手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナ後の世界はどうなる 2

コロナ後の世界はどうなる 2

 

飲食店の減少

 今回のコロナ禍で最も被害を受けたのは飲食店でしょう。政府は満足な補償もせずに、規制ばかりして、多くの飲食店や関連業者を倒産させています。

 昨日(9日)も、西村大臣は、ニュースで、酒の元売り店に酒を売らないように、国税庁から圧力をかけるだの、銀行と協調して、ルールを守らない飲食店に融資をやめさせるだの。政治家が国民を脅迫していました。

 いくら日本人がおとなしいからと言って、この発言は今のコロナの影響を受けて、生きるか死ぬかの状況にある飲食店に革命を起こさせるに十分なものの言いようです。それにしても飲食店は軽く見られています。

 この西村大臣の発言だけでなく、今回のコロナに関して、自民党はつくづく頼れない政党であることを露呈しました。と言って、他の政党なら大丈夫かと言うと、自民党以上に頼りない人ばかりです。仕方なく自民党に任せているのが現状です。

 あれもダメ、これもダメと言っては前に進みません今度の選挙で世の中を変えてくれるような能力のある人を探しましょう。

 

 私の知る限り、昭和の時代は、パブ、バー、スナックなどと言った、やたらとアルコールを飲ませる小さな店がたくさんありました。その店は商店街の脇道に数件並んで商売していたり、あるいは、住宅街にまで入り込んでポツンと一軒だけ商売していたり、そこかしこにあったのです。

 お客様は、独身サラリーマンとか、単なる酒飲とかが、仕事帰りに素直に家に帰らずに、二、三軒スナックをはしごして帰る人が大勢いたのです。当時は、寂しさを酒で紛らわす人が多かったのでしょう。

 しかし、そうした店も、せいぜい昭和の時代までがピークだったように思います。平成に入ると、人は毎晩だらだらと酒を飲んで歩くようなことをしなくなって行きます。

 代わりに居酒屋のような、いろいろ料理を食べながら酒を飲み、人と会話をするような場所が増えて行きました。昭和と平成ではアルコールの呑み方がより健全になって行ったと思います。

 食事のレパートリーも豊富になり、高級な食べ物が普通の商店街の飲食店でも食べられるようになりました。と、同時に外食チェーン店が続々現れるようになりました。

 高円寺の駅前は物の見事にチェーン店が並んでいます。マクドナルド、ケンタッキー・フライド・チキン、日高屋富士そば、かつや、天丼てんやなどなど。

 それに反比例するかのように、昔から商売していた個人の飲食店が廃業するようになりました。私などは、食べに行く店が減って、この先どこで食事をしたらいいか、悩んでしまいます。

 高円寺は、このコロナ禍でどこの店も意気消沈しています。いい料理を出す店もあるのですが、お客様が入って来ないらしく、店の外に弁当を出し、500円程度で販売しています。どれだけ売れるかは知りませんが、500円でいい味を提供することは容易ではないでしょう。

 私はいつも散歩がてら商店街を歩いていますが、「この店はこの先大丈夫だろうか」。などといらぬ推測をしてしまいます。政府は飲食店をいじめ過ぎました。恐らく高円寺は、二、三年後には、空き店(あきだな)が連なる、地方都市によくあるような寂しい商店街になりそうです。

 

乞食の登場

 私は、24歳の時に初めてロサンゼルスのマジックキャッスルに出演しました。キャッスルは、ハリウッドのメイン通りの一本裏にあります。チャイニーズシアターにも近く、5分も歩けばにぎやかな通りに出ます。

 初めてハリウッドに行った時には、レストランも、個人商店もずらりと並んでいて、通りは賑やかでした。怪しげな黒人が所々立っていて、観光客のバッグなどを狙っているかのような人もいました。それでもまだ町は穏やかだったのです。

 それが10年も経つと、個人商店は軒並み撤退していました。見渡す限り空き店です。レストランは、残っていましたが、食べ物もサービスも質が落ちて、とても入って食べられる店ではありませんでした。「ハリウッドのメインストリートがこれでは、観光客も来ないだろう」。

 実際町の治安が悪くなり、乞食が増えました。仕事もなく一日中立っている黒人がたくさんいます。一人で歩くのは男でも危険だと感じるほどでした。

 それがさらに10年経つと、ロサンゼルス市も、観光地がこれではいけないと気が付いたらしく、地下鉄を開通させ、お土産を売るテナントビルを作り、レストラン街を作り、町の景観は一変しました。

 然し、それから10年、3年前にロサンゼルスに行った時に、街を歩いてみると、金をかけたテナントビルは残っていましたが、周辺の空き店は依然として残ったまま、治安も悪く、そのギャップが少しも埋まっていません。

 大通りにはハリウッドマジックと言うマジックショップもあったのですが、周辺の環境が悪化してとても商売が出来る状態ではなくなったのでしょう。閉店してしまいました。

 街並みを散歩していると、知らずに空き店の並ぶ汚れた通りに入ってしまい、そこには、乞食や黒人がしゃがみ込んでいて通行人に金をせびります。40年前の繁華街はどこに行ってしまったのかと、不思議な思いがします。

 

 高円寺が、ハリウッドになるとは思いません。日本は福祉がアメリカ以上に充実していますから、いきなり乞食や物取りが通りにあふれるとは思えません。私はずっとそう思っていましたが、このコロナ禍で考えがぐらついて来ました。それは数の多寡の違いだけであって、必ず日本にも乞食は現れると思うようになりました。この先失業者は増えるでしょう。

 物取りや乞食がいないことが日本の町の誇りだったものが、どうやら、数年もすると、アメリカと同じ運命をたどることになりそうです。

 

 イギリスは今も、連日3万人のコロナ感染者を出しているそうです。にもかかわらずサッカーの試合に6万人も観客集めて、彼らはビールを飲みながら声を枯らして声援しています。

 不思議です。日本ではなぜ8時までしか飲食店が営業できないのでしょうか。なぜアルコールを売ってはいけないのでしょう。なぜオリンピックを無観客でしなければならないのでしょうか。あまりに世界の流れと日本のしていることにギャップがあり過ぎませんか。

 政府は国民に生命を守るために致し方ない。と言うでしょう、国民の生命を守るのはアメリカもイギリスの政府もしています。しかし日本のように、酒の元売り業者に国税庁から圧力をかけて、酒を売らないようにしろだの、金融機関に、言って酒を売る店に金を貸さないようにしろなどと言う大臣は、欧米には一人として存在しません。

 強者が強者の理屈をかざすと、弱者は萎縮するほかはありません。かくして、社会は二極になり、貧しい人はとことん貧しくなります。飲食店が流行っていた頃は、学生バイトや、パートのおばさんにまで仕事が回っていたのに、飲食店に圧力をかけてつぶしてしまっては多くの人は生きてはいけません。強者の理屈でコロナを押さえつけようとした結果、乞食のあふれる街にならないことを祈るばかりです。

続く