、他人にも理不尽な行為をするのです。

 帝政が滅びたときにロシア人は二億人いたのです。それが今では一億四千万人です。六千万人はどこに行ってしまったのか。三千万人はドイツとの戦争で死亡しました。それならあと三千万人は?。実は、それが政治の失敗によって粛清されたのです。

 スターリンは計画経済の失敗を下級役人の責任に擦り付け、うまく行かなくなると役人を銃殺したり、シベリアに送りました。それに反発する警察官や、軍隊も同様に銃殺し、粛清しました。

 国民すべてを平等にしようと言うスローガンは素晴らしい考えですが、そのために、村や町で、商才に長けて、金儲けのうまい人はすぐにつかまり財産を没収され、シベリアに送られました。みんなを平等にするためには金持ちがいてはいけないのです。このため、国全体が密告社会になり、人々は恐れおののき、誰も目立った行動はしなくなりました。

 社会は能力ある人がアイディアを提供することで世の中が良くなるのに、何かを言えば粛清され財産を没収されるのでは、誰もものを言わなくなくなります。

 スターリンは、計画経済の失敗を隠すために、ウクライナ穀物を強制的に収奪しました。1930年代、豊作を繰り返していたウクライナは、穀物を取り上げられて、800万人もの餓死者を出したのです。ウクライナ人はこのことを忘れていません。

 こうしてロシアは闇に閉ざされた日々を送るようになったのです。これは平等社会ではなく悪平等です。社会主義は、言ってみれば悪平等を作り出す制度です。それが証拠に社会主義国は今もみんな低所得です。中国のみ、気を吐いていますが、それは途中から自由主義を認めた結果です。

 今、ウクライナは不幸にもそうした国と戦っているのです。ロシアに敗北して幸福などありえないのです。降伏すれば農奴になるのです。そのことを骨身に染みて知っているウクライナ人にどうして降伏しろと言えますか。

続く