手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

備前焼 3

備前焼 3

 

 さて、私も何度か榊原清人先生のところにお伺いして、作業を見ているうちに、土をいじってみたくなりました。土ひねりは、ろくろと言う回転盤の上に粘土の塊を乗せ、回転を利用して、両手で粘土を外側から抑え、粘土の中央に両手の親指を入れ、初めは平らに伸ばします。ここでやめたなら、皿が出来ます。

 それをそのまま、端を少しずつ持ち上げて行くと、抹茶茶碗が出来ます。更に、端を絞って行くと花瓶ができ、さらに細く絞り上げると鶴首の、一輪差しの花瓶が出来ます。

 抹茶茶碗などは、形がとりにくく、均質に薄く土を伸ばして行くのが素人には至難の業です。初めはどうしても、伸ばす端が薄くなって、土が切れてしまうのを恐れて、厚手な茶碗を作ってしまいがちになります。そうすると、出来上がった作品を持った時に、どうにも重い茶碗が出来ます。

 私なんぞは、ひねっているときは、結構いい形になったなぁ、と思って、作品を焼いてもらうと、ぼってりと分厚くなって、(陶器は、窯に入れると、作っていた時のサイズよりも15%くらい小さく固まります)。

 そうなると、まったく素人作品になってしまってがっかりすることがあります。(それでも自作の茶碗は捨てがたく、舞台で使っています。時として、海外などの仕事の移動の際に、清人先生の作品を割ってしまうことがあるのですが、私の作った抹茶茶碗だけは頑固で決して割れません。いいことなのか悪いことなのか)。

 茶道具は何とも細かな約束事がたくさん詰まっていて、形の取り方が難しく、簡単にはできません。それは当然なことで、陶芸作家にとって、茶道具の抹茶茶碗の評価がそのまま当人の技術評価になってしまいます。

 普通の湯飲みを作って、東京のデパートで展示しても、いいものでも5000円とか、7000円くらいですが、抹茶茶碗を作ると、普通で30000円くらいから始まって、出来のいいものは50万円とか、70万円もします。

 それほど高価な商品になりますから、茶わんの景色にこだわったり、土や、形状にこだわるのは当然です。窯に入れるときでも、前の方の中心部分に抹茶茶碗を置きます。私は出来た作品を見て、簡単に価格を当てることはできませんが、いいものは隙がなく、土の色、形、景色とも三つ比べても申し分のないものがあり、眺めていてもため息が出ます。

 

 榊原清人先生は、榊原三兄弟の真ん中で、上から貢、清人、学と三人とも陶芸作家をしていました。貢さんはもうだいぶ前に亡くなりましたが、時としてとんでもない個性的な作品を世に出したりします。人付き合いが不得意で、終日部屋に籠ってコツコツ作るタイプの人でした。

 逆に清人さんは陽気で、酒が好きで、人を家に招くのが好きで、たくさんのファンがいました。

 弟さんの学さんは、堅実で、まじめな作風です。性格はそのまま作品に反映されて、清人先生の作品は地味な備前の中でも華麗で人気があります。

 この三人の陶芸を支えたのが、お父さんで、お父さんは土の販売をしていました。備前焼は今でもたくさんの陶芸家がいますが、残念なことにもういい土が備前にはありません。千数百年かけて、陶器を作り続けて、方々の山が全く消え失せ、平地になってしまいました。

 (神戸から岡山に向かう新幹線が、山がちのところを走っているときに、急に、わずかな平地があって、そこの地面が、貯水池のように薄く水が張っているところが延々続きますが、実はあそこはかつては山だったのです)。山と言う山はもう掘りつくしてしまったのです。仕方なく、田んぼの下1mほど掘って、粘土層の土まで備前焼に使ってしまい。もう備前にはどこを掘っても良質の土が無くなってしまったのです。

 かつて藤原啓と言う名人が出て、この人が備前の土の鉱脈を発見して、生涯安定した作品を送り出しました。当然、啓さんの土は素晴らしく、技術も人間国宝にまでなった人ですので、備前焼の世界では一番の人です。

 榊原三兄弟は、お父さんのお影で、三人が一生使う分の土が残されたため、昔から三人の評価が高く、特に新幹線が岡山までつながったとき(昭和42年ころか)に、備前焼ブームが起こり、若手三人は引っ張りだこの人気になります。

 清人先生はその頃ジェット機まで所有していて、一杯うどんを食べに行くときに、備前に尋ねて来たお客さんを誘って、ジェット機で対岸の高松まで行って、うどんを一杯食べて帰ってくるような、遊び心がありました。

 清人先生は気宇壮大な人で、随分私の演技を応援してくれました。今は体調を壊して入院をしているようですが、また元気になって、作品を作っていただきたいと思います。

 

 今は茶道具もなかなか派手には売れず、陶芸家も苦労していると思います。かつて、三越の展示会などに清人先生の作品が出ると、高いものから売れて行きました。私などは欲しいと思っていてもとても手が出ないような金額でした。

 私は、茶道具ももちろんですが、日常の食器に興味があります。盆の上に、有田や、九谷の皿を並べた中に、たった一つ備前の板皿などを並べると、華麗で美しい有田や九谷よりも、そっけない素焼きの備前の存在感が圧倒的に力を発揮します。

 特に、板皿の上に、白いもの(蒲鉾など)を乗せると、とても美しく、食べ物の存在感が光ります。マグロの赤い刺身もいいです。マグロの背中にシソの葉などを飾ると、芸術品のように盆の上が美しくなります。そんな刺身をつまみながら、備前のぐい飲みで酒を飲むと、生きている幸せを感じます。

 あぁ、そんな話をしていると、マグロで一杯やりたくなりました。何だ、よく考えて見ると私は備前焼が好きなのではなく、酒を飲みたいだけなのかもしれません。

続く