手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

花咲か爺

花咲か爺

 

 さて、一昨日(2日)に作曲が出来て、デモDVD が送られて来ました。昨日の朝、何度も音を聞きながら、自分で手順を演じて見ましたが、当然ながら何か所かうまく行かないところが出ました。全体は、8分30秒の音楽です。

 部分的にはそっくり書き換えの部分もあります。でも仕方がありません。私の欲しいものとは違うのですから。演奏家は杵家七三(きねいえなみ)社中で、昔から演奏をお願いしている皆さんです。三味線、十三絃琴、十七絃琴(低音楽器)、笛、鼓、太鼓、6人編成になるでしょう。

 当日は生演奏で聞かせてもらいます。

 曲の中には、テーマである桜をイメージして、「さくらさくら」が出て来ますし、花咲か爺さんの曲である「裏の畑でポチが鳴く」のメロディーも出て来ます。

 昭和九年に演じたときの天勝師の踊った、「吉原雀(よしわらすずめ)」も出て来ます。ジャズのノリの部分もありますし、聞いていて、堅苦しいものではありません。

 何にしても、邦楽も、手妻も、子供さんが見ても親しみやすいものと捉えてもらいたいと言う考から作ってみました。

 

 結局、昨日は、朝から音楽を聴いて打ち合わせをして、道具の手直しをして、一日は終わりです。夕方になって、歌舞伎の衣装屋さんから、花咲か爺さんの衣装と、犬の衣装が出来たと連絡が来ました。先月末に衣装屋さんに行って、試しに着てみたものの直しが出来たのです。

 明日(5日)に出かけて、再度衣装を合わせて見ます。明日の結果次第で、出来がいいようなら、今度は、音楽と、衣装と小道具を一緒にして、手順稽古です。踊りの部分の振り付けもお願いしないといけません。そうなると藤間章吾先にご協力を願わなければなりません。

 大道具を並べて、舞踊のできる場所と言うと限られています。場合によっては数日、猿ヶ京に籠るかも知れません。

 面白いですねぇ、自分の人生が創作作品のために動いています。毎日毎日、他のジャンルの人と一緒に稽古が出来る。こんな人生を送っているときが最高に幸せです。私にとっては最も贅沢な人生です。この先の20日間は相当に集中して稽古しなければなりません。さてどうなりますか。

 

 コロナと医師

 どうも、コロナの病床数のひっ迫は人災にあるようです。元々日本は、医師の数も、病院の数も世界一なのです。然し、コロナのような感染病が流行ると、たちまち病床数が足らなくなります。それはなぜか、

 日本は町医者が多く、個人の病院が大半を占めているのだそうです。医療設備の整った、24時間体制で病院を運営している国公立の病院は数が限られていて、コロナに対応できる病院が少ないのです。

 結果、このコロナ禍においては、一部の病院に患者が集中し過ぎて、忙しい病院は、24時間全く休む間もなく働かなければならず、逆に個人病院や、設備の整わない病院は、患者がいなくて閑古鳥が鳴く状態になっています。

 そうなら、国から費用を出してもらって、個人の病院の医療設備の充実を図ったらいいと言うことになりますが、個人病院は医師が一人と言うところが多く、そもそも24時間体制で患者を見ることが不可能です。救急対応もできません。

 そうなら医師を増やせばいいと言うことになりますが、この先の少子化が進めば、病院も患者が減って行くことは見えていますので、今以上に大きな経営にするには、医師は躊躇します。

 それなら国や県が大病院を作ればいいと言う話になりますが、医師の立場からすれば、それでなくても患者が減っている状態で、近隣に大病院が出来たなら、多くの個人病院は倒産します。そのため大病院建設には医師会は大反対をします。

 結果、コロナが蔓延しても、対応できる病院は限られ、感染者は放置されます。感染者は仕方なくホテルに泊めさせられ、殆ど医療の処置もされず、寝たきりの生活を余儀なくされます。

 それでもホテルに入れたならまだましで、自宅に待機して、調子が悪くなると救急車で病院に搬送されますが、病院が満床だとなると、ぐるぐる救急車が街中を徘徊するばかりで、病院の受け入れ先が見つかりません。

 そうしている中、症状が悪化して救急車の中で亡くなる患者が出ます。

 

 おかしな話です。日本は世界一医療設備が整っているはずなのに、病院の受け入れ先が決まらないまま、人が亡くなって行きます。病院はいくらでもあるのに、受け入れ先がないのです。

 イギリスでもフランスでも、コロナの感染者が一日三万人、五万人と出ていても、感染者を受け入れているのに、日本ではわずか五千人の感染者で、医療ひっ迫と騒がれています。

 病院はたくさんあっても、人の命は救えていないのです。そんなところに、我々は、保険料を支払い、更に税金が投入されています。税金を使うことは結構ですが、一朝有事の際に、何とか感染者を受け入れられる方法はできませんか。税金も保険も、医者を養うために存在しているように見えます。

 今回のコロナ災害は、日本の医療の脆弱さが見えてしまいました。それを分科会は、飲食店の責任に置き換えて、劇場も、観光地も、飲食店も、時間制限をして、多くの関係者の生活をを圧迫しています。元をただせば、病院がやらなければならないことに目を背けている結果がコロナ禍なのではないですか。

 救急医療施設を数か所作って、医師を募集すれば、いくらでも感染者を受け入れられるはずのものを、今は、助かる命も失われています。さてこの先はどうするのでしょうか。

 飲食店や劇場を目の敵にして、景気悪化を顧みず、飲食店を閉鎖しますか。本当に飲食店が悪いのですか。それとも医師会の反対を押し切って病院を作りますか。どっちが国民に有益でしょうか。岸田さん、政治力を発揮してください。

 いつまでたっても日本に春はやって来ません。桜の咲く日はいつでしょう。花咲か爺としてはその日が待ち遠しいのです。

続く