手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

魔の30代

魔の30代

 

 去る18日、神田沙也加さんが札幌のホテルで転落死して亡くなりました。恐らく自殺でしょう。両親は松田聖子神田正輝、芸能界で生きて行くには何一つ不自由のない環境に育ち、実際、俳優として、歌手としていろいろな大きな舞台に出演し、18日も、翌日から札幌で、マイフェアレディの主演として舞台に立つ予定だったものが、彼女の突然の死を迎え、さぞや周囲の出演者や舞台関係者は困惑していることと思います。

 

 数日前、私のブログで、昔京都に行って、テレビ番組の撮影で水芸を指導した話を書きました。実はこの時指導した女性が、神田沙也加さんでした。彼女の女優デビューで、まだ16歳か17歳だったと思います。

 この年で、水戸黄門と言う看板番組で準主役を張ったのですから、親の影響力は大きいと言えます。

 この時は、水戸黄門の特別番組で、沙也加さんは水芸一座の娘太夫として、番組の中で水芸を披露しました。初めて会った印象は、小柄で、目が大きく、愛嬌があって、お母さんによく似ていると思いました。

 芸能界では伝統的に、大物になると予想されるような新人のデビューに、よく水芸の太夫をさせます。お母さんの松田聖子さんも、多分デビューの際に水芸をしたと思います。

 私も何度か有名タレントのご指導をしました。水芸は出世のための儀式のようなものなのでしょう。

 

 実際に沙也加さんはその後、芝居に歌に活躍をします。そして30代を迎え、この先は今までの経験を活かし、安泰に芸能生活を送って行けるかと考えていた矢先の死亡の知らせでした。

 一体彼女に何があったのかはわかりません。但し、30代と言う年齢は、芸能人にとって、とても危険な年齢です。まるでジェットコースターの急上昇急降下を繰り返すような毎日で、少しも心の安定などありません。

 芸能の世界は、早い人は10代から名前売れ、当人もよくわからないうちに人気が出る人がいます。また、普通に20代で芸能の世界に入って、ほんの2,3年で頭角を現す人もいます。つまり素材が良ければすぐに売れるのです。

 ところがここが大きな落とし穴になります。余りに簡単に成功を掴んでしまうと、その先、本当に芸能が分かってくる30代までに走り疲れてしまいます。人生の真ん中で中だるみしてしまうのです。

 若いうちに大きな収入を上げると、周囲の人がバカに見えて、急に尊大になったり、わがままを言うようになったり、性格が変わって行きます。

 私生活でも、誰もが憧れるような相手と結婚をしたり、子供が出来て幸せな家庭を築いたりします。ところがそれがわずか2,3年で破綻して、子供を手放さなければならなくなったり。稼いだ収入の半分を奥さんに持っていかれたり。せっかく建てた豪邸を売りに出したり。わずか数年のうちにとんでもない変化の人生を送ることになります。

 良かれと思ってしていることが、ことごとく世間の批判の対象になり、仕事から人間関係から、私生活から性格に至るまでマスコミに叩かれまくったりします。

 別段、普段がどんな性格をしていても、いい芸を提供していれば問題はないはずです。有名人で性格の悪い人は山ほどいます。然し、性格うんぬんよりも、肝心の自分の芸が本当にやりたいことが見つかっていなかったり、今していることが未熟だったりすると、潮が引くように支持者が離れて行きます。

 ところが、そんなさ中に、とんでもない成功が訪れたりします。家庭は離婚して、仕事仲間が持ち逃げをし、信じていた親友が別のチームを作って成功したりと、生活面ではぐちゃぐちゃな人生を送っている最中に、映画の主人公になって大当たりをしたり、テレビ番組が当たったり、小説を書いたら大当たりしたりと、天国と地獄が行き交い、自分のしていること何が何だが全く見えなくなって行きます。全く芸能人の30代と言うのは天国と地獄が同居します。

 

 私の経験でもそうでした。成功と失敗が同居して、いいのか悪いのか見当もつかない人生でした。今にして思えば、30代の成功なんて本当の成功ではないのです。大成功と思っていることが実はちっぽけな成功なのです。30代で慢心していると、その先の成功は来なくなります。

 ここで一度立ち止まって、自分が本当にしたかったことは何なのか、本当にしたいことのために、今の自分に何が欠けているかを真剣に考えなくてはいけないのです。ところが混乱の日々の中で自分を考えると言うのは難しいことです。それでも、30代でしっかり自分を考えないとその先がありません。

 本当の成功は40代でやって来ます。40代で成功を掴めば、その先50代になっても60代になってもこの道で生きて行けます。

 仕事にかまけて、忙しい、時間がないと言って問題を後回しにして行くと、ある日どうにもならないことになります。

 

 神田沙也加さんが最近声が出なくなって悩んでいたと聞きました。歌手で声が出なければ芸能生活を奪われたようなものです。当人苦しみは相当なものだったでしょう。

 

 昔、大阪の歌舞伎役者で初代中村鴈次郎と言う名優がいました。鴈次郎は大阪一の二枚目で、芝居がうまく、声が良く、申し分のない役者でした、しかし仲間が鴈次郎を妬み、ある日鴈次郎に水銀を飲ませます。水銀は猛毒で、のどに張り付くと声が出なくなります。闘病の末、鴈次郎の声はしわがれ声になりました。人生のどん底を経験したのです。

 然し、その後にセリフ回しを工夫して、その声がまるで芝居のうまみであるかのように、セリフに魅力が出て、多くの観客を引き付けたのです。

 人生は何が不幸で幸せなのかはわかりません。只のいい男の、うまい役者から、水銀を飲んで以降は鴈次郎にしか出せない独自の魅力を備えた役者になったのです。

 

 沙也加さんは、誰にも頼れず、自分自身で悩み、答えが見いだせずに命を落としたのではないかと思います。でも、どんな時でも生きて行く道はあるはずです。誰か頼れる仲間が一人でも近くにいたなら、彼女を救うことが出来たでしょう。

 沙也加さんとは、至って薄い縁ではありましたが、花の先がけから、花の散りゆくまでを見たことになります。合掌。

続く