手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

玉ひで公演中止

玉ひで公演中止

 

 今月19日に予定していた玉ひで公演は中止することになりました。オミクロンの影響でお客様が集まらないことが原因です。誠に残念です。

 3月以降は通常通り公演いたします。既に3月19日の公演をお申し込みのお客様が何人かいらっしゃいますが、ご安心ください。必ずいたします。

 

 この2年間はコロナの被害(と言うよりも実際には風評被害)のお陰でほとんどの公演が失われています。この時期に、世間の皆様は、パーティを催すことがなく、ましてや、そのパーティーにマジシャンを呼ぶことをしません。そうなるといかな芸能人でも出演のチャンスは発生しません。

 

 今から5年前でしたら、私は年間80回、蝶を飛ばしていました。蝶を一回飛ばすためには3枚の半紙を使います(破った半紙がつながる演技で2枚使い、蝶の手順で1枚使い、合計3枚使います)。すると年間で240枚、他にリハーサルや、練習もしますので、約300枚半紙を使います。

 私は通常、半紙を一締め(1000枚)単位で買っていますので、1000枚の半紙を3年で消費します。然し、この2年間、半紙の消費は減り、およそ3分の一になりました。

 私の書斎の左側には、蝶に関係する消え物(使うと無くなる物)を入れる引き出しがあります。一番上には半紙。二番目には伸びる紙の帯や、吹雪、撒き(滝)。三番目には無煙線香。四番目には蝋燭。五番目には化学薬品。仕事が忙しいときには引き出しの中身がどんどん消えて行きます。然し、コロナ禍では、一締めの半紙は二年間経っても半分も減っていません。

 それでも、わずかながらも半紙が減ったのは、毎月一回、玉ひでの公演があるからです。そして私の自主公演が年間7~8本あります。プラス、イベントがあり、テレビ出演などもあります。そうした活動すべて合わせて、半紙は去年一年で150枚くらい消費しました。冷静に見て、これが私の年間に蝶を飛ばす最低ラインなのでしょう。

 それでも私は、ほかの仕事をしないでも生きて行けますので、まだ恵まれていると言えるでしょう。コロナ禍で苦労しているのは私だけではなく、芸能に生きる人すべてが甚大な被害を受けているのですから。

 

 芸能が弱い職業であることは重々承知していますが、それにしても弱過ぎます。じゃんけんなら、グーはパーには負けますが、チョキには勝てます。負けることはあっても勝てる相手があります。芸能は何に対しても勝てません。

 じゃんけんをする仲間の中に入って、グー、チョキ、パーに混ざって指一本出すようなものです。指一本が何なのだかわかりません。指一本ではグーにもチョキにも勝てません。

 コロナ駄目、不景気駄目、

 昔、名古屋の大須演芸場の社長が、雨の降る日に空を見て、「こんな雨じゃぁ、お客は来んなぁ」。と、ぼやき、また、晴れている日には、「こんなに天気がいいんじゃぁ、みんな行楽地に行って、演芸場には来んだろうなぁ」。と言ってぼやいていました。私が、「そうならどんな天気ならお客さんが来るんですか」。と尋ねると、「そやなぁ、朝雨が降って、出かけようとしたお客さんが出ばなをくじかれて、昼から晴れて、晴れたならどこかに行こかと思ったが、遠出ができんから、演芸場でもいこかなんて言うときはお客さんが来るなぁ」。

 と言ったので、私は思わず吹き出してしまいました。そんなうまい日が年間何日もあるわけがありません。そんな都合のいいことを考えているから、大須演芸場にお客さんが来ないのです。

 

 それでも、去年は幸い国の支援や、杉並区の補助金などがあって、自主公演を開催することは出来ました。

 それとても、補助金を受けながらも、観客は半分にしなければいけないとか、せっかくチラシを配布しても、感染を恐れて出歩かないお客様が多く、なかなか人が集まりません。かつてのような賑わいは望めません。

 我々は常日頃、どうやって人をたくさん集めるか、と言うことに腐心します。ところが、今は、コロナ禍にあって「なるべく人を集めないように」。と言われます。

 あからさまに人を集めるなとは言われませんが、そう言っているも同じで、補助金を頂き、支援されながらも、人を集めるなと言われては、マッチポンプと同じことです。片方でセーブされ、片方で補助金を垂れ流しています。

 こんな状況が正しいわけはなく、全く無駄な活動を強いられています。

 

 マジシャンの中にはネットで演技を配信している人もいます。ネットを利用することは今の時代に合致して、それなりの効果があると思います。然し、実演の芸能がネットで間に合うなら、初めから我々は会場費を支払って、スタッフを配して、リハーサルをして、公演などしないのです。

 生の舞台の面白さを伝えたいからこそ公演をしているのです。映像の中の世界でいいなら、実演は死滅します。

 実演の面白さは一瞬先に何が起こるか予測できないことです。どんな名人が出ても、万が一の失敗もあります。逆に予想もしなかった大感動が生まれることもあります。私自身も、「今日の舞台は人生で一番よく出来た舞台だった」。と舞台後に、楽屋でしみじみ感慨にふける時があります。何千回舞台に出ていても、満足できる舞台は生涯でほんの数回です。

 その稀有な一回に遭遇するために、日ごろから舞台を続けているのです。同時に、ご覧になっているお客様も、その一回を自身の宝物とするために、舞台を見続けています。

 そんな一回限りの舞台の面白さを伝えたいがために、毎回公演を続けています。これはビデオやDVDでは語れないのです。ましてやネットに演技を配信しても、それはセミの抜け殻のようなもので、抜け殻を指してセミであるとは言えません。

 生の舞台の面白さは、臨場感にあります。出演しているタレントを見る面白さプラス。自身が座っている周囲の観客と感動を共にすることで、自身の感動も高められます。後になってあの時のショウの何が面白かったのか。と考えても、答えが浮かばないことが多々あります。

 そうなのです。生の舞台の面白さは一回きりの面白さなのです。同じことを同じように出来ている演技を見ても、あの時の感動は二度と再現できないのです。あの舞台に感動したお客様と体験した、あの空気感はもう戻っては来ないのです。それゆえに生の舞台は価値があるのです。

 と、私がいくら偉そうに書いても、舞台の好きなお客様なら百も承知でしょう。そうです、そうした感動を私は創り出したいのです。それが出来ない日々がもどかしいのです。あと半年、あと一年、その先には何とか光が見えてくることを願っています。

続く

 

 明日はブログを休みます。