手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

16日玉ひで公演

16日玉ひで公演

 

 いよいよ玉ひででの公演が、今月、4月16日と、来月、5月21日の二日間になりました。毎月一回、2年半続けて来まして、コロナで舞台出演が激減した間も、ずっと公演を続けて来ました。

 特に弟子の前田将太は、三年半の修行の間、ほとんどがコロナ禍で、舞台に接するチャンスが少なく、実践を学ぶ回数が少なかったので、玉ひでの舞台はとても貴重な場でした。

 一回一回の公演は、私と、前田で60分以上演じなければならず、道具の点数もたくさんありました。その都度、私の道具のセットや、自分が演じる道具のセット、衣装、蝋燭台、テーブルなどの小道具類の組み立てなど、短時間に多くの仕事をしなければなりません。

 ほかにも、打ち合わせや、お客様の席決め、ポスター貼りなど、あらゆる仕事をしなければならず、かなり大変な仕事だったのですが、当人は、数少ない舞台チャンスでしたので、出演を楽しみにしていました。

 朝早くから道具を車に積み込んで出かけ、夕方、事務所に戻るまで、嬉々として仕事をしていました。

 「もう少し、いろいろな舞台の体験をさせてあげたい」。と思いつつも舞台出演が発生しないことのもどかしさ。正直、これでは修行も半分くらいにしかならないと思いつつもどうにもなりません。

 そんな中の玉ひで公演は、どれほど励みになったか知れません。

 同様に、若手マジシャンです。10分以内の持ち時間で、新しい手順を稽古し、喋りを作り上げるのに、玉ひでは随分役に立ちました。私が見ていても、若手の出演者の喋りは確実にうまくなっています。

 やはり、実際のお客様を相手に喋りのセリフを作って行かなければ、無駄のない洗練された喋りは出来ません。玉ひでの舞台は、いい勉強の場になったと思います。

 

 この二年半は、芸能人にとって大きな試練の年だったと思います。頼みとしていた出演の場がどんどん失なわれ、自主公演をしようにも、劇場に規制が掛けられ、人を集めにくくなってしまいました。

 そんな中で気持ちが腐ってしまって、何もしなければ、技量はどんどん落ちてしまい、生の舞台から離れてしまうと、舞台センスも退化し、世の中の流れから大きく取り残された状態になってしまいます。

 多くのタレントは、舞台出演を諦めてしまって、副業を始めるか、廃業を余儀なくされています。然し、こんな中にも何かチャンスがあるはずです。駄目と言ってしまえば何もかも駄目なのです。これまで何十年か舞台を続けて来たのですから、お客様や支持者は少なからずいるはずなのです。

 国からの補助金を頂いたり、地域の支援を受けたり、縁あるお客様からパーティーの仕事を頂いたりして、何とか舞台チャンスを作り、併せて収入を作って行かなければなりません。

 ある意味、コロナ禍と言うのは、タレントの本心を試されているのだと思います。「本当にマジックが好きで、マジックに人生を捧げる気持ちがあるのか。あるなら、あと三年、コロナが続きたとしても生き抜く覚悟はあるのか」。そんな風に問われているのだと思います。

 人は苦しいとき、辛いときに何をするかでその人の真価が決まります。何かをしようにも資金がない、人がいない、お客様がいない、仕事が来ない、こんな時は手も足も出ません。でもそんな状況に至って、初めて自分の身の回りを真剣に見つめようとします。

 すると、今まで何とも思わなかったことが、改めて見つめると、いろいろ新鮮に見えて来ます。立川談志師匠の落語で、本題が何だったのかは忘れましたが、枕で、「蟻の行列、金がないときゃ、面白い」と言う句を読んでいました。まだ私が10代の頃聞いた話でしたが、なぜかこの句は耳を離れませんでした。

 なまじ金があれば、金の力で遊びに行ってしまい、自分自身がなさねばならないことはほとんど考えもしないで後回しになってしまいます。

 仕事もなくなり、金もなく、家から一歩も出られなくなって、縁側から庭を眺めていると、熱いさ中に蟻がせっせと働いています。たくさんの蟻が行列を作って、荷物を運んでいます。その姿をじっと見つめていると、一時間二時間があっという間に経ってしまいます。金があったなら、こんなことに面白さを感じることはないはずです。然し、今、この場は少し面白い。と感じた、何もなさない悠久の時間を読んだのが蟻の行列の句なのでしょう。

 私はこの句を思うたびに、昔のマジシャンがマジックを作り出したときと言うのはこうしたときなのではないかと思います。何もすることがない、時間はいくらでもある。こんな時に何をしようと考えて、例えば、部屋にある半紙の切れ端を使って、蝶を作り、扇子で煽いでみる。

 初めは一二度煽いですぐに蝶は下に落ちてしまう。それを繰り返すうちに、少し長く空中を舞うことが可能になります。やがて畳んだ扇の上に止まったり、扇面に描かれた花に止まったり、扇の淵の地紙を蝶が渡ったり、と、蝶が芸をするようになります。そんなどうでもいいことに夢中になって、遊んでいるうちに一つの芸は生まれて行きます。

 芸能と言うのは、何でも揃っていて、恵まれた環境からは生まれないと思います。仮にそうした環境に自分がいたとしても、いったんすべてから離れて、自分自身を無一物の状態において、何もない状況からマジックを考えなければ、作品などできてこないのではないかと思います。

 金があると、ネットや、カタログなどで、幾つかのマジックグッズを買って、簡単に手順を組み立ててしまい、それを仕事に使っていては、自分の芸術活動にはならず、自分自身がなさなければならないことから逃げて、本来自分自身が何のために生きているのかを真剣に考えていないと思います。どんな恵まれた状況にあっても、いつでも空の状態を作って、自分を見つめる時間が必要なのだと思います。

 コロナはそんな状態を作ってくれるまたとない機会だと思います。そしてそうした中で、工夫した作品の発表の場を提供してくれた玉ひでさんに感謝をします。

 今月来月の公演で、玉ひでさんの舞台とお別れです。この先十年経ってみたなら、玉ひでさんの舞台は懐かしい思い出となるでしょう。そして、その時代にじっくり自分のマジックを考える時間があったことを有難く思うでしょう。

続く

 

 玉ひで公演お申し込み、

4月16日、12時から、お食事付き 5500円。食事なし、2500円。

東京イリュージョンのネットまたはお電話でお申し込みください。tel 5378-2882