手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

居場所を変える

居場所を変える

 

 日々の生活で人間関係がうまく行かないことは誰にもあります。いわれなきいじめを受けたり、親や家族から虐待を受けたり、仕事先で阻害されたり、嫌がらせをされたり、そんな時は毎日がつらく、生きていることが苦しいものです。

 真面目な人はひたすら耐えようとしたり、いじめをする人と誠実に向き合って何とかよく思われようと努力をしたりします。ただ、それは報われないことが多いのです。

 

 私が記憶する中で忘れられない体験があります。まだ5歳の頃でした。私の家は貧しく、母親が朝から晩まで編み物の機械を使ってセーターやマフラーを編んで、それを洋品屋さんに卸してその日の生活をしていました。

 部屋は編み物の機械の音が一日中ガーガー鳴っています。部屋にはテレビもなく、じっとしていても退屈ですから、夕方、テレビが始まる時間(この頃は夕方になるとテレビが映って番組が始まりました)になると向かいのちーたんと言う二つ年下の女の子の家に行って、テレビを見せてもらっていました。

 ちーたんか、ちーたんのお母さんがいるときはすぐに部屋に入れてくれたのですが、お婆さんがいると子供を部屋に入れることを嫌がって、入れてくれませんでした。お婆さんは学校の先生をしていたと思いますが、いつも6時過ぎに帰ってきます。テレビの始まる夕方5時からお婆さんの返って来る6時までの一時間、部屋に上がり込んでテレビを見せてもらうのが私の楽しみでした。

 ある日、ちーたんの家に行き、庭から、「ちーたんテレビみーせーて」と声をかけると、返事がありません。何度か呼ぶと、ちーたんのおじさんと言う人が隣の部屋で作業をしていて、「ちーたんはいないよ」。と言いました。この人は足が不自由で、隣の部屋で一日中機械を扱って何かの部品を作っています。

 私は、仕方なく「ちーたんのお母さん、テレビ見ーせーて」と言いました。すると、おじさんが、「テレビはお母さんだけの物じゃないよ」と言いました。仕方なく私が「ちーたんとお母さんとおじさんテレビ見ーせーて」。と言うと、おじさんは「お婆さんの物でもあるぞ」と笑いながら言います。私が「ちーたんのお母さんとおじさんとお婆さんテレビ見ーせーて」と言うと、母親が飛んできて、「もういいからこっちにおいで」、と言って私を部屋に引っ張って行きました。

 部屋で母親は「もう二度とちーたんの家に行ってはいけないよ」。と言います。「でもそれじゃぁテレビが見られないよ」。と言い返すと、母親は何も言いません。

 なぜ母親は頑なに行くなと言うのか、子供だった私にはよくわかりませんでした。後になってこれがいじめなのだと知りました。そして貧しいと言うことはこんなことがしょっちゅう起こるのだと知りました。

 

 根に差別やいじめを持っている人に、何とか自分を理解してもらいたい、何とかよく思われたいと思うことは、多くの場合徒労に終わります。そんな人には近づいてはいけないのです。出来ることなら生きて行く場所を変えたほうがいいのです。

 

 私は12歳の時から舞台に立つようになり、小学であるにもかかわらず、いきなり毎年、何十本もの仕事が舞い込むようになりました。その時何よりもうれしかったことは、学校の閉鎖的な雰囲気から解放されたことでした。

 学校では別段いじめにあっていたわけではありませんでしたが、勉強かスポーツかでしか認められないと言う世界は随分とせせこましく感じていました。習い覚えたマジックで世間に認められることがなんと楽しいことだろうと思いました。

 その時の私のマジックは粗末なものでしたが、そんなマジックでもお客様は喜んで見てくれたのです。そして、子供のもらう小遣いからは想像もできないような高額な出演料をもらうようになりました。

 小遣いが自由に使えるようになると、衣装を作ったり、マジックの道具を揃えました。母親の誕生日には口紅をプレゼントしたりしました。母親はそれを喜び、出かけるときには必ずその口紅を差していました。

 

 自分自身が今の環境でうまく行かないときには、居場所を変えることはよい解決方法です。ひと所に辛抱していても決して状況が好転するわけではありません。

 シンデレラの話を思い出してください。シンデレラが如何に気立てが良く、顔立ちが良く、容姿が良くても、三人の姉から見たなら、そのすべてが嫉妬の対象でしかありません。どんないい子でも見る人にとってはすべてがいじめのネタなのです。

 言って伝わらない人には近づいてはいけません。思い切って別のところで別の人と付き合ってみることです。勿論、仕事などよって、今の立場から離れられない人もあるでしょう。そんな場合は、趣味を作って別の仲間を持つことです。

 趣味の世界で新しい仲間を見つけて話をしてみると、案外、自分の別の才能を評価してくれる人がいたりして、新しい可能性が生まれることが多々あります。一つのことを思い詰めないで、常に外にアンテナを張って自身の可能性を探ることは自分自身の心を豊かにします。

 私などは毎年いろいろな舞台に立ちますが、時には少しもまともにマジックを見ようとしないパーティーなどを経験することもあります。そこで何とか受けようと努力をしても、初めから見ようとしない人たちに善意は伝わりません。そこはもう、仕事と割り切って淡々と演技をこなす以外ありません。

 逆に、同じ演技をしても、信じられないぐらい熱烈に歓迎されることもあります。つまり芸能は、どんな優れた芸能をもってしても相手に見る気がなければ無価値なのです。価値を理解しない人に価値を訴えても無駄なのです。

 

 今朝、棚から紙箱が出て来て、中を整理していたら、母親の遺品が入っていました。日記やメモと一緒に、口紅が出て来ました。私が12歳の時にプレゼントしたものでした。ふたを開けてみると、三分の一も使っていませんでした。日記をめくると、「毎日必死で働いたのは貧乏が嫌だったから。貧乏は馬鹿にされるから」。と書いてありました。

 その時、昔の思い出がよみがえりました。母親が、「ちーたんの家に出かけて行ってはいけないよ」。と言ったときに「じゃあどうやってテレビを見たらいいの」。と聞き返して、長い沈黙が続いたあの時、私の言葉は母親をいじめていたのだと気付きました。貧しい人になぜ貧しいのかと尋ねることはいじめなのです。それは答えの出せない悲しみなのです。

続く