モーリス ラベル
ラベルはフランスの作曲家で、ボレロや、死せる王女のためのパヴァーヌなどの作品で有名です。ところがラベルは、人に紹介されるときに、彼の代表作がボレロや、死せる王女のためのパヴァーヌであると言われることを嫌がりました。
彼としては、「死せる王女」は若いころの作品(24歳)であり、「ボレロ」はバレエのための舞踊曲で、さほどに気持ちを込めて作った作品ではなかったらしくて、こんな曲が代表作と呼ばれることは不本意だったようです。
ボレロはダンス曲として、今でも、フィギュアスケートの曲などでたびたび取り上げられるポピュラーな作品で、聞けば誰でも、「あぁ、ボレロだ」、と分かります。
然し、ボレロとはタンゴやワルツと同様、舞曲の名称であり、独特の単調なリズムが繰り返される舞踊音楽です。従って、ボレロと言う名前の曲はたくさんあるのですが、世間一般にボレロと言うとラベルの曲だけが有名です。
そのラベルは、作曲を頼まれたときに、リズムは変えず、メロディーは二つの違ったメロディーを交互に演奏するだけ、転調もなく(お終いのところで一回だけ転調します)、単純そのものの曲を作りました。但し、ラベルは管弦楽の魔術師とあだ名されるほどにオーケストレーションがうまく、この単調な曲を、楽器を取り換えて演奏して行くことで奇妙な変化が生まれ、魅力ある曲に仕上げています。
そうは言っても、あまりに単純な構成の曲のために、これが自分自身の代表作と呼ばれることが恥ずかしかったようです。本来なら、ピアノ協奏曲や、ダフニスとクロエ、クープランの墓、などの曲を上げて評価してもらいたかったのでしょうが、ラベルの曲は難解なものが多く、一般的な知名度は上がらず、玄人好みな音楽ばかりですので、どうしても取っ付きやすいボレロや死せる王女に人気は偏ってしまうのでしょう。
ラベルは典型的なフランスの作曲家で、余り長大な音楽は作らず、小品で、小粋な作品を数々作りました。私もブラームスや、マーラーの音楽を聴き疲れると、時々ラベルの音楽をかけます。
すると、押しつけがましい哲学や、分厚いハーモニーは消え失せて、軽くキラキラした装飾音や、少し東洋風なメロディー、怪しげな不協和音が聞こえて来て、独特な絵画の世界の中に引きずり込まれます。
よくラベルはドビュッシーと並んで、印象派などと呼ばれますが、確かに似た部分はありますが、ドビュッシーよりも構成が古風な感じがしますし、民族音楽のようなメロディーがたくさん出て来ます。明治から戦前の昭和まで生きた作曲家ですので、形式は現代音楽なのですが、ストラヴィンスキーほどには機械的な感じはしません。充分ロマン派の音楽だと思います。
つまり、私がドイツ音楽に飽きると、ラベルを聴くのですが、一見澄ました音楽のように聞こえますが、よく聞いてみると実に温かみのあるロマンチックな音楽なのです。
ラベルに馴染みがなく、とりあえず何か聞いてみたい、と言う人がいらっしゃったら、矢張りボレロと、死せる王女のためのパヴァーヌからお勧めします。ボレロは民族音楽の要素が強く、聞いているうちに自然と興奮してくる曲です。
死せる王女の方は、印象派そのものの音楽です。睡蓮の絵画を思わせるような寂寥感があり、水面の光がキラキラと輝いているような音楽です。一度聞けば誰でも好きになる曲です。
題名からして誰かモデルの王女がいるのかと考えてしまいますが、モデルはいないそうです。あくまで古風な王女のイメージで作曲をしたと言うことです。
この二曲を聞いて、ラベルが面白いとなったら、次はダフニスとクロエの「夜明け」を聞いていただきたい。これも印象派の匂いの強い曲ですが、まだ暗い夜明け前の景色に始まり、うっすらと東の空が明るくなりつつ、鳥の鳴き声などが聞こえて来て、だんだんと大きな景色が見えて来ます。かすかに角笛なども聞こえて来て、まるで、紫禁城にいる中国の皇帝の目覚めのような、雄大できらびやかな朝を迎えます。実際、何とも東洋的な音楽です。ほんのひと時、中国の皇帝になった気分に浸っていただきたいと思います。
それを面白いと感じて頂けたのなら、そこから先は、クープランの墓、ツィガーヌ、ラヴァルス、など聞いて行くと、この世のものとも思えないような、ラベル独特の不可思議な世界が展開されて行きます。この世界を知らずして人生を送ってしまうのは勿体ない。ぜひ一度聞いてみて下さい。
ラベルは日本ではラベルですが、フランス人が発音するときは、ラ ヴェールと言い、ヴェの音を高めに発音します。そうしないとフランス人には伝わりません。
昔フランスのマジシャンに、「私はラベルが好きだ」。と言ったら、「誰だそれ」、と言われ何度も聞き返されました。お間違いのないように、ラ ヴェールです。
さて、ラベルと言う人は背の低い人で、ラベルはそのことで生涯劣等感を持っていたようです。そのため、写真を撮るときには決して人と並んで撮らず、椅子に座ったままの写真ばかりでした。社交界に出ることも好んではしなかったようです。
性格はシャイで、同時に気難しい人だったようです。特に42歳の時に愛する母親を亡くしてからは、全く仕事が手に付かず、作曲もほとんどしなくなって行きます。
ラベルの母親への愛は異常で、母親を愛するあまり、結局生涯独身を貫きます。晩年には元々気難しい性格が一層偏屈になり、更に脳障害からか、痴呆症からか、自分の名前さえも書けなくなり、サインを頼まれたときに、どうしてもラベルと言う名前が思い出せず、「後で書いて送る」。と言ったという逸話が残っています。
アメリカ人のジョージガーシュインが、オーケストレーションを学びたくて、ラベルの門をたたき、「管弦楽の作曲法を学びたい」、と申し出たときに、ラベルは再三断ったそうです。ガーシュインはあきらめず指導を乞うと、「君は既に一流のガーシュインじゃないか、何も二流のラベルになる必要はない」。と言ったそうです。
いいセリフです。ガーシュインの才能を認めたからこそ言えるセリフです。もっと自分に自信を持てと言うことなのでしょう。世の中には、何かと教えたがる先輩が数多くいる中で、若い人の才能を認めて、その才能の正統性をはっきり伝えてやれると言うのは立派です。私なんぞはそもそもが二流の藤山新太郎なのに、日々三流の藤山新太郎を製造して得意がっています。こんなことでいいのでしょうか。
続く
明日はブログを休みます。