手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ジャパンカップの可能性

ジャパンカップの可能性

 

 一昨日(3月25日)、帝国ホテルでジャパンカップが開催されました。ジャパンカップと言うのは、マジック研究家で、医師である田代茂さんが率いるNMFと言う組織が運営する企画で、年に一回、優秀なマジシャンとマジック関係者を讃える催しです。

 内容は、表彰式と、マジックショウで、場所の制約があり、ステージショウは出来ません。クロースアップが主になります。

 今年で21回目の開催で、はじめはJCMAと言う組織が主体となって運営されていましたが、ここ3年は田代さんが新規に立ち上げたNMFと言う組織が受け持っていて、また今回からJCMAも関与して組織を大きくしてきました。

 いずれにしましても田代さんの思いから起こっている催しで、純粋にマジシャンや、マジック関係者を支援する活動として毎年一回催されています。

 何にしても、帝国ホテルで食事付きで表彰式をすると言うことは簡単ではなく、そこにかかる時間と費用は小さくありません。マジック界の規模や、組織の実力を思うと、この催しを21年間通してきたことは並大抵の努力ではないことが良くわかります。

 

 ジャパンカップの催しの数時間前、私は和服の礼装で夕方、人形町玉ひでさんに行って、山田社長さんと、私のこの先の公演のための打ち合わせを致しました。そしてそのまま車で日本橋に向かい、新会場を下見しました。

 感触はとてもよく、会場も申し分ありません。今までは月に一回の開催でしたが、これからは毎週の開催の可能性もあります。これまで玉ひでさんで積み重ねて来た活動が消えてしまうのは残念ですが、新たな発展が望めるのであれば、躊躇している場合ではありません。思い切ってやってみようと考えています。

 新会場は、須古井s高めのステージもあるので、演技をするのは申し分のないところです。ただ、全体の作りは私よりも、むしろ、タキシードを着たマジシャンの公演の方がより向いていると思います。前田はここでやりたい希望が強いようです。何人かの仲間と相談をして、ここをもっと有効に活用できるように番組を工夫してみたいと考えています。

 

 さてそこから帝国ホテルへは車で20分ほど、5時45分には帝国ホテルに着きました。私は第一回目からこの催しを支援してきました。私は当日はプレゼンターとして表彰状を読み上げる役を致します。それだけなら何ら難しい役ではありません。然し、私に求められていることは、ただ賞状を読み上げるだけではありません。

 なぜこのマジシャンを表彰するのか。そしてこの先どんなマジシャンが求められているのか、そもそもマジック界そのものをどういう方向に持ってゆくべきなのか、などを語ることを求められています。それを当日舞台上で語るには、頭の中で内容を整理しておかなければならず、数日熟考を要します。

 今回のマジックオブザイヤー賞に輝いたのは田中大貴さんでした。私は以前から大貴さんに関心を持っていました。毎年地元春日井市で、リサイタル公演を開催し、毎回満員の観客を集めています。そして東海地区では断然トップの出演回数を誇っています。舞台の依頼者からも評判が良く、リピートも多いそうです。

 煎じ詰めればプロとは、マジック関係者以外の人から出演依頼を求められ、仕事をたくさん持って活動している人こそプロなのです。ごく一部のマジック愛好家の間で人気があったり、狭い世界のコンテストなどで入賞しても、実際に一般のお客様に与える影響はほぼ皆無なのです。

 多くのマジック愛好家がそのことに気付いて、マジシャンの評価を考え直すようになれば、マジック界も大きく流れが変わって行くと思います。

 そうした点で、今回の田中大貴さんの受賞はタイムリーなものだと思います。

 

 表彰の際に、田中大貴さんは、涙を浮かべて喜びを語りました。仕事の数が多いと言っても、今はコロナの影響でかなり厳しいのが現実です。そうした中でどう生きて行ったらよいのか、苦悩していた中での受賞でしたから大きな励みになったようです。

 私はジャパンカップのあり方がここに凝縮されていると思いました。活動が厳しくなってきているようなマジシャンに積極的に支援をすることはとてもいい方向を示すことが出来ます。

奇しくも、マジックオブザイヤーが、この三年。原大樹さん、メイガスさん、田中大貴さんと、三人ともイリュージョニストが選ばれています。こんなことは今までなかったことです。

 コロナ禍にあって、もっとも痛手を被っているのはイリュージョンです。彼らを積極的に表彰することはとても素晴らしいことです。何とか生き残って、この先大きな活動が出来ることを期待しています。

 

 さて、その翌日(26日)、実は、私は富士の指導をして、夜に久々柳ケ瀬のお食事会に伺いました。辻井さんが料理屋を用意してくださって、そこに田中大貴さんを招いてくれました。昨晩、今晩、二度目の顔合わせです。

 図らずも今回の吞み会は、大貴さんの受賞祝いになりました。大貴さんは、名古屋で活動していますので、岐阜も仕事の範疇に入ります。然し、なかなか大貴さんが受賞したからと言って、祝ってくれる人もそうそうはいません。ここは辻井さんの配慮に感謝です。

 柳ケ瀬も、一年近く呑み会を開催していませんでした。この一年は一体何だったのかと思います。そこまで過大にコロナを考えて、結果としてインフルエンザを超えるほどの脅威でもなく、大きな伝染病にもならず、いたずらに飲食店に規制をかけ、観光業を束縛し、結果、日本中の活動を締め付けて不景気にし、この先もまだ国民の生活を圧迫しています。

 平成のバブルが弾けた時よりも不景気は深刻で、私の人生の中でも最大の惨事でした。そして今もこの惨状は続いています。どなたかパッと明るい話題を提供してください。このままではとんでもない不況が世界を覆いつくします。そうなっては取り返しが利かなくなります。憤懣やるかたなき思いではありますが、それでも少し柳ケ瀬が復活したことは喜ばしいことです。

続く