手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

変身マン

変身マン

 

 世の中には色々なタイプの人がいて、それぞれが何らかの理由でポジションを築いて、人の上に立って仕事をしています。然し、人の上に立っているからと言って、必ずしも見識があって、優れた能力を備えているかと言うと、そうではない人もいます。

 その権威が崩れてゆく過程を目の当たりに見たりすると、うっかりこの人にかかわっていたなら手ひどい被害を被っただろうと思うと同時に。人生と言うのは客観的に見たならどんなことでも面白い、と思います。

 

 44歳の時に、芸術祭大賞を受賞して、折から手妻が脚光を浴び始めるようになり、何とか手妻を残したいと思いつつ、その数少ない演じ手としてマスコミに出て、強く印象を残せないものかと腐心していました。

 テレビ局にもコネのあるプロダクションの社長と話をしているときに、テレビ番組を持ちたいと相談をすると、有力なテレビ番組にかかわっている人物を紹介してあげるよ、と言うことになり、私は自身の映像を収めたビデオを渡して、後日その人と会うことになりました。

 その人、Aさんは、私よりも歳、五つ、七つくらい若い人で、会うなり斜めに座って、私を見下すかのように、否定的な言葉がポンポン出て来ました。

「テンポがないよねぇ。盛り上がりに欠けるし、地味だよねぇ。多分マスコミでは使えないと思うよ」。「ビデオは全部ご覧くださいましたか」。「うん、見た。古いんだよねぇ」。「えぇ、手妻ですから」。「いや、そうした古さじゃなくて、やっていることがまだるっこしくってさ」。「はぁ、はぁ」。

 大体Aさんの言わんとするところは分かります。アメリカのショウの様にパッパカパッパか次々とスピーディーに現象が起こるものをいいと考えているのでしょう。

 然し、私が仮に、アメリカのマジシャンのようなマジックを見せたなら、Aさんは飛びつくのか、と考えると、やはり「古い」と言うのではないでしょうか。案の定Aさんはカッパーフィールドを語り始めます。

 Aさん「国際フォーラムでやっていたカッパーフィールドのショウ見た?」「えぇ、見ました」。「すごいよねぇ。よく考えられているよ。やはり大したものだと思うよ。藤山さんも花吹雪を散らすところがあるよねぇ。でもあれよりも何百倍も大量の雪を飛ばして、会場いっぱいに雪の世界を作るよねぇ、初めに子供の頃の話をして、しっかり世界を作り込んでそこから雪景色を作って、やはり世界で活躍するマジシャンだよね」。と目いっぱいカッパーフィールドを礼賛します。

 この手の人は、世界的に有名なアーティストを自分の柱にして、他の芸人を批判します。それなら絶対自分の勝利だと信じています。そこでそろそろ私の出番かと思い、「本当にあの雪の世界が素晴らしいとお考えになりましたか?」と尋ねると、Aさんは少し驚いたように、「えぇ、よかったよ」。

 「そうですか、舞台の両袖から泡を吹くマシーンで雪を出して、飛ばすのはマジックでもなければ、単なる舞台効果でしかないと思いますが。それでもよいと思われましたか」。

「えぇ、だって、子供の頃のストーリーが語り込まれて、そこから雪景色になるのはストーリーも完成されていて素晴らしいでしょう」。「そうですか、でも、カッパーフィールドは一体何が語りたかったのでしょうか」。

 Aさんは、思いがけない否定に、「子供のころの夢を持ち続けて、それを舞台で再現したかったのでしょう」。「それだけ?」。「えぇ、素晴らしいじゃないですか」、「確かに一作一作は良く作り込まれていますが、作品はどれもつながりがなく、全体を見ても何を語りたいのかよくわからないと思うんですよ。私の蝶の演技をご覧になりましたか?。蝶は今回の芸術祭でも高く評価されました。蝶の一生を一枚の半紙で語ります。蝶のテーマは無常観です」。

 Aさんは「無常観と言うのは、伝統芸能でよく聞く言葉ですが、何でも無常観をくっつけてしまうと、全て無常観になってしまいませんか」。「仰る通りです。変わりゆくものすなわち無常観ですから、マジックの変化現象は全て無常観になってしまいます。小さなハンカチを拳の中で色を変えて見せても無常観です。

 でも、変化することが無常観なのではありません。むしろ見た目の変化よりも、何も変わらず繰り返し続いて行くことに無常観の本質があるのだと思います。それが生きると言うことだと思います。

 蝶は生まれて、飛び立ち、伴侶を見つけて結ばれます。そして命が尽きますが、月日が経てばまたその子供が生まれて飛び立って行きます。去年飛んでいた蝶は、今年飛んでいる蝶とは違います。然し確実に命はつながり、同じことを繰り返しています。それを手妻の中で語って見せると言うのが手妻の無常観です」。ここらでAさんは急に静かになります。

 私は続けて、「実は、あのカッパーフィールドのショウを私は、○○の宮様と見ていました。○○の宮様はマジックがお好きで、私のところに電話をくださって、カッパーフィールドのショウが見たい、と仰ったのです。そこでイベント会社に電話をして、いい席を10席取ってもらいました。私は○○の宮様の隣でカッパーフィールドを拝見しました」。

 この辺りでAさんは、ひざを組んで横座りしていたものが、足を組みなおして、正面を向き始めます。

 「○○の宮様は手妻のファンです。その宮様がカッパーフィールドのショウをご覧になって、『とても楽しかった』と仰ってくださいました。そこで、『それなら楽屋に行かれますか』と尋ねると、『まぁ、いいでしょう』。と言うのです。『でも面白かったのですよねぇ』。『面白かった、でもそれだけ』。と仰ったのです。これは私にとって衝撃でした。面白い、でもそれだけと言うのです。この時、いかに優れたマジックでも、背景に語るべきものがなければ、何も人に伝わらないんだ、と思いました、手妻には背景があります。私はそれを皆さんに伝えたいのです」。

 これを聞いたAさんは、「藤山さん、話を聞いたら手妻は素晴らしいですねぇ、いやいい芸能ですよ。応援します。私も責任を持って宣伝しますよ、仲間になりますよ。いや仲間にしてください」。

 カッパーフィールド人気を盾に私をくさしていたAさんが、私が○○の宮様と知り合いだと聞いただけで、ものすごい手のひら返しです。これほど見事な手のひら返しは私の人生で見たことがありませんでした。芸能界にはこんな人が多いのです。相手の才能も見えずに、相手が強い人だと見たなら、さっさと自分を捨てて、相手にくっついてしまうが、でも結局そんな人が世渡り上手として生きて行ける社会なのです。

 

 来週の土曜日は、玉ひでの公演です。まだお席ございます。

 

 今日(12日)に、ブログを書きましたので、明日月曜日は、ブログを休みます。