手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

価値の崩壊

価値の崩壊

 

 この10年間でものの価値観がどんどん崩れて行っています。この先の時代は今までと明らかに違った社会になるでしょう。

 商売でいうなら、駅前と言う価値観が崩れてしまいました。かつては駅の前から商店街が並び、駅に近い順に土地や家賃が高く、家賃の高いところで商売をする店は十分に潤っていたのです。然し今は、駅近くでも閉鎖している商店が目立ちます。

 賑わっている店ももちろんありますが、そうした店はテナントが多く、借りている店は、チェーン店ばかりです。むしろ流行っている店は駅からの距離に関係なく人を集めています。

 デパートもかつては、大きいこと、駅に近いことで人をたくさん集めていました。私が浪人時代に、マジック売り場でアルバイトをしていた時に、毎週日曜日になると開店と同時に子供の大群が走りながらおもちゃ売り場に集まってきました。その一団は迫力がありました。今はおもちゃ売り場で子供の姿を見ることもまばらです。

 デパート自体も人が少なく、店員が暇を持て余しています。これでデパートはやって行けるのか、客ながら心配になります。

 今から20年前に、ニューヨークのメイシー百貨店出かけたときに、建物の立派さとは逆に、店内の商品がまばらで、商品ケースさえなくなっていて、空白になっているスペースがあったりしてびっくりしました。エレベーターも、エスカレーターも旧式で、エスカレーターなどは、床が木製で、乗っていて、がたがたと揺れて不安になりました。

 かつては、越後屋呉服店(のちの三越デパート)が、明治の末年にデパート経営に乗り出したときに、越後屋の番頭さんがニューヨークに視察に行き、メイシー百貨店を見て、その建物の豪華さに驚き、高い天井、大きなシャンデリア、分厚い絨毯に土足で上がる客を見て、度肝を抜かれたと言う、あのメイシーです。

 それが私が出かけたときにはもう人の興味を集める店ではなくなっていたのです。メイシーのガタガタ揺れるエスカレーターに乗りながら、「どうしてメイシーほどの店がこうなったのか」。と思いました。

 同じことを二十数年経って、日本のデパートを見て思います。商売はネット販売に押され、小売店の売り上げはどんどん減らしています。それはそうなのですが、生き残る道はないのでしょうか。

 私などは物を買うときには小売店やデパートに行って、実際物を見て買います。然し、若い人は普通にネットで買い物をします。ネットは時として粗悪品を掴むときもあります。然し若い人はあまり気にしないようです。

 そうした人がお客様なら、小売店もそのように対応して行かなければいけないでしょう。無論無責任な商売はできません。でも何よりネットのお客様はスピードの速いのが取り得です。私のショウのチケットなども、ネットに流すだけでかなり素早くチケットが売れます。

 かつて、自分のショウの座席を埋めるためにどれほど手紙を書いたことかと思うと、そうした雑務から解放されたことは幸いです。

 

 同様にテレビ然り、マスコミ然りです。家族全員でテレビを皆が食事をしながら見ていた時代と比べ、今では明らかにテレビの影響は下がっています。テレビも視聴率が取れなくなって予算もさがっているようですから、お金のかからない番組ばかりが目立ちます。

 ひな壇にお笑いタレントを並べて世間話をする番組をどこでも普通にやっています。お笑いのネタを見せる番組も、二時間くらい普通にやっています。結局タレント任せです。

 マジックの番組もありますが、クロースアップばかりです。まともなステージマジックはほとんどなく、なかなかいいショウが見られません。クロースアップは、ひな壇ではないにしても、ただ驚くタレントを並べて、マジックを見せています。

 それを本当に視聴者が求めているのかどうか、見ていて、これで大丈夫かと不安になります。

 私自身マジック番組を見なくなってもう20年近くなります。まったく見ないわけではありませんが、見ていて面白いと感じなくなってしまいました。

 私がそう思うのと同じように、お笑いファンも、今のお笑い番組に疲れてきているのではないかと思います。

 一つ一つ、マジック、或いはお笑いの何が面白いのか、どうしたら面白さを番組で伝えられるのか、を考えて、タレントやマジシャンをピックアップしたなら、きっといい番組が出来るのになぁ、と思います。今のテレビは雑です。

 

 新聞はかつては絶大な力がありました。しかし今では新聞の購読は激減しています。今は年寄りが読むばかりで、若者が通勤電車の中で新聞を読む姿を見ません。大概は携帯電話を忙しく動かしています。ネットで間に合うのでしょう。

 そのネットに書かれていることと、新聞が書いていることではあまりに内容が乖離しています。ネットを読んで多くの人は、これまで如何に新聞の報道が偏向していたかを知って愕然とします。

 単純に言って、政府批判ばかりして、代案を示しまません。自衛隊は反対と言って、じゃぁ、北朝鮮のミサイルから国民をどう守ると問われれば、答えは示せません。

 中国政府が香港の中国化を強制していることに香港人は身を持って反対しているのに、マスコミは助けようとはしません。ウイグル自治区の弾圧にもマスコミは頬かむりをして、記事にも載せません。記事にしたとしても解決策は示せません。

 しかし世界では明らかに中国の横暴に反対をしています。クアッドなどはその活動の一つです。そうなら日本政府をもっと積極的に後押ししたらよさそうなものですが、マスコミは伝統的に政府のすることに反対します。ではどうしたらいいのかと問うても答えが出せません。つまり反対の反対ばかりしています。

 そうしたマスコミの態度に国民は離れています。20年前には存在しなかったネットが主流になりつつあって、しかもそこでは中国問題でも韓国、北朝鮮の問題でも規制されることなく、自由に話し合われています。世の中は大きく変わってきています。

 私はいい時代になったなぁ。と思います。本当のことをみんなが真剣に考えるようになったからです。価値観が変わることは昆虫の脱皮のようなものなのでしょう。生まれ変わることを躊躇する必要はないのです。

続く