手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

馬刺しと地鶏焼き

馬刺しと地鶏焼き

 

 一昨日(17日)は玉ひで公演がありました。いつもの通り、12時から食事、12時30分から若手のマジックショウ。

 一本目は前田将太。陰陽水火の術、真田紐の焼き継ぎと紐抜けです。大分手慣れて来ました。随所に表情がついてきています。これも毎回私の舞台の際に必ず出番を作っている成果でしょうか。玉ひでにも一回目から、毎回出演している効果は大きいと思います。

 ただし数日前に頭をパーマにしました。どうも手妻でパーマは違和感があります(もっとも私もパーマをかけていた時期がありましたので、文句も言えません)。何でもしてみたいのでしょう。

 

 二本目はせとなさん。冒頭喋りがあり、クロースアップでカード当てを演じ、そこからカードのロールダウンが始まりステージ手順に移行して行きます。まだ試作の演技ですから、良いの悪いのと言っても意味はないでしょう。スライハンドと喋りのコラボには常に違和感が残ります。これが自然に移行できればせとなさん独自の世界が開けると思います。もう少し時間がかかりそうです。

 

 三本目は早稲田康平さん。冒頭から喋りがしっかりしてきました。声もよく通るようになりました。見ていると、一つ一つの演技をきっちり演じるようになってきています。

 これまで、早稲田さんの演技は、常に軽く流しているように見えましたが、この日は、一つ一つの面白さを如何に伝えるかを注視するようになっています。大きな進歩です。

 新聞紙の復活。三本ロープ。ブックテスト。よくあるマジックをつなげていますが、この日のお客様が全くマジックを知らない人たちのようで、何を見せてもよく受けました。これは演じていて張り合いがあります。お客様に助けられ、演技が上手に見えました。

 

 後半、休憩をはさんで私の演技、冒頭は紙片の曲。卵の袋から、紙卵です。二十年以上も演じています。この頃では弟子が演じることが多いため、私がすることは稀です。然したまに演じると、面白い演技です。

 柱抜き(サムタイ)。今ちょうど前田に教えているさ中です。これは演じるたびにケースバイケースで対処の変わる手順ですので、手妻の中では難曲中の難曲と言えます。

 それでもしっかり覚えたなら、一生モノの名作です。私のところで修行をしたいと望む人の多くは、サムタイと蝶を覚えることが眼目であるはずです。今までサムタイは10人近くに教えましたが、奥の奥まで教えたのは3人だけです。せっかく習い覚えたのなら、確実にものにして、大切に演じてもらいたいと思います。

 植瓜術(しょっかじつ)。前回少し書きました。15分のセリフ劇です。全編せりふですので、話術の技量が求められます。お客様が退屈しないように聞かせることが技の第一です。几帳面な前田が忠実にセリフを語ります。無論それでいいのですが、この芸は、その昔、大道で通行人に見せている、という風景を再現したものなのですから、それほど立派な人間が大道でもの売りをしたりはしません。もう少し雑な人物を演じてほしいものです。まぁ、あまり過度な要求をすると、前田もパニックになりますので、無理には言いませんが、少し遊びの要素を心得て演じると面白みが増します。

 昼日中(ひるひなか)、うだうだと冗談を言いながら、道行く人と語らい、芽が出て、弦が伸びて、瓜が生ったならめでたく終了です。私の演じる手妻の中でも特殊な演技です。何とか後世に残したい作品です。

 蝶。私はこの作品があるから、お客様を集められます。何にしても誰それの何、と指名していただけるような作品があれば人は必ず見に来てくれます。有難いことです。

 蝶を演じてこの日はお開き。

 

 さて終演後、私は高円寺に戻って歯医者を予約しています。そのあとで、女房が舞踊の発表会に行くために留守をしますので、夜は一人で食事をしなければなりません。誰か食事の相手を探そうと考えたときに、今日の舞台を見て出来が良かった早稲田さんに声ををかけました。

 晩の7時に高円寺で待ち合わせをして、九州丸と言う居酒屋に向かいました。ここはその名の通り九州の食材をたくさん用意しています。熊本出身の早稲田さんにはちょうどいいかと思い入りました。店の中は満席です。

 馬刺し、地鶏の炭火焼き、冷ややっこ、焼き鳥四種。さつま揚げ。どれも九州の名産です。中でも馬刺しは脂が少なく、赤みのさっぱりとした身で、にんにく醤油でいただくと、にんにくのお陰で急に食欲がわいてきました。ハイボールが進みます。私は何日もアルコールを飲んでいませんので。この晩はハイボール三杯で酔いが回りました。

 そのあと、私のアトリエで家呑みです。ビールとハイボールでマジックの話をしました。

 早稲田さんは若いせいか私よりはピッチが速く、随分飲みます。私は、せいぜい週に一度呑む程度ですので、最近はすっかり弱くなってしまいました。10時半に飲み会を終えました。

 

 さて、早稲田さんにしろ、ザッキーさんにしろ、ここまでは何とか無事に上がってきましたが、ここから先は、自分の得意技を作り上げなければいけません。自分の何が人の役に立つのか。自分自身をしっかり見つめて、答えを出して行くことが試練になります。この一年、或いは二年後、苦しみの中から何を探し出すのかが、当人の人生を決定します。難しい時期に差し掛かっています。

 無論私にできることは協力をしますが、最終的な答えは、自分でどうにかしなければなりません。一年後はどのような活動をしているでしょうか。注目して行きたいと思います。

続く