手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マダムシンコと清月堂

マダムシンコと清月堂

 

 先週大阪での指導をした折、娘から、「大阪に行ったらマダムシンコを買って来て」、と頼まれました。初めて聞く名前です。バウムクーヘンらしく、神戸大阪でかなり人気の店だそうです。「新幹線の土産売り場で販売しているので帰り際に買うにはちょうどいいでしょ」。

 そう、いつもは551の中華まんを買って帰るのですが、この日はたっての希望でマダムシンコを頼まれました。娘の願いは聞かなければなりません。

 新大阪の土産売り場で、「マダムシンコはありますか」、と尋ねると、すぐに案内されました。きっちり専用のケースが置かれていて、直径20センチ程度の赤い小箱に入っています。冷蔵してあり、「持ち運びは8時間までです」。

 2000円渡すと、いくらか小銭が返って来ました。土産の値段としては手ごろです。然し私は指導の道具があるため、持ち運びは簡単ではありません。

 しかも帰りの新幹線で、いつもは551の中華まんを2個余分に買い、それとハイボールで一杯やるのが楽しみだったのですが、マダムシンコを開けることが出来ませんので、やむなく太巻き寿しを買いました。

 ハーフサイズの太巻き寿しを良く買います。ハーフサイズでも太さがありますから、これが帰りの食事にはちょうどいいサイズです。太巻きを食べて、ハイボールを飲むといい気分になって、東京駅までうとうととします。これが疲れを取るのにちょうどいいのです。

 

 家に帰ると女房も娘もいて、赤い小箱を見て喜びました。然しすぐには食べません。夜の9時以降にはスイーツを食べないそうです。すぐに冷蔵庫にしまってしまいました。

 翌日、食後にマダムシンコを広げました。高さ8セントくらいのバウムクーヘンです。上からたっぷりカラメルがかかっています。そのカラメルに更にザラメの砂糖(昔家にあったザラメの砂糖より粒が細かいのですがそれでもしっかり粒を感じます)、これはかなり濃厚な甘みのスイーツだろう、と思わせるものでした。これを幅8センチほどに切り、レンジで温め、皿の上に載せて出て来ました。

 その味は、レンジで温めた分香りが立ち、食欲をそそります。触感はやはりザラメが強く感じられます。カラメルとザラメが甘く、甘味ファンにはたまらない味です。中のバウムクーヘンは温めた分香りが出て、触感はしっとり、さっくりとしていい味です。8分の一程度に切って食べたのですが、食後のスイーツにはちょうどいい大きさでした。

 バウムクーヘンをケーキのスポンジに見立てて、さらに上に甘みを載せるやり方はいい考えです。これならいろいろなバリエーションが出来るでしょう。残りのバウムクーヘンはまた明日食べます。あぁ、明日が待ち遠しい。

 

 さて、昨日(28日)、大樹の番組の中で私が手妻の伝授本を解説するところの撮影がありました。その撮影を私の事務所で行いました。NHKさんが訪ねて来て、古書の撮影です。

 その際、清月堂の羊羹を頂きました。銀座清月堂は古いお店ですが、私はまだ清月堂の羊羹を食べたことがありません。期待をして夜に頂きました。

 箱は大きなものではありませんが、ずしりと重くて高級感があります。中には竹皮で包んだ羊羹が二竿入っています。竹皮は無論本物です。3センチほどに切って早速食べて見ました。

 虎屋の漆黒の羊羹とは違い、これは多少紫がかった色をしています。その色目の通り、虎屋が濃厚で強烈な甘みであるのに対し、清月堂はどこかさっぱりとしています。

 フォークで切り分けながら食べていると、後味が良く、止まりません。お茶と一緒に摘まんでいたらあっという間に終わってしまいました。幸せな時間はあっという間です。もう少し食べたい欲求が生まれます。

 「私が仕事をしたために頂いた羊羹なのだから、私が遠慮する理由はない、もう少し食べよう」。と思い、再度羊羹を切ろうかと思いましたが、

 「いや、お前は糖尿病患者だ、こんな砂糖を固めたようなものを食べたら血糖値が上がるのは見えている。ここは我慢すべきだ」。と心の制御が働きます。

 するともう片方から、「どうしてそんな心配をするんだ、あと二センチ羊羹を食べることが人生にどんな影響があると言うのか。お前はもう自宅のローンも済んでいるし、娘も30過ぎて、働いているではないか。ここでやりたいことをしておかなければ、この後交通事故にでも遭って、半身不随になって、自由が利かなくなくなったらきっと後悔するに決まっている。あの時清月堂の羊羹を食べておけばよかったと。食べたいなら今だ。早く羊羹を食べたらいい」。

 「そうだなぁ、別段羊羹の2センチを遠慮する必要はないかなぁ」。と思い羊羹を切ろうとすると、

 「何をしているんだ、弟子の前田はどうするんだ、今年夏に卒業するとは言っても、卒業してすぐに仕事が来るわけではないんだぞ。大樹の時もそうだっただろう、大樹は卒業しても3年くらいはお前の仕事を手伝ってお前からの収入を頼みにしていたではないか。前田も同じだ、前田が卒業してもまだ3年。無事一人で仕事を取っていけるまで元気に活動しなければいけない。そう思ったなら体に気を使わなければいけない」。

 「あぁ、そうか、何でもやりたいことばかりしていてはいけないなぁ、ここはやはり我慢をしよう」。そう思って清月堂はまたあとで食べることにしました。

 まぁ、我慢をすることは大切なこととしても、ここで羊羹を諦めると、女房が知らないうちに友達の家に持って行って、お茶菓子にしてみんなで食べてしまう場合がほとんどです。

 一言「持っていくよ」。と断るならまだ許せるのですが、黙って持って行って、あとで「そんなのもう食べちゃったわよ、甘いものばかり食べていたら糖尿病が悪化しますよ、だから食べてあげたのよ」。と、恩に着せられます。

 いや、百歩譲って女房が食べるのはいいとしても、特に味わい深い菓子などは、じっくり一人で煎茶とともに少しずつ味わって食すべきものです。仲間と一緒に世間話をしながらポテトチップスなどと一緒に食べる物ではありません。

 羊羹を眺めつつ、ここで2センチの羊羹を諦めるのはやむを得ないとしても、これが清月堂との一世の別れになろうとは、チャチャチャちゃん(ここは廣澤虎蔵の浪曲調で)、淡き縁(えにし)に一人涙するのでした。

続く