手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

島田晴夫師危篤

島田晴夫師危篤

 

 NHKのアナウンサー古谷敏郎さんよりこのところ、メールやメッセージをたびたび頂いています。古谷さんは、島田晴夫師と懇意にされていて、奥さんのキーリーさんとも頻繁にメールでやり取りをされているそうです。

 それによると、島田師は、先週の15日(金曜日)から入院され、もう食事を受け付けなくなってしまっているとのこと。元々島田師は肝臓がんを患っていて、癌は10年以上前からの病気でした、一時期、東大病院に入院されていて、その時点で既に危ないと言われていました。

 然し、奇跡的に回復されて、その後マジックの世界大会などにも数々出演されて、世界的にも数少ないスライハンドマジシャンとして、レジェンドの扱いを受けて来ました。

 今現在はロサンゼルスに住んでいて、奥さんのキーリーさんがマッサージの仕事を続けながら、師を支えています。キーリーさんの献身的な看病によって、師は幸せな余生を送っていました。その師ももう82歳になります。

 かつては綺羅星の如くにいた、アメリカのスライハンドマジシャンも、今は数少なくなってしまいました。鳩出しと言うジャンルすら今では珍しいものになってしまっています。

 チャニングポロックに始まり、シルバン、島田晴夫、ランスバートン、ジョセフ、エイモスレフコビッチ、ジェームスディメール、と、優れた鳩出しの技を見せるマジシャンが次々に現れましたが、それも20世紀までのことで、それ以降はもう滅多に見ることはなくなりました。

 私は鳩出しと言う芸は、永久に無くならないものかと思っていましたが、そうではないようです。かく言う私も、20代30代までは鳩出しをしていました。家には10羽程度の鳩を常に飼っていて、仕事のたびに数羽の鳩をの篭に入れて持ち運びをしていました。

 鳩出しを一度でもした人ならお分かりと思いますが、プロダクションマジック(物をたくさん出すマジック)の中で、鳩出しほど受けるマジックは他にありません。くす玉を出そうとも、シルクを出そうとも、四つ玉を出そうとも、鳩一羽出したときほどの観客の反応を超える取り出し物は他にはありません。

 ハンカチーフを改めて、手の中で丸めると、中から白い鳩がパッと羽ばたいたときの変化は、見ている人みんなが「あっ」と声を出します。あの瞬間は実に気持ちが良いものです。但し、余りに受けるために、自分の技を過信してしまいます。

 本当は鳩が受けているだけなのに、自分の技が優れているから受けているのだと、己惚れてしまいます。これが大きな勘違いで、そのためにマジシャンはそこから先の芸の研究をしなくなります。「芸能、芸術とはびっくり箱ではない」。と気付くまで随分時間がかかります。

 本来鳩出しは、上品で、高級な芸能なのですが、余りに受けがいいために身のこなし、立ち居振る舞いがおろそかになり、自分自身の世界を作る作業を怠るマジシャンがたくさん現れて、やがて鳩出しそのものが廃れて行ってしまいました。

 そうした中で島田晴夫師の鳩出しは、数少ない品格を備えた芸能でした。あの芸が見られなくなることは残念です。何とかこの芸を継承して行ってくれるマジシャンが現れることを期待していますが、マジシャンを取り巻く環境は日に日に悪くなるばかりです。

 

 なんせ、マジシャンの得意ネタがどれもこれも世間の批判の対象になってしまいました。動物が使えない、鳩が使えない、たばこが使えない、直火が使えない、マジシャンにとっては受けネタがどれも使えず、仕事場がどんどん少なくなってきています。

 ついこの間まで、1m以上もの炎を上げたトーチを持って、マジシャンが颯爽と登場していた姿は、今となっては昔語りです。それどころか、火炎皿のような、ものすごい炎を上げる道具を、次々とマントの中から取り出していた時代は、もう二度と戻っては来ないでしょう。

 ジャック武田さんのように、猿に虎の着ぐるみを着せて、箱から出すような芸は、動物虐待と言われ、批判の対象になり、舞台で演じることが出来なくなっています。

 サーカスでさえ、虎やライオンに鞭を与えることが動物虐待になると言うことで、鞭を直接動物に充てないようにしています。それで上手く言うことをきくならいいのですが、そこまでの配慮が弱肉強食を前提とする野獣に本当に必要なものなのかどうか。そもそも猛獣ショウと言うものが動物愛護を前提に成り立つものかどうか、首をかしげてしまいます。

 

 このところ急激に20世紀の栄光が失われつつあります。それはマジックに限ったことではなく、全ての芸能が、かつて持っていた大きなエネルギーが失われてきて、どこも規模が小さくなってきています。無論、別のところからまた新しい芸能や芸術が生まれて来るのだろうとは思いますが。かつて賑やかだったものが消えて行く姿は寂しいものがあります。

 明治の20年代に、天保老人と言う人たちがいて、かつての江戸時代の天保の時代を懐かしんで、五代目幸四郎は良かっただの、関三十郎は良かっただの、手妻の柳川一蝶斎はいい芸だっただの、江戸の天保時代を懐かしんで過去を語っていた老人がたくさんいたそうです。してみると私たちは、昭和老人になってしまったのでしょうか。志ん生は良かった、ダイマルラケットは面白かった、引田天功はすごかった、島田晴夫は上手かった。加山雄三はかっこよかった。山口百恵は奇麗だった。今の時代には一瞥もくれず、ひたすら昭和を懐かしむ人たちがたくさんいて、そんな人たちが集まる話処がこの先流行るのかも知れません。そんなな中に身を置くことも悪いことではなさそうだ、と思いつつも、いやいや、まだ郷愁にふけっていてはいけないと思い直します。

 先日、マギーさんと、ボナ植木さんと三人で久々呑んだ話を書きましたが、あの後マギーさんが、その呑み会がよほど楽しかったらしく、小野坂東さんに電話をしたそうです。そして、「こうした仲間がいることは本当に幸せだ」。と言って、電話口で涙を流したそうです。

 随分マギーさんも涙もろくなったものです。でも我々は昭和に埋没することなく、この先ももっと自分の世界を展開して、世間に提供して行かなければいけません。さて、ようやくコロナも収束しつつあります。もうひと仕事をしましょう。

続く

 

 25日、月曜日の昼から、28日までの4日間、日本橋マンダリンホテルで、12時から、クロースアップマジックがあります。早稲田康平さん他がテーブルホップで回ります。お食事をするだけで、ショウチャージはいりません。豪華なカフェで一度マジックを楽しまれてはいかがでしょう。