手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

親ガチャ 1

親ガチャ 1

 

 若者の間で「親ガチャ」と言う言葉が流行っています。これは、「子供は自分の親を選ぶことは出来ない。だから誰の子として生まれて来たかが、人生の大半を決めてしまう。ガチャと言う自販機と一緒だ」。と言う話。

 ある種、受け身でものを考えていて、それが諦観になっています。実際、それはある意味正解と言えます。

 親が誰であるか、と言う話はさておいて、例えば、日本人として生まれたか、ウイグル人として生まれたか、アフガニスタン人に生まれたかで、今見えている世界はまったく違ったものに見えるはずです。

 一日12時間以上も働かなければならない国に生まれたとか、耕してもほとんど実りの少ない土地に暮らしているとか、ひどい女性差別の中で暮らす女性とか、幼くして武器を持たされて戦争に明け暮れる毎日とか。

 決して自分が望まなかった生き方を周囲に強制されて、そこで苦難の人生を歩まなければならない人たちは、その人に罪はありません。そこに生まれ合わせたことで運命づけられています。これはいわば親ガチャであり、親と言うよりも、国ガチャと言うべきでしょう。

 日本で、親ガチャと呼んで自身の運命を諦めて考えることは、少し違うと思います。日本で生きることは、生き方にかなり幅があって、人生の裁量は当人の才能によって相当個人差が出ると思います。

 勤め人を選択しても、私のような芸人を選択しても、親の商店を継いだとしても、そこから先の人生は相当に個人の努力と才能、センスによって差が大きく出ます。

 日本に生まれたなら、国や、周囲の仲間や家族が協力してくれる可能性は決して小さくなく、そのためには、私のような舞台に生きる者(個人事業をしている者)は、自分がどんなマジシャンになりたいか(どう生きて行きたいか)、という方向性をはっきりさせて活動していれば、周囲の協力を得られる可能性は多々あります。

 

 私の親父はお笑い芸人でした、私が物心ついたころには人気が陰っていて、仕事自体もあまりいい仕事をしていませんでした。夏祭りのお祭りの屋台とか、中小企業の会社の忘年会とか、ヘルスセンターの休憩所での余興とか、まぁ、大した収入にならない仕事ばかりでした。

 私も子供のころからマジックをして、親の仕事のつながりでショウをしていましたが、大学浪人のころには、私が見ても、ただ来る仕事を受け身で待っている親父の生き方ではだめだと気付きました。

 そこで、私はキャバレーやナイトクラブ専門の事務所に出かけ、自分を売り込みました。当時キャバレーは日本中に山ほどあり、仕事量は豊富でした。

 18歳くらいからキャバレーの舞台を始めると、仕事は忙しく、収入もぐっと増えましたが、数年もするともっと大きな仕事がしたくて、アシスタントを使ってイリュージョンをして行こうと考えました。

 ところが、キャバレーはそうしたショウを求めないのです。一人で音楽に載せて演じるマジシャンで十分なのです。これですと一晩1万円程度の収入です。勤め人の月給が5万円取れない時代の一日1万円です。事務所に任せておけば15日は仕事が入ります。いい仕事です。

 でも、恐らく10年経ってもこのままでしょう。もう少し自分の可能性を広げたいと考えました。そこでアシスタントを使って大道具を演じて3万円のギャラを求めると、パッタリ仕事が止まります。相手先が出してくれる限界は、一晩1万8千円。これではアシスタントに1万円を支払ったら赤字です。

 25歳の私は、どうしたら3万円のギャラが取れるのか腐心していました。

 

 ある時、私の両親が引っ越すことになりました。同じ上板橋の町中での引っ越しです。引っ越し業者がやって来て、リーダーと、学生バイト2人、車は2トン車で一回運ぶだけの引っ越しが、5万円と言う見積もりでした。

 この時、私はそれまでの人生がいかに間違っていたかを知りました。引っ越しの人たちは、荷物を運ぶだけの人です。そこでショウをするわけでもなければ、新しいアイディアのマジックを見せるわけでもありません。ただ、数百ⅿ荷物を運ぶだけ、ほんの4時間程度のバイトで5万円です。

 方や私は、アシスタントの女性を使い、衣装を用意し、化粧をして演技を見せて、自分で考案した大道具や手順を夜に二回演じて、1万8千円です。なぜ私がそんな評価の低い仕事に甘んじていなければいけないのか。

 それから随分悩みました。そして出した答えは、キャバレーは自分の仕事場ではないと気付きました。一人で稼ぐにはいい仕事場でも、先のことを考えると、そこに長くいてはいけないのです。

 学生バイトで、荷物を運ぶだけの引っ越しの仕事に、自分のイリュージョンが負けているなら、それは芸能芸術の仕事になっていないのです。そうなら新たな理解者を求めて活動場所を変えなければいけません。

 言葉でいうのは簡単ですが、そこそこ儲かっている仕事を手放して、先の読めない人生にチャレンジするのは簡単ではありません。

 何が言いたいのかと言うなら、人生は数年ごとに転機が来ます。それまでよかったことが数年すると、それでは先がないことを知ります。でも、知るためのサインがいつ来るのかが全く不明なのです。誰が見てもわかるような天変地異でも起きればそれが転機であることはわかりますが、人生の転機は何気ないところにサインが出ます。それは誰にでも平等に来ます。

 但し、その後の成功を掴めるか否かは当人がサインに気付いていまの自分を修正できたかどうかです。決して人生はガチャの機械をひねって、不確実なボールを買うような単純な作業で決まるようなことではありません。

 初めに自分がどう生きたいか、その方向定めが大切です。方向を定めたら今の自分が目標のために何をしなければいけないか。必要なスキルを学びます。手妻をやろうと思って、鼓の稽古や日本舞踊に通うようなものです。これは結論が出るまでとても長い道のりになります。

 当初は味方なんかいません。収入もなく仕事も少なく、苦しいことの連続です。然し活動を続けていると、誰かが見ています。ある時、まったく思いもよらいない人が協力してくれることもあります。

 目標を持って活動している人なら、外部の人が見たときにわかりやすく、声をかけやすいのです。然し簡単に声はかかりません。サインは秘かに知らせてくれます。ほとんどの人はそれがサインであることすら気付きません。気付いた人のみ、次の道に運んでくれる支援者が現れて、扉が開きます。

 私のことでいうなら、親父の仕事に限界を見たとき、或いは、キャバレー仕事の限界を見たとき、もし、引っ越し業者との格差に気付かなかったら、その先の支援者は現れなかったのです。それについての詳しい話はまた明日お話ししましょう。

続く