手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

玉ひで手妻公演移転

玉ひで手妻公演移転

 

 実は、いろいろと内部で話し合われていたことだったのですが、玉ひでさんが、現在の店舗を建て替えて、ビルにすることが本決まりになりました。

 これまでの木造建築と、奥にある鉄筋のビルを両方壊して、一つの大きなビルにして、その後、一二階でお店を再開するそうです。解体は早ければ6月初めからするそうです。そして、新しいビルは2年後完成する予定です。

 建築中は、近くに仮店を構え、親子丼や軍鶏鍋(しゃもなべ)は出すそうです。然し、そうなると、広いお座敷は作れないと思います。せっかく古風なお座敷で手妻を演じることが出来て、お客様もこの雰囲気を楽しみにして下さっていたのですが、いよいよ出演の場がなくなりそうです。

 実は、玉ひでの山田社長さんが、新しく手妻やマジックのできる場所を紹介してくださるそうで、近々、会場と打ち合わせに出かけることになりました。

 いづれにしましても、今の古風な雰囲気はもう無理だと思います。舞台はだいぶ変わる可能性はありますが、手妻公演はこのまま継続されることになりそうです。

 

 と言うわけで、今のところ、6月までのスケジュールを公開しておりますが、恐らく6月の公演は、別の開催場所に移ることになそうです。そうなると、玉ひでさんでの手妻公演は、5月でお終いと言うことになります。

 開催場所が変わると、そこでは親子丼のコースをいただくことは出来ません。お食事も出るかどうか、出たとしても何が出るかはわかりません。いづれにしましても今の形式で公演するのはあとわずかです。

 4月16日、5月21日、の二日で玉ひでの舞台はお終いになります。もし、再度、或いは、これまでご覧になりたいと考えていたお客様で、一度玉ひででの手妻公演をご覧になりたいとお考えの方がございましたら、お早めにお申し込みください。

 こうした状況ですので、早めに予約が埋まると思います。

 

 さて、その先、2年後に玉ひでさんが新築落成したときに、また手妻公演が、お店に戻ることが出来るかどうかは今のところわかりません。お座敷のスペースが取れるかどうかもわからないのです。なおかつ舞台まで作れる可能性があるかどうかは何とも言えないのです。

 まだ具体的なお店の設計図は出来ていません。上手くお座敷が残ったなら、是非とも戻って公演させて頂きたいと思います。

 

 玉ひでさんは260年続いた軍鶏鍋屋さんで、江戸の中ごろからずっと今の場所で軍鶏料理を出してきました。現在、東京の料理屋さんでは一番古いお店になります。今は親子丼を考案した店として有名ですが、本来は軍鶏鍋料理が主です。

 親子丼は、店で働く人たちのまかない料理だったものを、お客様が求めて、店にも出すようになったそうです。それが明治以降のことのようで、以来、親子丼が人気で、連日、昼には1時間2時間待ちの行列が出来るようになりました。(夜は、親子丼だけのお客様は入れません。軍鶏鍋の仕上げに親子丼を召し上がるならOKです)。

 鍋に使う割り下で、軍鶏肉を煮込み、その上から卵を溶いて軍鶏肉をつなぎ、飯の上に載せます。飯に乗せるほんの僅か前に、もう一つ分の卵を溶いて上からかけます。そして、丼の蓋をかぶせます。蓋の中で溶きたての卵がレアな状態で蒸されます。これが半熟状になってとろりと柔らかい卵の触感になります。

 卵の柔らかさに対して、軍鶏肉は少し弾力があり、通常のブロイラーの鶏肉と比べると、固く感じると思いますが、これが軍鶏肉の特徴です。噛んでみるとじわっと鶏の味が広がります。軍鶏肉と卵の合わせ技は絶品で、一度味わうととりこになってしまいます。

 玉ひでさんのご贔屓は数多くいらっしゃいます。古くは渋沢栄一さんの会社が近くにあって、昼時には親子丼を何十も一度に注文があったそうです。当時は出前もしていたそうです。

 先日亡くなった石原慎太郎さんもご贔屓で、私は、石原慎太郎さんが玉ひでで催す宴会にたびたび呼ばれて出演して、その都度、蝶のたはむれを演じました。お元気であればまだ呼ばれたであろうと思いますが、残念です。

 

 さて、コロナの騒動は、世界中の人の人生を大きく変えました。日本でも飲食店や、我々芸能に生きる者までも、生き方を変えざるを得ない状況になっています。しかもこの先がまだどうなるかが分からないわけで、災難と言うなら、東日本大震災の時と、バブルが弾けたとき以上の災難が続いています。

 それでもまだ、日本は、ウクライナのように戦争をしているわけではありませんので、まだ恵まれているのかも知れません。今のウクライナ侵攻が第三次世界大戦にならないことを、心から願っています。

 そして、このところ不穏な、地震も、大きな地震につながらないことを願ってます。

 願うばかりでおよそ力にはなれません。芸能のなせる業はあまりに非力です。せめて手妻を見ているひと時でも、人の心が救われるよう。そう思って演じています。

続く