手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

町の風格 2

町の風格 2

 

 道路斜線

 ここで僭越(せんえつ)ながら土地の基礎的なお話を申し上げます。土地には住宅地や商業地など、建物の種類があらかじめ規制されてています。まったくの住宅地にカラオケ屋さんなどは建てられません。しかも土地には必ず、建蔽率(けんぺいりつ)と、容積率が決められています。建蔽率と言うのは、その土地に対して、何%までの家を建てていいのかと言う敷地の限度です。

 例えば50坪の土地で、建蔽率50%なら、そこに建てられる家は25坪(畳50畳分)までと言うことです。然し、25坪の家でも、二階や三階を作れば、その広さは二倍にも三倍にもなります。但し、勝手に二階、三階にすることはできません。それが容積率で決められています。

 建蔽率50%で容積率が100%だったら、一階と同じ25坪数までの二階を建てることが出来ます(土地50坪に対して、一階25坪、二階25坪。合わせて50坪ですから、容積率100%です)。もし、容積率が150%なら、三階も建てられるわけです。

 例えば銀座や日本橋の土地では、建蔽率100%、容積率1000%何て言う土地もあります。これは土地と同じ広さの10階建てのビルを建ててもいいと言うことです。三越デパートや、高島屋デパートは、土地に隙間なく、がっちり9階10階の石造りのビルが建っていますが、それがまさに100%、1000%なわけです。

 家やビルが、建蔽率容積率だけで建てていいなら、いい形の家、ビルが建つのですが、戦後になって、間違った民主主義がはびこるようになって日陰斜線や道路斜線が決められて以降、日本の都市の景観が著しく悪くなって行きました。

 個人が家を建てる場合でも、隣地に遠慮して、日影斜線のために坪数を減らして家を立てなければならなくなります。そればかりでなく、道路斜線と言う法律もあります。道路斜線こそ何のための斜線なのか見当がつきません。

 家の前に接している道路の向う側から、1対1、または1対1,5の比率で傾斜が来ます。家の前が4m道路で、傾斜率が1対1なら、4mx4mで、家の高さの4mのところから45度の傾斜が入るのです。仮に商業地なら、その傾斜は緩くなり、1対1,5になります。そうなると建物の高さの6mのところから60度の傾斜が来ます。

 先程、建蔽率50%で容積率150%なら三階建ての家が建つと言いましたが、前の道路が4mだったら、道路斜線によって、高さ4mのところから傾斜が入りますので、家は二階の途中から斜め45度に抉(えぐ)られます。これではまともな三階建ては建ちません。無理に建てれば、斜めに削られた貧弱な部屋が出来ます。(まさに私の家がそれです。)。

 しかもこれは日陰斜線ではありません。道路に対する配慮なのです。奇妙です。人の住んでいない道路になぜ家を削って配慮しなければならないのか、見当がつきません。道路に日照権を与えたとしても誰も恩恵を受けることはありません。実はこれは日照権ではないのです。災害で家が倒れるようなことがあったときに、この傾斜のお陰で、人が傾斜の下を通れるように配慮したのだそうです。

 おかしな法律です。先ず、今の時代にいかなる地震が来ても、家がそっくりばったんと倒れることはあり得ません。仮に家が倒れたなら、道路斜線で空間が残るどころか、倒壊した建物が崩れてしまって通り道はできません。道路斜線はまったく無意味な配慮なのです。この考え方は戦後すぐ、建築法を作る際に建築学科の学生が関与して企画したものだそうです。

 日照権ならまだ、先住権の配慮という点で理解できる部分はありますが、道路斜線は一体誰のためなの配慮なのか見当がつきません。こんな稚劣な法律をいまだに守って家を建てている国など世界のどこにもありません。まったく百害あって一利なしです。

 道路斜線に配慮した結果、家は狭くなり、マンションはバッサリ道路斜線によって建物を削られます。道路が三面に面していたなら三方から斜線が来て建物は削られるのです。かくしてマンションはお供え餅のようなビルになります。結果として、その分が、マンションの販売価格を押し上げているのです。

 もしマンションが建蔽率容積率だけで建てられるなら、マンション価格は今よりの20%くらいは安くなるはずです。

 多くの人は日本は土地がないから家やマンションが高いんだと思っていますが、そうではありません。日本の家の価格を法外に高くして、部屋を気の毒なほど狭くして、都市の景観を悪くしているのは、日陰斜線と道路斜線が原因なのです。

 どこかの政党が、日陰斜線と道路斜線の撤廃を掲げたなら、相当の支持者が集まるはずです。不人気で存亡の危機に瀕しているような政党は自民党の揚げ足取りばかりしていないで、起死回生の一手として日陰斜線と道路斜線の撤廃を掲げたらよいと思います。その方がよほど国民の役に立ちます。

 

 電柱

 日本の家並みを貧しく見せている二つ目の原因は電柱です。先進国の中で、都市部に電柱があちこちに立っていて、空を電線が縦横に走っているのは日本くらいでしょう。電線は見た目に鬱陶しいし、街の景観をぶち壊しています。

 日本の街並みを写真に収めると、どこを見ても工事現場のように見えます。電柱と電線がむき出しなため、災害後の仮設の街並みのように見えます。

 私の子供のころ、政治家は、なぜ電柱がむき出しなのかと言うことの説明に、日本は都市にかける予算が少ないからやむを得ないと言っていましたが、さすがに今の時代にそんな理由は通用しません。今の日本の国力で電線を地下化出来ないはずはないのです。

 私の家の前は4m道路です。この道路はほとんど外からの車が通りません。住人以外の人も通りません。それを幸いと車や人が通らなければ工事をしても人の苦情が来ないし、工事自体が目立たないと思っているのか、毎年何度も道路工事をします。私は30年高円寺に住んでいますが、工事は頻繁です。しかも、決まって年明けの二月ころ工事が始まります。なぜ毎年道を掘り返さなければいけないのか知りません。不可解です。

 恐らく役所の予算消化のために無理無理工事を作っているのでしょうか。然し、工事する金があるなら、数年分の工事費を貯めれば共同溝は難なく出来るはずです。上下水道からガス、電線電話線を地下に埋めたなら、道を掘り起こす必要もないのです。

 狭い道に電柱が何本も立っているのは邪魔ですし、電線は鬱陶しいばかりで美観を損ねます。同じ金をかけるなら、なぜ生きた金をかけないのか、なぜもっと美しい生活をするために税金を使わないのか。不思議です。

 共同溝は町が美しくなるために必要なことだと都民、区民が強く請願すれば達成できる話です。然し私が住んで30年経っても共同溝はできません。町並みは美しくはなりません。道路は何度も掘り返されるためにアスファルトが塗り重ねられて凸凹です。いつでも工事現場の中で暮らしているのです。

続く