手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

町の風格 1

町の風格 1

 

 ほんの1年半前までは、インバウンドで世界から大勢の観光客が日本を訪れ、あちこちで「日本はすごい」、とか、「美しい」とか、絶賛されていました。実際話題が話題を呼んで、次から次と観光客が来たわけですから、あながちお世辞ではないとは思います。

 ただ、私などは、ときおり外国に仕事で出かけて、その国の人の生活をつぶさに見た上で日本と比較したときに、「日本は本当に素晴らしい国なのかなぁ」。といぶかしんでしまいます。

 京都のお寺の観光であるとか、富士山、日光東照宮、姫路城、奈良の東大寺などを見物するのは、エキゾチックで楽しい旅行だと思います。日本は歴史がしっかり残されていますし、かなり大切に保存されています。

 京都などは、500年前の建築物と現代の生活がうまく結びついていて、違和感がありません。町並みは老舗の料理屋や土産物屋が並んでいて、散歩をしていて飽きることがありません。それぞれが日本に来なければ見ることのできないものですから、十分価値はあります。

 新しさと言う点では、東京や、大阪と言った都市は、町の規模の大きさ、人の活気、すべてがシステム化されて、正確に機能している生活様式などは、どこの国とも比較できない日本人の生真面目さが作り上げた優れた都市文化だと思います。特に、新幹線や各鉄道、地下鉄などの正確さや機能は世界に誇れる文化です。

 恐らくこれらの面に関しては、世界中のどの国から来ても興味の尽きない国だと思います。

 

 然しです。然しながら個人の家並みが貧しすぎます。日本にも古い住宅には立派な家がありますが、昭和以降に作られてた住宅はどれも安っぽく見えます。あまりに外見に金をかけなさすぎます。

 勿論、世界にはもっと貧しい家があります。崖の壁に穴をあけて暮らしている人もいますし、ヤシの葉っぱで作った家に暮らす人もいるでしょう。コンクリートで出来てはいても、中は粗末なつくりの家もあります。然しそれはその国自体が貧しい国であって、日本のように長らく先進国と称されるグループの中に生きて来た国とは違います。

 他の先進国と比べて日本は余りに家が貧弱です。そして多くの日本人は個人が貧しいからそうなのだと思っているようですが、そうではないと思います。ほんの少し生き方を変えて、法律を変えたなら、今より豊かで快適な生活が出来るはずです。別段マジシャンである私が 国民の生活や、法律について語る資格はないのですが、なかなか人が言わないので私がここに書いておこうと思います。

 

 日影制限と道路斜線

 世の中にこれほどの悪法はないと思います。まったく人の役に立っていないばかりか、この法律のお陰で、家を新築するときに隣地に遠慮して日陰を作らないように無用に建坪を削られて、変な格好の家を立てなければならず、それがために家の建築費用が異常にかさんでいるのです。日本の街並みを見ると、意味不明に建物が傾斜をしていたり、建物の高さが不揃いだったり、階が上がるに従って建物がだんだん小さくなって、まるでお供えのもちのようなビルが並んでいます。これは日陰斜線や道路斜線の法律がそうさせているのです。つまりどこもまともに四角いビルが建たないのです。

 かくして日本の都市の景観は、パリやウィーンの街並みなどと比べるべくもなく、不可解な建築物ばかりが並んで、全く冗談で作ったとしか思えないようなお粗末な街並みが軒を連ね、見るも無残な景観になっています。

 

 日陰斜線とは日照権に関係します。自宅を建てるときに、北側にある隣家の日照権に配慮して、北側の家から一定の斜線を引き、その線を越えた建物を作るときには超えた部分の壁を斜めに削り落とさなければなりません。

 これは一見民主的なものの考え方の様に思うかもしれません。先住人の生活圏を優先して守っているように思えますが、これこそ平等にかこつけたエゴです。そもそも日照権を求めて快適な生活がしたいなら、家の建て込んだ東京23区などに住んでいてはいけないのです。

 23区に住みたい人が大勢いるなら、平屋でなくてマンションを建てて、効率よく土地を活用する以外解決の道はありません。そんな土地に古くから住んでいて、既得権を主張しても、時代とともに住環境は悪くなるばかりです。多くの人が住たいと願う土地ならば土地の値段は高騰します。そうなら先住人は土地が高騰したのを幸いに、土地を売って、郊外に広い土地を求めて快適に暮らしたらよいのです。

 私の家の前の環7通りはまったく南北に道が走っていますので、左右に並んでいるビルを見ると、みんな北側が削られて滑り台の様になっています。ビルの高さも不揃いです。みんな後ろの建物に遠慮して建っていますが、後ろのビルも同様にその後ろに遠慮して建てています。これは悪平等です。みんなが後ろのビルのために自社ビルを削るなら、話し合いで日陰斜線はやめたらいいじゃないですか。

 建物の景観は悪いし、建築費は無駄にかかります。前の建物が、わずかばかりビルを削ったところで実際には大した日照効果はありません。互いに後ろの家にために日陰斜線を取られるのはまるでみかじめ料をせびられているかのごとくです。互いが無駄なことをして、無駄な費用を支払って誰に何の得があるのでしょうか。

 そもそも東京23区に住みながら日照権を主張すること自体エゴなのです。この狭い土地で生きると言うことは生活の快適性を犠牲にするのはやむを得ないことです。みんな機能優先で生きているのです。大都市とはそうしたものです。ニューヨークでもパリでも、街中で日照権を主張する人はいません。みんな諦めて暮らしているのです。

 私も、高円寺に家を建てるときに。日陰斜線で切り取られ、道路斜線で切り取られ、あちこち斜めに切り落とさなければならず、実際希望した建坪よりも10坪くらい小さな家しか建たなかったのです。元々坪数の少ない土地に家を建てたわけですから、希望よりも10坪も小さくなるのは痛恨です。

 

 何より、東京の街の外観があまりにみすぼらしいのです。どこの国の首都でも、8階や、9階建てのビルが見渡す限り、びっしり並んでいます。日本だけが建物が凸凹しています。8階と決められた地域なら、日照権など問わずにすべて8階建てにしたらいいのです。そうすることで町の景観を良くし、住居を広げられるなら、その方がはるかに快適な生活が送れるのです。

 今、道路斜線や日陰斜線が廃止されたら、たちまちのうちに建て増しする家やビルで溢れ返って建築ブームが起きることは間違いありません。この先大きな不景気が来ることが予想されていますが、無用な法律を改正すればすぐにでも景気は上向くはずです。ここは真剣に政治家の先生方も考えて下さるようにお願いします。

続く