手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

積もる白雪

積もる白雪

 

 黒髪と言う小曲の歌詞の末尾が「積もると知らで積もる白雪」と言う、意味深な文句で終わっています。今日は来るか、明日は来るかと主を待つ身の女が、だんだん積もって行く雪を恨めしく思い、つい、「積もると知らずに積もる雪には罪はないけれど、でも」、と、愚痴をこぼす姿を語っています。

 今と違って、江戸時代だったら、雪が降れば覿面に、人の往来はなくなり、しかも、何日も雪が消えることなく残ったでしょう。尋ねて来る人もなく、物売りすらも通らなかったかもしれません。食べることも風呂屋に行くことすら難しかったかもしれません。

 お富与三郎の芝居で、妾のお富が、ぬか(石鹸のなかった江戸時代は、米ぬかを袋に詰めて、ぬかの油で体を洗ったのです)の入った袋の紐を口に咥えて、女中を連れて風呂屋から戻って来る場面があります。黒板塀を伝って歩いているその姿は粋の完成形と言えます。「こんな人が路地の奥で、普通に生活している江戸の世界って、どんなに洒落ているんだろう」。と羨ましく思います。

 それもひとたび雪が降れば、たちまち静寂が訪れます。人々は早く雪が止んで、また仕事に出られるようにと、家に籠って祈っているのでしょう。

 江戸の冬はほとんど雪が降らず、晴天が多く、上州から空っ風が吹いてきます。私の子供のころでも、冬は風が強くて、電線がビュンビュンうなりを上げていたのを思い出します。

 日本海側では、シベリアから多量に水分を含んだ寒気がやって来て、寒気は日本列島の山脈によってせき止められ、越後平野ドカ雪を降らせます。雪を降らせたあと、寒気は水分を減らしたお陰で軽くなり、楽々山を越え、そこから一気に乾いた風となって関東平野を吹き下ろします。これが上州の空っ風です。

 お陰で、冬の江戸はほとんど雪が降らず。乾燥した強風が吹くものですから、町は乾燥します。そこへ火事が起こると軽く一町二町、町を焼き尽くします。「火事と喧嘩は江戸の華」と囃し立てますが、威張れた話ではありません。

 年の瀬に来て仕事もなく、生きて行くことも難しい人たちの中には苦しさのあまり放火をする人が出ます。ひとたび火を点ければ大火事になります。そのあとは、火事場の掃除やら、新規の材木を運び入れるための人足(にんそく=人手)が必要になり、何やかやと仕事が発生して、貧しい人の生活を助けます。

 冬=強風=火事=仕事=生活安定、とつながりますので、火事は人助けになるわけです。然しこれは闇の連鎖です。

火事によって財産を失う人が増え、病で寝ていた人が亡くなり、新たな困窮者を生みます。

 

 江戸の昔から、冬場は晴れの日が多いため、江戸の大きな普請(土木事業)や修理は冬場に行うことが多かったようです。東北や、新潟などでは雪深いために農作業が出来ず、人手が余るために、冬場、江戸に出て稼ぎに来る人が大勢いました。

 私の子供のころでも、爺さんの家に、冬場になると何人かの手伝いの若い衆が働きに来ていました。彼らは私に親切に言葉をかけてくれますが、言っている言葉の半分も分からないことを言っていました。

 その中の一人が、折り紙でボートを折ってくれました。あまりに精緻なその出来に私は目を見張りました。「何だと思う」、と尋ねられたので「スリッパ」と言ったら職人全員に爆笑されました。恐らく故郷に残した子供を思いながらボートを作ってくれたのでしょう。

 

 昨日は、指導のために朝6時に東京を立ち、マイナスの気温の中、中央線の電車に乗りました。東京を立つまでは寒くはありましたがいい天気でした。それが岡崎を過ぎたあたりから雪が降りだし、車窓が一面雪景色になりました。

 毎月毎月新幹線に乗っていますから、雪もあれば嵐の日もあります。慌てることではありません。日本の新幹線の信頼度は世界一でしょう。何があっても心配は要りません。

 それでも雪は往々にして遅刻をすることがありますので、予約してあるチケットよりも2台早い新幹線に乗り替えています。

 コービーを飲みながらゆっくり車窓を眺めていました。するとうとうとして来て、つい転寝(うたたね)をしました。目を覚ますとまもなく名古屋です。そう、今日は名古屋で降りて指導をします。

 指導を終えて、帰り際に駅で向井ケントさんとお茶を飲みました。このところ熱心に手妻を習いに来ています。

 彼は就職をしていますが、休みの日には舞台に立って手妻をしています。本来は洋風のマジックをしていたのですが、ある日、和の面白さに目覚め、和に軸足を置くようになったそうです。実際和を演じると、東海地方で和のマジックをする人がいないらしく、かなり忙しいようです。

 いいことです。このところそうした人がたくさんやって来て、私の教室が賑わっています。いい加減な手妻をやらずに、伝統に則(のっと)った手妻を勉強しておけば、必ずいい収入になります。やりたいと思った時に、しっかり学ぶことです。

 

 さて、名古屋から、大阪に向かいます。夜になって、雪は小降りになりました。いい具合だと思っていると、関ヶ原のあたりはまだ雪がやまず、どんどん雪が降ってきます。そのため新幹線は徐行を始めます。

 名古屋から大阪までは通常1時間の旅ですが、30分くらい遅れて大阪に着きました。どこかレストランに入ろうかと思いましたが、少し疲れました。

 駅の売店に、旨そうな太巻き寿司がありましたのでこれを買い、ハイボールを買い、ホテルに入って、シャワーを浴びて、ネットを開き、連絡事項を済まし、その後一人食事を始めました。

 窓から見る大阪の町は雪景色。太巻きハイボールでいい機嫌になりました。あぁ、幸せだ、ここならすぐにでも寝られる。こんな日があってもいいのでしょう。

続く