手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ 3

初音ミケ 3

 

 このところ、初音ミケを見ません。オヤミケの方は連日ずっと、裏の平屋の屋根の上で日向ぼっこをしています。私が朝、観葉植物に水をやるときに、窓を開けて屋根を見ると、オヤミケは屋根の上に寝そべっています。窓を開ける音でいつも私の方を見て、小さな声で「みゃー」と挨拶をします。

 オヤミケは愛想はいいのですが、一つ困ったことは、雨の日になると、私の家の二階の玄関前を避難場所にするのです。二階に上がる階段は外階段なのですが、屋根も囲いもあるために、二階の玄関は人目に付きにくく、いい隠れ場所になります。

 別段猫が雨宿りをするくらい構わないと思うかも 知れませんが、人目につかないのをいいことにそこでおしっこをします。猫のおしっこは尿が凝縮されていてとても臭いため、一度やられると匂いが充満します。

 一週間ほど前、雨の降っている朝、女房が、「あっ、またおしっこしてる」。と騒いで、消臭剤を撒いたり水を撒いたりして大騒ぎしていました。この日は、二か所のおしっこをしてあったそうで、きっとオヤミケと初音ミケが一緒になっておしっこをしたのでしょう。すっかり私の家の二階が猫のトイレになってしまっています。

 猫が寄り付かない機械などを設置しているのですが、効き目がありません。もう完全に親子のミケに占領されています。

 

 私の家の北側のお婆さんの家が取り壊しになったため、家もブロック塀もすべてなくなりました。その上、その東奥の家も同時に取り壊しをしたため、都合100坪くらいの土地が、向こうの通りまですっかり空き地になってしまいました。

 オヤミケも、初音ミケもいつも、隣の家と奥の家のブロック塀を伝って、道の往来をしていたものが、それが使えなくなり、すっかりテリトリーが分断されてしまいました。初音ミケは、私のアトリエの前を通るパトロールもこの一週間は来ていません。変わってオヤミケがパトロールをしています。大体11時ころにドアについている窓から中を覗き込みます。初音ミケと違うところは、オヤミケはお座りはしません。立ったままじっと見ています。私と顔を合わすと、小さな声で「みゃー」と言います。私には親しみがあるようです。別段エサをやるわけでもなく、撫でてやるわけでもないのですが、いつも愛想よく挨拶をします。

 女房は親子のミケを見ると、おしっこのうらみがありますから、箒や傘で追い立てます。猫もそれを承知していて、女房がいるときは決して家に近寄っては来ません。

 「二階でおしっこさえしなければいいのになぁ。お前たち親子は困ったものだね」。と言うと、親ミケは全く意に返さず、「みゃー」と親しげに愛想笑いをしています。全くオヤミケは得な猫です。

 

 高級猫のロスケはあの日一回見ただけでもう顔を見せることはありませんでした。どこの猫かは知りません。然し、また盛りの時期が始まればきっとやって来て、大騒ぎになることは見えています。二匹の恋愛ならばまだしも、三匹、四匹のさや当てとなると、連日うるさくてたまったものではありません。

 「ほかの猫が来なければいいが」。と思っていると、やって来ました。クロネコです。今までここらで見ることがなかった猫です。新参者でしょう。細身で毛につやがあります。まだ若そうです。親猫やロスケと比べると動きが俊敏で野生っぽいところがあります。ロスケは堂々として、しかも育ちが良さそうでしたが、クロネコには若さと運動神経が備わっています。「これはいいライバルになりそうだな」。

 この黒猫はロイクーと名付けました。ロイクーは裏のアパートの親子ミケのテリトリーを下見に来て、そのまますぐに去って行きました。もう少し外の気温が高くなると、きっと盛りが始まり、ミケの奪い合いになるでしょう。

 

 話は変わりますが、私が高円寺に越してきたときには近所に私の娘と同じ年くらいの子供が何人もいました。私の家の表の路地はほとんど車が通らないため、子供のいい遊び場でした。それが子供が大きくなって、もう外で遊ぶ子供もいなくなりました。何となくこの辺り一帯が高齢化して、寂しくなってしまいました。ところが、四、五軒先のお婆さんが亡くなって、家が取り壊されてそこに、四棟の建売住宅が建ちました。

 その家に引っ越して来た若夫婦に子供がいて、近所に子供の遊ぶ声が聞こえるようになりました。また町が若返ったような雰囲気になりました。私が引っ越してきて35年ですから、あれから一世代が経ったことになるのでしょう。私の家の隣も、東奥の空き地も建売住宅になるようです。そうなると一気に若い家族がやって来て、子供が増えて行くでしょう。

 猫にとっては近所に子供が増えることはいいことなのかどうか。子供がいるいないは別として、多分これからは猫にとって住みにくくなるのではないかと思います。現代の家はしっかり壁で囲われていて、家の内と外をきっちりと区別して作ってあります。猫が寄って行っても猫と会話をするスペースはないでしょう。

 周辺の家を見ていると、猫が面倒を見てもらえるような家は、畳の家で、引き戸で、部屋から戸を開けると、外に濡れ縁があって、濡れ縁には猫用の皿があって、魚の骨や、煮干しの出汁がらなどの余り物を、いつも置いておいてくれているような家があってこそ生きて行けるのです。

 別段猫を飼うでもなく、何気に面倒を見てくれるお婆さんのような人がいなくなれば猫は暮らしにくくなるでしょう。お婆さんにしても、一人暮らしで尋ねて来る人もない中で、しょっちゅうやってくる猫には情が移ります。ついついお茶請け代わりに煮干しの一つも出してやりたくなるのは人情です。

 そもそも、オヤミケがこっちに引っ越して来たのも、私の想像では、オヤミケにエサをくれていたお婆さんが亡くなったからなのではないかと思います。それでやむをえず元のテリトリーに戻ってきたのでしょう。今のところ裏のアパートの住人が親子のミケを密かに面倒を見ているようです。

 猫にとっては有り難いことですが、実はそうした親切が野良猫を増やす結果になってしまいます。猫を愛するなら同時に避妊手術までしてくれればよいものを、このままでは、ミケはまたまたロスケやロイクーの子供を産むことになります。それは私の女房にとっては迷惑この上ないことです。

続く