手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナは収束します

コロナは収束します

 

  コロナは急激に収束して来ています。ワクチン接種率は60%に達し、なお、ますます増加しています。今の感染者の数だけを見たなら、緊急事態宣言は解除してもいいと思います。

 アメリカなどでは、ワクチンを二回摂取した人は、免疫が出来ているわけですので、積極的に社会に出て、仕事や、バカンスをしたほうがいい。というふうに、積極策が奨励されています。実際アメリカの社会ではどんどん日常生活が復活しています。

 マジックキャッスルは活動を再開していますし、ラスベガスのショウも、ニューヨークのショウも再開を始めています。当然観客もたくさん押しかけてきています。

 

 日本はどうでしょう。二回の接種をしてもまだ安心してはいけない、などとマスコミが言っています。随分と考え方が違います。余りに過剰な反応をしてばかりいると、社会そのものがいつまでたっても活動できません。

 二回の接種が済んだなら、飲食店にも、観光にも積極的に出かけるべきです。飲食店も、規制を解除して、アルコールも自由に飲めるようにすべきですし、営業時間も通常に戻すべきです。ワクチン接種者は勿論、感染して回復した人たちも、免疫を持っているのですから、どんどん社会に出て仕事をしたらいいと思います。

 

 結局この二年間を見ると、日本人は、コロナによって人口が減少するような事態は起こらなかったのです。かつてのコレラや、スペイン風邪のような被害とは明らかに違い、何十万人何百万人と言う死者は全く出ませんでした。

 江戸から明治にかけてのコロナの流行は、江戸末期のコロナだけでも、江戸で10万人の死者が出たと言います。当時江戸の町が百万人の都市だったにもかかわらず、そのうちの10万人が亡くなったのです。その時は江戸の火葬場が間に合わず、棺桶の値段が高騰したと言います。

 コロナではそんな状況はついぞ一度も起きませんでした。毎日マスコミが発表する死者数は、日本人の平均死者数を上回ることはなかったのです。

 私は、コロナの感染が始まった当初から、今に至るまで、コロナは風邪だと言い続けました。そしてマスコミは過剰に反応しすぎると言いました。実際数値を見る限り、コロナの猛威と言いながらも一度も猛威を振るうことはなかったのです。

 どこかのお医者さんが、「このままでは40万人以上の死者が出る」、と危険を煽りましたが、二年間のトータルをしても、40万人の死者は出ませんでした。今報道されている数百人の感染などと言う数値は、テレビが連日報道する数ではないのです。

 近々のコロナの特効薬が発明されるでしょう。それが年内か、来年春くらいか。そうなればコロナはインフルエンザと一緒で、さほど心配する病気ではなくなります。

 

 むしろ本当の被害は、マスコミや分科会先生方の煽りによって、倒産する企業が増加して、仕事を失った人たちが、家のローンが払えず、家を手放す状態になってしまったこと。学生が学校に通えず、クラブ活動などで、後輩とのコミュニケーションが取れず、全く指導や継承に大きな空白が出来てしまったこと。この空白は重大な問題で、修復するにはこの先5,6年を要すことになると思います。

 社会不安は格差社会を生み、弱い立場の人たちに一層生活を圧迫することになります。明らかに経済はしぼみますから、不景気を覚悟しなければいけません。元を問えば、決してコロナが悪いわけではありません。コロナの危険を煽り過ぎたことが原因です。

 マスコミは自分自身で不景気を作り出して、その不景気によってマスコミ全体が不景気に陥っています。ブーメランを投げて自分の頭に当たったようなものです。にもかかわらずマスコミは、今も連日何の進展もしないコロナの危険を煽ったニュースショウを続けています。あんなものを見ていては生活が成り立たなくなります。

 こんな時期に、国民にもっともっと希望を与えるような明るい方向を示す人は現れないのでしょうか。大谷翔平選手はその中の数少ない一人でしょう。大谷選手は人のできないことをやってのけて、話題を集めています。

 でも、もっと、この先の世の中をこう生きたらいいと、指針を示せる人が出ることを望みます。いや他人事ではなくて、私のマジックが生きる望みを与えるようなことが出来たなら、もっともっと人の役に立てたのなら、 私の存在理由はあるのですが、どうにも私の力卑小です。何とか多くの人が元気になって、心から楽しめるマジックショウがしたいと毎日考えています。

続く