手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

6本リング

6本リング

 

 今、私のところで6本リングの手順を習っている生徒さんが2人います。今でこそリングは3本、5本が主流ですが、かつて、6本リングは最もポピュラーな手順でした。

 松旭斎のお姉さんたちは間違いなく6本の手順を習得していましたし、私の師匠の清子もまた6本をよく演じていました。

 6本は、本数の多い手順の入り口に位置する手順で、6本手順を練習しておけば、その先、9本、12本と言った大きな手順を演じる際に、本数の多いリングの構造が良くわかります。

 いわば基本中の基本の演技です。然し、実際演じて見ると、かなり難しい手順ではあります。また、本数が多いため、一つ一つのリングのつなぎ外しが雑になりがちです。3本リングを演じる人たちが、本数の多いリングを馬鹿にするのは、ガチャガチャ演じる人が多いためです。然しこれは演じ手が未熟なのであって、本数の多いリングに非はありません。

 これが雑に見えずに、特定の場所から入れているように見えなく演じるのは相当に年月をかけないと無理です。無駄な動作がなくて、細部までこなれて演じられるようになるのは最低でも5年はかかるでしょう。

 こうした職人的な技巧がチラチラ見える手順と言うのは、今時はやる人も少なくなってしまいましたので。現代のお客様が見たなら、逆に新鮮に見えるかも知れません。

 

 特に私のところでは、今では継承する人の少なくなった12本リングの手順を保存していますので、これを覚えたいと言う人が少なからずいます。

 但し、この手順は誰でも彼でも教えることは出来ません。しっかり基礎を学んだ上でなければ指導は出来ません。そのため、初めから12本の手順を指導することはありません。まず6本手順をしっかり学んで、本数の多いリング手順がどういう構造で出来ているのかを学んでもらいます。

 実際、6本手順を学ぶと、9本も、12本も構造が良く似ていることに気付きます。多い本数を学ぶには最適な手順です。

 とは言うものの、6本と、9本、12本ははっきりとした違いがあります。その違いは、トリプルリングが入ることです。

 トリプルリングとキーによる4本手順の扱いは、きわめて個性的な手順が残されています。元々は、8本、9本、12本の手順の中で演じられていたものです。6本にはこの手順がないために、とかく6本は基本芸に見られがちです。

 

 ダイヴァーノンが、神様の如く尊敬した、マックスマリニーは、9本リングを得意にしていました。ヴァーノンとマリニーは恐らく1910~20年代に接点を持っていたと思われます。マリニーの演じたリングは若きヴァーノンにとって衝撃な手順だったのでしょう。恐らく、密かに一人で真似をしたと思います。

 然しながら、ヴァーノンは本数の多い手順が自身にとって不向きであることに気付いたようです。それはどんな理由かと考えるなら、本数の多いリングは体全体を使って大振りな演技をしなければ演じられないのです。

 私のところに習いに来る若いマジシャンは、どれもみな、クロースアップばかり演じている人が多く、そうした人たちにリングを持たせると、体は全く動かずに、体の向きすらも変えずに、ひたすら肘から先の半径30センチくらいの動きで12本リングを演じようとします。

 これではマジック売り場で販売しているポケットリングで12本リングを演じているのと同じことです。その演じ方ではステージマジックにはなりません。

 このため12本の演技が思いっきり小さくなり、肝心な投げ入れの技法も力のバランスを生かせずに雑になり、人差し指が毛虫の様にリングを追いかけて無理無理こじ入れるような動作をします。

 演技を体全体を使って演じると言うことを知らないのです。私の指導は先ずそこから教えなければなりません。

 ところでヴァーノンは、自分が大きなステージに立って演技をするマジシャンではないことに気付いたために、マリニーの演技の中から、トリプルリングとキーによる4本の手順部分を抜き取り、演技の核として、それにシングルリングを加え、シンフォニーオブザリング(5本)を作りました。

 9本の手順の核である、トリプルの扱いは彼にとって魅力的だったのでしょう。されど、大振りな演技の苦手なヴァーノンは、小さなリング手順(3本)と、大きなリング手順の折衷案を考え出したのです。

 今残されているヴァーノンのいくつかの映像を見ても、彼のリングは、もたもたとして、ガサツな印象を感じます。これをかつて名人芸と誉めそやす日本のマニアが大勢たことは、その当時から私は耳目を疑っていました。

 手順の面白さは勿論評価すべきですが、9本12本の手順を知る身とすれば、シンフォニーオブザリングは、どう考えても大きな手順のアマチュア用廉価版にしか見えませんでした。

 10代から、今日に至るまで、なぜシンフォニーばかりが持て囃されて、9本、12本が評価されないのか、不思議でした。実際、シンフォニーを過大に評価していたのは日本だけのようで、他の国ではほとんど演じていた人を見たことがありません。しかも、日本では、前半のリングの受け渡しを省略してしまい、いきなり音楽をかけて、トリプルの扱いから演じるのが当然の様になされていました。

 つまり、ヴァーノンが言う、「リングは渡さなければ不思議じゃない」。という大原則は、日本では全く守られなかったのです。若かった私はそんなリングの演技を見て、「こんなのリングじゃない」と一人呟いていました。

 

 私が初めて買ったリングが今も残っています。天地製(昭和30~40年代に一番実力のあったメーカー)の直径20㎝のリングです。11歳の時に買ったものです。その後、56年間使用しました。これは小さいために持ち運びに便利で、20代で12本を演じるようになるまで、欠かさず持参して舞台で演じていたものです。

 今見ても、へこみはあってもメッキは剥がれることはなく、輝きを失っていません。つなぎ目も目立たず、きれいな仕上げです。当時の鉄工所はいい職人がいたのです。

 それを出して指導すると、50数年の時間がないまぜになって、その中を11歳の私や20歳の頃の私が浮遊しています。この年になって、マジックをするとマジックはそんな風に見えるんだ、と言うのが新たな発見です。

 12歳の頃、ワイシャツのボタンをしっかり留めて、長袖のままリングの練習をさせられました。つまり舞台と同じ条件で練習をさせられました。部屋は人に見られないように締め切ってあります。真夏の部屋でクーラーはありません。手を降ろすと汗が指先からぼたぼた落ちます。汗を拭くことは許されません。部屋は全く無音で、師匠の小言だけが響いていました。厳しい稽古でしたが、それでもまた来週の稽古が待ち遠しかったのです。昭和41年のことでした。

続く