手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ウクライナ侵攻

ウクライナ侵攻

 

 なぜロシアがウクライナの覇権にこだわるのかと言うなら、私は三つの理由があると考えます。一つは、一昨日にお話ししたように、ウクライナが西側の国(EU)に加盟したがっているのを阻止するためです。

 ロシアはこの200年、数度の大戦のたび、ドイツやフランスに攻め込まれたため、西側とは距離を置きたいと考え、ドイツと、ロシアの中間にある国々をロシアの衛星国にしました。ロシアにとっては衛星国は自国を守る土嚢なのです。

 然し、1980年以降、多くの衛星国を失ってしまい、今や、ロシアにとって、ベラルーシウクライナは最後の土嚢なのです。これを手放してはロシアは丸裸です。

 無論、ウクライナは自分がロシアの土嚢であるとは考えていません。ロシアの勝手な妄想なのですが、ロシアは考えを改めようとはしません

 

 ロシアがウクライナを手放せない二つ目の理由は、ウクライナ黒海に面していることです。ロシア領内にある港は、冬には凍結するところがほとんどです。ロシア海軍はあっても、多くは冬場は機能しないのです。このためロシアは帝政の昔から南にある不凍港を欲しがったのです。

 2010年代に、ウクライナEU寄りの政策を打ち出したときに、ロシアは対抗上、いち早くクリミア半島を占領しました。それは、不凍港を押さえるためです。クリミア半島と同時に、クリミアにつながる東部の二郡をロシア人の住む地域として保護下に置いたのですが、これは不凍港であるクリミアに進むための通り道なのです。結果として、この曖昧な地域を許したことが今回の侵攻の発端となります。

 先週のウクライナ侵攻の当初は、ウクライナ東部にすむロシア人の安全を保護すると言う名目で、東の地域に戦車が侵攻したのです。然し、一度戦争がはじまると、戦いはウクライナ全土に及び、キエフやその他の大都市までが攻撃対象になりました。

 これでロシアは二週間以内にウクライナを占領できると考えました。然し今回ばかりはそうはいきません。ゼレンスキー大統領は、ロシアとの断交を発表し、徹底抗戦を唱えたのです。それに対して、西側諸国は、武器供与や資金協力などの側面支援を始めました。

 

 プーチンさんは、ウクライナの進行に対して、アメリカやEUは、非難声明は出しても結局何も手出しをしてこないだろうと考えていたようです。

 いざロシアとアメリカが正面からぶつかれば核戦争になることは明白ですから、アメリカは決して直接ロシアとは戦わないだろうと高をくくっていたのです。

 然し、西側諸国は全面戦争にはならないまでも、プーチンさんの予想を超えて今回の侵攻を明確に非難しました。この戦いを認めたなら、世界は百年前に戻ってしまうからです。

 

 今回の侵攻は、百年前の第一次世界大戦の発端によく似ています。1914年、初めはオーストリア皇太子の狙撃により、サラエボの一市民がハプスブルグ家に対する不満を表明したものだったのが、周辺国が騒ぎ出し、同盟関係の国々が次々に参戦して、それぞれの国の思惑が交差し始めます。

 やがて、資本主義の先進国(英仏)と、乗り遅れた国(独墺)とのパイの再分割の戦いに発展するようになり、たちまち欧州全体の戦争に発展したのです。

 今回の事件も、安閑としていると、世の中の底辺に渦巻く、大きな不満が戦争を大きくして行く可能性があります。但し今のところは、ロシアに対して、EUアメリカがウクライナに加勢していて、圧倒的多数のウクライナ側と、ロシアとの争いになっています。ロシアにとってはかなり分の悪い情勢ではあります。

 プーチンさんにすれば、天然ガスで、ドイツや、欧州各国の喉元を押さえていますので、あからさまな反対はしてこないだろうと踏んでいたようですが、やはり行き過ぎた侵略は世界の非難の的になったようです。

 今回の侵攻が世界大戦にまで発展するのか、プーチンさんが失脚することで矛を収めるのか、或いは、だらだらとロシアがウクライナに居座って、なし崩しにウクライナを衛星国のままに置くのかはわかりません。恐らくはロシアは衛星国のままにしておきたいのでしょう。然し、もうウクライナはその立場に甘んじることはないはずです。

 

 さて、ロシアがウクライナを手放せない三つ目の理由は、ウクライナと言う国は、社会主義国のロシアにあって昔から植民地の扱いを受けて来たことです。

 ウクライナはロシアの圧政の中で極めて不当な扱いを受けて来ました。ウクライナと言う国は、本来は広大で豊かな穀倉地帯を持っていて、今も多くの産物を海外に輸出しています。

 それなら国民は豊かなのかと言うなら、全く反対で、帝政ロシアの時代から、ウクライナは、ロシア貴族のための荘園のような扱いを受けていたのです。

 ロシアが社会主義国になってもその姿は変わらず、ウクライナで働く農民は、社会主義の平等の恩恵を受けることもなく、社会保障も受けられず、全く社会主義とは無縁な形で、ただ生産した農産物をロシア人の富裕層に一方的に収奪され、わずかばかりの賃金を受け取るだけの生活を強いられていたのです。

 実際、ロシアの社会主義は、五か年計画、十か年計画などと計画経済を立てるたびに、政策は失敗し、ロシア国内でたびたび起こる不作の際に、ウクライナ穀物はロシア領内に送り込まれ販売されました。結果、1920年代から3度も、ウクライナでは大量の餓死者が出るような事態に追い込まれています。

 

 つまり、ウクライナ国内では豊作を繰り返していたにもかかわらず、ロシア国内の不作のためにウクライナでは人々が飢えて亡くなったのです。

 ロシアの政策の失敗の穴埋めをするために、ウクライナの農産物は一方的に簒奪されて、モスクワに持っていかれたのです。ロシアはウクライナの犠牲によって維持されていたようなものだったのです。

 そして今も、ウクライナではロシア系企業が産業の多くを牛耳っていて、巨大な利益を上げています。ウクライナは工業も、農業も発展していて、本来豊かな国であるはずが、ロシアに骨抜きにされ、欧州中で下から三番目の貧国なのです。

 なぜそんな立場に置かれてそのままでいられるのか、誰が考えてもおかしな状況です。ゼレンスキー大統領がロシアに絶縁宣言するのは当然なことで、ウクライナ国民もこれまでのロシアの圧政に甘んじていていいとは誰も思ってはいないのです。

 プーチンさんは典型的なロシアの政治家です。周辺の国々の幸福など考えたこともないのです。自国の安定しか見えていない人なのです。さてこの人がこの先どんな運命に至るのか。この話の続きはまた明日。

続く