手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

人に迷惑をかけてはいけない 4

人に迷惑をかけてはいけない 4

 家庭

 話を初めに戻しましょう。小学校や中学校で、子供がいじめにあったときに、親や教師は、「相手とよく話をしろ」。と 言います。然し、家庭が貧しいことや、身体的な弱点を攻めて来る者たちにどんな話をしろと言うのですか。

 

 アメリカの学校でいじめが起こったときの話を聞いたことがあります。教師は、すぐにいじめた生徒を呼び出し、原因を問い正し、いじめをすることがどれほど罪であるかを懇々と説教します。その上で、謝罪文を書かせ、翌日クラスの生徒の前で読ませ、いじめた生徒に謝罪させます。

 さらに生徒みんなに、なぜいじめを見て見ぬふりをしていたかと怒り、知っていながらいじめを黙認したことは犯罪だと説明します。もし、同じようなことがあったらすぐ担任に報告しろと伝えます。

 アメリカではいじめは100%いじめる側の問題です。いじめたものがとことん反省するまで説教を続け、反省させ、謝罪させます。

 こうした点日本の教師は曖昧です。「いじめられる者にも問題がある」。などと、信じられないような奇妙なバランス感覚を持っていじめた者に肩を持つ教師がいます。

 教師の毅然とした態度がない限りいじめはやみません。いじめる側は社会の無関心を縫って悪さをするのです。教師や学校が直接問題と向き合おうとしないからいじめがはびこるのです。

 大概のいじめは、初めは数人で陰口を言う。何か話してきても口を利かない。無視をする。そんな無言の嫌がらせをします。彼らは、世間を眺めながら、これくらいなら教師も、クラスの仲間も何も言わない。と知ると、いじめのレベルが上がって行きます。

 この時に、曖昧なまま放置をすると、やがて、いじめはエスカレートして行きます。物を盗む、物を隠す。ノートを破り捨てる。金をゆする。数人でリンチを加える。と、より過激ないじめに発展して行きます。

 然し、盗みや、集団リンチは、もういじめのレベルではなく、犯罪なのです。いじめを受けている子供一人が我慢して済むレベルではありません。これを許している同級生も、担任も、学校も犯罪を黙認していることと同じなのです。

 犯罪を見て見ぬふりをする教師や学校は既に教育をする資格がないのです。そうなら教師に被害を訴えるのは無意味です。直接教育委員会や、警察に訴えるしかないのです。

 そんなことは子供の裁量ではできません。我が子の尊厳を奪う者が現れたなら、親が本気になって戦ってやらなければいけないのです。「いじめがあったことなんて知らなかった」。という親がいます。そもそも、いじめが始まった時期に既に子供のSOSのサインは出ているはずです。

 学校から帰って来ると顔つきが暗かったり、学校に行きたがらなかったり、顔に傷をつけて帰ってきたり、子供は子供なりに親に心配をかけまいと気を使います。然し、何となくどこかで助けを求めている表情をするはずです。

 それを感じ取ったなら、親は出て行かなければいけません。 いつもいつもリンチを受けているなら、親がビデオカメラを持って学校に行き、いじめられている現場を密かにカメラに収め、学校と教育委員会に画像を送り、訴えるのです。それで学校が動かなければ、警察に訴えるのです。

 躊躇してはいけません。いじめは犯罪なのです。自分の子供が自殺でもしたら悔やんでも悔みきれないでしょう。間違いは間違いとはっきり怒ることです。曖昧な態度がいじめを繰り返すことになるのです。

 問題が起こったときに日本人の態度は実に曖昧です。何とか丸く収めようとしたり、弱者に対して我慢を要求したり、起こった問題をなかったことにしようとする人が大勢います。日本人は、自由も平等も、「天」から与えられていることを認識していないのです。

 いじめの問題は学校だけでなく、社会でも頻繁に起こります。会社の中で弱い立場の人が上司にいじめを受けたり、その会社も大元の会社にぼ下請けとしていじめを受けたりします。むしろ学校よりも利益が絡む分、会社のいじめは間違いを指摘しにくく解決が難しいかもしれません。

 

 私は大学浪人時代に、マジックメーカーでアルバイトをして、デパートに立っていました。マジック売り場の店員は、デパートの社員ではありません。派遣店員と言って、メーカーが自主的にサービスで、デパートに人を送っているのです。そのためデパートからは給料は出ていません。飽くまでメーカーからの派遣なのです。

 私はマジック売り場の店員となって初めて、派遣業者が如何に差別されているかを知ります。私は朝9時にメーカーに行き、販売の商品を担いでデパートに行き、検品所で商品を通過させ、商品を担いで売り場に行き、販売をします。仕事が煩雑なためにどうしてもデパートの開店の10時を10分くらい過ぎてしまいます。

 それを売り場の主任や、課長は烈火のごとく怒ります。「遅刻をするとは何事か、売り場の取引を停止するぞ」。と脅します。会社のルールを知らない私は始めは主任の言うことを聞いていましたが、物理的に10時出社は無理なのです。ある日ついに怒って課長と衝突します。そして、「取引を停止したらいい」。と怒って売り場から出て行ってしまいます。

 すると、仲間の派遣店員が、課長の言っていることは労働基準法に違反している、給料も支払っていない人に就業時間を守らせることは違法だと口添えしてくれました。そして私が毎日まじめに働いていること、売り上げも伸びていることを言ってくれ、きっと彼はこのまま労働基準局に行って、窮状を訴えるかも知れない。言いました、驚いたのは課長です。顔が真っ青になって慌てたそうです。

 私はその頃、別のデパートのディーラーのところに行って、喫茶店で遊んでいました。翌日、同じ時間に出社すると、課長が明るい顔で「おはよう」。と声をかけて来ました。

 あとで仲間の派遣業者から昨日の様子を聞いて、「なんだこんなことなら、毎日毎日いじめられて悩んでいないで、さっさと労働基準局に訴えてやればよかった」。と思いました。

 自分で抱えきれない悩みを持っていても何も解決しません。どうにもならなければ勇気を持って訴えるしか解決の道はないのです。その勇気を日本人は子供に教えないのです。こうしたことが様々なところで日本の問題となっているのです。

続く