手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

12本リング幻想

12本リング幻想

 

師走の玉ひで

 一昨日(18日)は、年内最終の玉ひで公演でした。コロナ禍にあって、今年一年何とか続けて行けたことは幸いでした。

 二年前の予想では中国や台湾や韓国の観光客が押し寄せて、連日満席の客席を前に手妻を演じている予定でした。それが全く予定が外れてしまいました。でも何とか続けて行かなければなりません。以下、一昨日の感想です。

 

 一本目は早稲田康平さん。カードマニュピレーションから始まり、間にシンブルが入りました。やおら喋りに入って、ロープ切りから三本ロープまでの手順。その後に、オレンジ、レモン、エッグの中からお客様のサインしたシルクが出るマジック。これも頻繁に演じている手順なのでしょう。手慣れた演技でまとめました。

 二本目はせとなさん。お客様が指定したカードがデックの中で裏向きになって出てくるなどのカードを見せつつ、蝋燭の煙を使ってカードが変化する手順をいくつか演じました。煙はいい演出です。煙をもっと効果的に使うともっといい演技になると思います。

 三本目は前田将太。今回は卵の袋と紙卵、それに金輪の曲を続けて演じました。全体で15分の演技です。どの演技も何十回も演じて来たものですので不安はありません。この先はもっと自分の個性が出て来るように工夫しなければなりません。

 休憩後は私の手妻。引き出し、サムタイ、若狭通いの水、蝶でした。私のファンの方がお客様を連れてきてくれて、熱心に見てくれました。有難いことと思います。終わったあとは皆さんと記念写真まで撮りました。

 来年も毎月第三土曜日に催します。どうぞお越しください。

 

 12本リング幻想

 事務所に戻って、大阪セッションのDVDをじっくり見ました。伝々さんも、バーディーさんも、鈴木駿さんも、Hannaさんも、熱演揃いですごい迫力でした。その中でザッキーさんの12本リングが前半のショウでは大健闘でした。当のザッキーさんもこれほど客席が熱狂し、歓声が上がるとは予想もしていなかったようです。

 彼が私のところに尋ねて来て、プロになりたいと言ったのは、2年半前でした。いろいろ話を聞くうちに、得意芸と言うものが見当たらず、持ちネタも少ないことが分かり。私は「みっちり基礎を勉強することです。真面目に勤めたら12本リングを教えてあげましょう」。と言いました。

 ザッキーさんは以前に私の12本の手順を見ていますが、初めの内は、12本の破壊力を理解していなかったようです。「まぁ、習えるものなら学んでおこう」。と言うくらいの気持ちでレッスンを受けていたのです。

 私は約束通り2年間でロープやシルク、シンブルなどの基礎指導をし、その後12本の指導をしました。

 

 私の20代は12本リングとサムタイでどれほど稼いだか知れません。それまで。一人で喋りを交えて、ロープやシルク、卵の袋などをやっていたものを、12本リングを手順に加えた瞬間、それまでの演技と格が一段上がったことを実感しました。

 12本リングは圧倒的な破壊力を持っています。どこで演じてもすさまじい反応が来るのです。それはなぜかと言うと、12本には、他のリングをはるかに超えた不思議さがあるのです。

 まず初めに全部のリングをお客様に渡せるのです。これほどフェアなリング手順は他にありません。

 後半は造形作りです。12本は、リングの本数が多いため造形が奇麗です。ひとしきり造形を演じた後に、畳みかけるようにリングを外して行けば、一種のカタルシスさえ生まれて来ます。ちょうどチャンバラで悪人をバッタバッタと切り倒すようなあの爽快感を観客も味わい、終わった瞬間、お客様は思わず拍手をしてしまうのです。

 無論、私が演じる以前の12本リングはこうしたものではありませんでした。古い手順はリングのつなぎ外しが未熟で、お客様に渡したリングを戻してもらってから、外しもしないでそのまま造形を演じていました。その造形も、喋りながら、形を説明するために何とも冗長でした、スピード感とは無縁だったのです。

 私は20歳で習った時に、習っている最中も、もう既にどことどこを直すか、青写真を描いていました。昭和40年代ですら、若い人は誰も演じようとはしない手順でしたが、私には直せば素晴らしい手順になると言う確証がありました。

 昭和40年代のリングの主流は3本でした。然し私は、お客様に渡さないリングはいくら奇麗に演じても演者の自己満足にしかならないのではないか。と考えていました。但し、私の考えは当時は少数派でした。

 どこかで私の考えが正しいことを実証して見せなければいけません。そこで、12本の手順を作り替えたのです。

 実際その後、この手順を演じると、仕事は面白いように来るようになりました。

 

 さて、30代の末から、私は手妻に特化するようになりました。洋服を着なくなったのです。そうなると12本の出番も少なくなりました。

 私としても、私が残したい手順を誰も演じなくなることは寂しいものです。そこで、私のところに熱心に通う人には12本を指導することにしました。たまたまザッキーさん、古林さん、早稲田さんは私のそうした思いと交差した形で指導を受けることになったのです。そうして彼らは12本リングを習得したのです。もし私が今もタキシードを着て演技をしていたなら、得意芸を手放すことはなかったのです。ある意味チャンスを手に入れたわけです。

 

 最近は12本の価値に気付いた人が増えて来て、教えてほしいと言う人が出て来ました。無論、教えることはやぶさかではありません。然し、誰でもいい、と言うわけではありません。

 その人の技量と、人柄を見て、安易に又教えしない人で、勝手にDVDに出して売らないような人で、きっちり演じられて、次の時代に継承してくれる人でなければ教えることは出来ないのです。

 

 実際習ってみると、細かなテクニックや、型の秘密がいくつも隠されています。一つ一つが歴史の蓄積で、簡単に教えられるものではないのです。「受けそうなネタだから、ちょっと教えて」。と言われて、「はいどうぞ」と言うわけにはいかないのです。

 簡単にネットやDVDで、種仕掛けを取引する考え方とは真逆に位置する芸能です。これは手妻と同じです。そこのところがよく分かった人のみ、伝授しています。そんなものは古いとお考えでしょうか。でもこうしなければ芸能は残りません。DVDで分かったと思うのは幻想です。どこまで行っても実がないのです。

続く