手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

市民会館 2

市民会館 2

 

 一回で終わるブログのつもりが、とても書き足らないので、もう少し書かせていただきます。

 

 日本にある市民会館などでは、借りる際のルールが微に入り際に渡ってこまごま守るように要求されます。時としてその行為は異常です。

 例えば、異常に舞台にこだわります。普通に靴を履いて出て来て演技することすら問題視する劇場があります。確かに、能舞台のように、磨き込まれた床ならば、靴はまずいでしょう。いや、靴どころか、靴下で上がることすらまずいのです。

 靴下は汗がにじみ出てしまい、檜の床を汚します。足袋なら、生地が厚手で汗が外に出ません。

 然し、通常、土足で上がる舞台なら、何を履いて舞台に出てもOKのはずです。

 ところが、劇場によっては、普段履きの靴で上がることを嫌がるところがあります。つまり、舞台シューズを求めて来るのです。一般の素人さんに劇場を貸している劇場が、上履きを要求をしたら、素人さんは慌てるだけです。そこで、普段履きの靴の裏を、雑巾で拭かせたりするのですが、異常です。利用者に失礼です。欧米でそんなことを言う舞台は考えられません。

 同様に楽屋で張り紙をするな。ガムテープを使うな。使った湯飲みやグラスは洗って、元の返却の位置に置け、使ったテーブルや椅子も返却の位置に置け、ごみの持ち帰り。いやはや、余りに細かく規定されていて息が詰まります。

 欧米の舞台に出て、楽屋に細かな規定があったことなど一度もありません。楽屋と言うところは、わけのわからぬ写真や、いたずら書きがいっぱい張ってあり、初めから汚れているのが相場です。セロテープやガムテープも一切苦情はありません。

 それでもあまりに汚れが目立ったり、いたずら書きが増えると、劇場は、部屋中を緑のペンキで塗りたくって一掃します(欧米では楽屋をグリーンルームと呼ぶことがあります。なぜかは分かりませんが、楽屋の壁は緑に塗る場合が多いです)。

 とにかく、楽屋でガムテープを使うと担当者が飛んできて、苦情を言うのは日本だけです。欧米では、基本的に人に舞台を貸す、部屋を貸す行為は、汚れることが前提ですのです。そのための修復費を市や県の予算からもらっているのです。常識の範疇の使用なら、苦情を言われる筋合いはないはずなのです。それが日本では劇場の都合を押し付けて来ます。

 我々は短い時間に道具の搬入をして、リハーサルをし、本番に間に合わせなければいけません。利用者はその一分一分に対して費用を支払っているのです。貴重な時間です。それを中断してリハーサルを止めたり。苦情を聞くために事務所に出かけることは、芸能活動を妨害しているのと同じ行為なのです。

 

 蝶を演じるときにしばしば私は蝋燭灯りで演じます。更に、客席に降りて行くときにも、面灯(つらあか)りと称する、長い棒の先に蝋燭を付けて、後見が私の演技を追いつつ棒を持って蝋燭を照らして行きます。電気のなかった時代はこのやり方は普通のもので、面灯りがないと蝶は客席の奥では見えなかったのです。

 そのやり方が古風で、絵柄を見ると、江戸時代や明治時代の雰囲気が伝わって楽しめます。そのため頻繁に蝋燭灯りでの蝶を演じています。

 これを演じるためには、消防署に出かけて、事前に内容を写真で示して許可申請を取っています。ある時、当日になって、劇場側がリハーサルを見て直火を許可をしないと言い出しました。そしてリハーサルの最中に事務所に呼ばれ話をしました。

 「ローソク灯りは駄目です」。「駄目とはどういう理由ですか」。「炎がかなり上がっていて危険です」。「しかし、消防署では火の高さを了解していて、これらのすべての許可が出ていますよ」。「消防署は許可しても、劇場の許可は出せません」。「奇妙ですね。初めにこの劇場を借りる際には、直火を使う場合は消防署の許可を取ってくれと言われました。そして許可を取ったのに劇場として許可ができないと言うのは話が違いませんか。そうならなぜ消防署の許可を取らせるのですか」。

 この辺りで劇場管理者は、私がそこいら辺の親父でないことに気付きだします。論理で攻めてくる私に内心慌てるようになります。「いや、余り大っぴらに火を使われても困ります」。「蝋燭灯り二本ですよ。大っぴらですか」。「まぁ、そうですが」。

 「駄目というのはあなたの判断ですか、劇場の判断ですか」。「劇場の判断です」。「初めにお借りする際に、蝋燭灯りの件は何も書かれていませんでしたよね」。「えぇ、書かれてはいませんが、私が見て危険と判断したので中止を申し入れたわけです」。「つまりそれは劇場の判断ですか、あなたの判断ですか」。「私の判断が劇場の判断です」。

 「さて、まるであなたがこの場の法律だと言いたいようですね。それなら申し上げます。今晩はテレビ局が入っていて、録画をします。私らはすべての申請をクリアした上で今晩のテレビ撮りをしようとしています。この内容のショウが取れないとなると、場合によってはテレビ撮りをやめることになります。その際にはあなたに今日までかかった経費と、番組制作費、それに慰謝料を請求しますが、その件はご理解いただけますか」。

 「いや、これは劇場の決まりでして」。「その劇場の決まりがあなたの判断なのですよね。あなたがこの場の法律なのですよね。そうならあなたに請求をしますが宜しいですか」。すると相手は折れて、「それでは今回だけ直火を許可します」。と言います。

 然し、そんな曖昧な判断ではこの先、弱い立場の利用者が同じように威嚇されて、芸能活動が出来なくなります。そこで、

「私のショウをご理解して、許可して下さったのはありがとうございます。然し、何でこんな話をリハーサルの最中にしなければなりませんか。私にとっては貴重な時間ですよ。既に降りている直火の許可をここで蒸し返すことは無駄以外の何物でもありません。失礼ですが、あなたに芸能を支援したい、芸能を愛していると言うお気持ちがありますか。あなたのなさったことは芸能活動を妨げていますよ。この文化会館は税金を使って芸能の邪魔をする組織ですか」。

 これで相手はアウトです。私に対して謝罪こそしませんでしたが、言葉は乱れっぱなし、支離滅裂なことを言って、相手は逃げるように去って行きました。

 市民会館は勘違いをしているのです。自分たちのしていることが市民の役に立っているかどうかを考えていないのです。規約にもないことを平気で言って高圧的な態度で出て来て、「嫌なら貸さない」と言って脅すのです。

 何度も言います。公務員に芸能芸術を管理させることはおやめになることです。金ばかりかかって物の役に立たないのです。市に金があるなら、民間や有志を支援することです。

続く