手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナ後の世界はどうなる 1

コロナ後の世界はどうなる 1

 

 コロナワクチンが普及し始めたものの、同時にデルタ菌が蔓延して、予断を許さない状況ではあります。然し、大きく眺めたなら、コロナにようやく終息の可能性が見えて来ました。この先一年後、二年後の生活はどうなるかを少し考えて見ましょう。

 これは飽くまでマジシャンである私の単なる推測ですので、根拠などは曖昧です。世間話として聞いてください。

 

 地方移住者が増える

 コロナ禍によって在宅勤務が増えた結果、仕事は必ずしも、社員一同が、同じ時間に会社に集合して、決まった時間働くことが絶対必要と言うわけではないことに気付いたようです。

 商品販売も、ネットが中心になりつつあって、24時間いつでも注文すれば簡単に商品が手に入るようになったわけです。

 そうなると、年中買い物をする必要もないですし、自宅で働く人が何も東京の中心街に住んでいる理由もなくなります。

 かつては、東京の家賃が高すぎて、郊外に引っ越す人も多くいましたが、郊外と言えども東京への通勤を軸に考えると、手ごろな場所は限られていて、快適な生活を送るために、十分なスペースを手に入れることは難しかったのです。

 然し、ネットの普及や在宅勤務が、長らくの通勤時間から解放されたわけです。すなわち、価値観を変えて考えたなら、山奥の古民家などに住むことも可能になったわけで、家賃一万円程度で、数百坪の家を借りて住むことも可能です。

 都内で10万から15万ほどのアパートを借りて住んだとしても、2DKか3K程度(30~40㎡)の広さしか手に入らないことを思えば、いっそ、山奥や、瀬戸内海の島などに住んだほうが、生き方も変化があって面白そうですし、子供を育てるにも、家賃の面でも絶対に有利です。

 どこに暮らしても同じ給料が取れるなら、家賃が安く、生活環境のいいところに住んで、余った収入で趣味を充実させるとか、毎年海外旅行にでも出かけたほうがよっぽど快適な生活を送ることが出来るでしょう。

 無論そうした生き方は、限られたスキルを持ったサラリーマンか自営業者でなければ達成できないのでしょうが、この先、そろそろそうした生き方をする人たちが世間でも目立つようになるはずです。

 

 実際、ネットの普及は、地方に住む人にとっては千載一遇のチャンスです。かつては地方に住むことは何から何まで不便だったのですが、ネットの普及により、「田舎」が消滅したと言っていいでしょう。物の売り買いも、知識の吸収も、発信も、どこに住んでいても一瞬に世界とつながります。

 そうであるなら、高い家賃を払って東京に住む理由はないのです。

 

 山手線の混雑がなくなる。家は広くなる。

 どうしても東京に住まなければならないと言う人が減って行くと、当然、都市の人口は減少し、交通機関は緩和されます。かつてのラッシュは嘘のように解決されるでしょう。

 都内のアパートも、価格が下がります。今6畳で6万円くらいの家賃を取っているなら、二、三年のうちに同額で8畳の部屋に住めるようになるでしょう。

 逆に言えば、アパート業で生活している人にとってはそれだけうまい収益にはならなくなって行くわけです。そのことは、貸店舗なども同様です。

 飲食店などは今回のコロナ禍で、廃業する人が続出し、かつての商店街の賑わいは失われて行くと思います。然しそれは不幸なことではありません。わずか一間半、二間程度の狭小な店舗は借り手が減って、狭い店舗は統合されて、広い貸店舗が増えるようになるでしょう。店は広くなっても、当然家賃が下がりますから、商売をする人にとっては有利になるはずです。

 家を借りることの価値観も変わって行くはずです。今まで、敷金礼金保証金など、家賃の6か月分もの金を事前に支払わなければならなかった考え方は成り立たなくなります。

 これまで、店を借りるために1000万円もの保証金を出さなければならなかったものが、コロナ禍で店が減少したことにより、古い賃貸のシステムは崩れるでしょう、

 アメリカ並みに、前家賃2か月分を払えばいつでも店が開けるようになる時代が来ると思います。逆に、考え方を切り替えない限り、空き店は永久に空いたままになるはずです。

 

 駅が中心ではなくなる

 在宅ワークが進むと、会社に通う理由がありませんから、自宅が駅から何分という価値観がなくなるでしょう。ヨーロッパの都市で、不動産のチラシを見たときに、駅から何分という見出しは一つもありませんでした。

 考えたら当然なことで、ヨーロッパでその町に住む人と言うのは、列車に乗って毎日通勤する人なんてほとんどいないのです。通勤は大概徒歩か、自転車で、同じ街中の会社や、役所、学校に通うのです。日本もこの先、ヨーロッパの中都市並みの生活になって行くと思います。

 ヨーロッパのアパートは、築200年などと言うのがざらにありましたし。そこはシャワーはあっても風呂がない。5階の部屋でエレベーターもないそんな部屋がいくらもありました。それでいて、旧市内にあるアパートは相当に高い家賃でした。

 ドイツの町では、ピノキオが住んでいたような三角屋根の家をアパートにして住んでいました。そこに住んでいるお婆さんが裏庭で、洗濯板を使って洗濯をしていました。今どき日本でも洗濯板は珍しいのに、生活水準の高いドイツ人ですらこんな地味な生活をしているのに驚きました。

 然しその生活の仕方にはゆとりがありました。お婆さんの家は奇麗なのです。窓辺には花が飾ってあり、カーテンがかかっていてしゃれていました。家具はどれも古いものでしたが、室内は広々としていて奇麗でした。この生活には十分満足しているように見えました。

 洗濯板を使っての洗濯は大変かもしれませんが、トータルして見たならむしろ豊かさを感じました。こうした生活を日本が出来るようになるのはいつのことだろう。と、その時は思いましたが、コロナ以降の世界を考えると、案外日本も、精神的に豊かな時代がそこまで来ているのかも知れません。コロナは何もかも人を不幸にしたわけではないのかも知れません。

続く