手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

備前焼 4

備前焼 4

 

 さて備前焼は、その素朴さ、気負いのなさ、味わい深さが千利休の好みと合致して、茶席で頻繁に使われるようになります。

 そうなると、素朴さも気負いのなさも、使い手の好みに従うようになります。使う人たちの細かな好みに合わせて、備前はどんどん洗練されて行きます。これはある意味備前の持つ自然な味わいとは相反することになります。

 それでも備前は道を曲げることなく、茶席の求めに応えて、地味や、渋さを演出し続けます。

 茶道は日本の価値感に大変革をもたらした。と書きましたが、それは今も脈々と続いています。

 茶道は華美なものを嫌います。日常の中に美を見出そうとします。そうであるなら、権力者や、金持ちでなくても、心を研ぎ澄まして周囲を眺めていれば、日常の美を見つけ出すことが出来ます。

 世界中の人と比べて、日本人は総体地味な服装、地味な生活をしています。あまりキラキラした服装は好みません(大阪のおばちゃんは例外です)。皇室を見ても、海外の王様のように、部屋の中に宝物を飾ったりはしません。海外の賓客と話をしている姿を見ても、実にシンプルで、質素です。

 過度に身を飾らない。相手を思いやる。質素な中に美を見出す。そうした考え方が日本人全体に浸透しているように思います。これは利休と言う一代の天才が、日本の文化を大きく変えたことに始まります。

 特に戦国末期の利休の周辺は、一流の歌人、書家、諸道具の製作者、僧、哲学者が集まり、日本を代表するサロンが形成されていました。茶を飲むと言う行為が単に喫茶だけではなかったのです。このサークルに入っていなければ、日本の文化人とは言われなかったのです。利休は日本の文化をトータルコーディネートした人だったのです。

 現代でも、能力のある人なら、服は何を着るか、スーツは何を着るか、シャツなどうする、靴は、鞄は、車は何に乗るか、本は何を読むか、映画は何を見るか、決して贅沢はしないまでも、「この人は文化程度の高い人だなぁ」。と思える人は日常の様々なことをどう選択して生きているかに注意を払います(それが本当に大切かどうかは分かりません。本来どう生きようかと言うのは個人の勝手です。然し、ある種、トータルコーディネートされている生き方を見つけると言うのは、何も知識のない人にとっては、生きて行く上で参考にはなります)。

 利休のパトロンであった、豊臣秀吉が、茶に凝って、度々茶会を催したのですが、秀吉の好みはまったく権力者の自慢を世間に披露するものでした。

 特にひどかったのは金の茶室を作ったことです。部屋から、釜から、茶わんから、そこにあるものはすべて金。金が高価であることは誰でも知っています。でも、それを自慢したところで所詮自慢です。相手を思いやることにはなりません。

 利休は秀吉のセンスのなさに呆れ返ったことでしょう。秀吉に比べたなら、織田信長は、茶道の見方は的確でした。信長は茶道に没頭し、茶道の本質をよく理解しました。自身が茶道に惚れ込んだだけでなく、信長は戦国大名に茶道の面白さを伝えて行きます。これにより戦国末期には茶道は一大ブームとなります。

 秀吉もその影響を受けて、利休を茶道の指南に招きます。然し、信長の家臣でありながら秀吉は、茶道の本質を見極めることはできませんでした。同様に、家康は、初めから茶の湯に距離を置きました。家康は茶道は嫌いではなかったのですが、侘びだ寂だと言いながらも、何かと費用のかかる茶道を警戒していた節があります。茶道から習うまでもなく、家康は日常、華美なものを好まなかったのです。

 

 話を備前に戻しましょう。伊部(いんべ)の駅から車で30分くらいのところに閑谷学校があります。これは岡山藩主の池田光政公が建てた藩校で、今日の高校大学に匹敵するものです。かなり町から外れたところにありますので、今でもとても静かな場所です。大きな建物ですが、この建物の屋根は茶色一色で、全てが備前焼で出来ています。大きな重い瓦が全て備前焼です。大名のしたことですから、贅沢はし放題だったでしょうが、備前の土が無くなってしまった今では、これだけの瓦を造ることは不可能です。この瓦を見るだけでも、閑谷学校は価値があります。

 備前焼にご興味なある方は、是非閑谷学校を訪れることを推薦します。但したたずまいは地味です。座敷にも上がれますので、そこに座って、四方の景色をしばらく眺めていると、江戸時代の学校の様子が少しずつ見えて来ます。

 閑谷を訪れるなら、小雨の降る日がいいでしょう。そううまいこと雨は降りませんが、小雨そぼ降るときに、面倒くさいからと言って、閑谷行きを諦めるのは勿体ない話です。

 新緑の時にでも出かけて、小雨の中を、生き生きとした緑の中、奥にひっそりとたたずむ閑谷学校を見ると、雨で備前の瓦が濡れて、くすんでいた色がつやつやして来て、わずかに華やいで見えます。「この地味な風景にも、何気な自己主張があるのだなぁ」。と思うと、この時間の幸せを実感します。

備前焼終わり