手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

自主公演 2

自主公演 2

 

 当初私は、1年間も玉ひでの公演を続ければ、コロナは解決し、今頃は、海外からのお客様が連日やって来て、1日2回の開催になっているのではないかと思っていました。いやそれ以上に、週2日間、1日2回、合計、月間8回の公演が達成できていただろうと考えていました。

 月に8公演あって、なおかつ一回のお客様が35人集まるなら、年間で3000人を超える観客を動員したことになります。その数は、大きな市民会館2日分の集客になります。それは相当に大きな収入です。無論、手伝っている若手にもまとまったギャラを支払えます。

 多くの芸能人は、とかく、来る仕事だけを頼りに、受け身の生き方をしがちです。それでどんどん仕事の依頼が来るならいいのですが、それで生きて行けたのは昭和40年代までです。それ以後の芸能人は、ずっと不安定な仕事に悩まされます。それだけでなく、7年、10年に一度の周期的な不景気が来ると、殆どの芸能人は、わずかな蓄えを使いつくしてしまいます。

 私は子供のころから親父の受け身で生きて行く生活を見ていて、「これではだめだ、少しもいい暮らしが出来ない」。と考えていました。

 そのため学校を卒業して、プロ活動に専念したときに、始めにしたことは、自主公演でした。初めはパブのような小さな店で40から50人のお客様を集めて、年に2回ショウをしました。そこへテレビ局のプロデューサーや、プロダクションのマネージャーを招待して、私のショウを見てもらい。仕事をもらおうと考えたのです。

 幸い、自主公演は評判が良く、毎回、たくさんのお客様が集まりました。しかもこのショウから何本も仕事が発生し、お陰で私は若手としては仕事に恵まれたマジシャンと見られるようになりました。つまり私にとって自主公演は、マジシャンとして生きて行く上で、欠くことのできないものだったのです。

 当初、玉ひではインバウンドのお客様を集めて収入を上げるために企画されたものですが、コロナでその企画は外れました。然し、それでも多くのお客様の支援があって、自主公演として続けて行けました。 

 こうした、私の活動が少し知られて行けば、半年、一年先には、ほかの料亭の座敷や、劇場から、定期開催を求めてくる話が舞い込んで来るだろうと予測していました。そうなると、私は東京と、大阪、或いは京都などを毎週往復して活動することになり、相当に忙しくなる。と、捕らぬ狸の皮算用を弾いていたのです。

 実際にはコロナは収束していませんので目的は達成できていません。ですが、私の考えが間違いだったかと言うと、そうではありません。

 

 この一年間、何もせずに、「どう生きて行ったらいいのか」、と言って、おろおろしていても仕事は増えなかったでしょう。人集めの苦しい中、しっかりお客様を集めて、自分の活動を見せておけば、コロナが退散した後は、必ず、たくさんの舞台の依頼が来るはずです。今現在やっていることは決して無駄ではないのです。

 大切なことは、一歩でも前に進むことです。一歩が難しいなら半歩でも前に出ることです。チャンスは前に出て活動している人にしかやってこないのです。「駄目だ、駄目だ」、と言っていないで、自分自身を認めてくれる人を探すことです。そしてその人に協力を求めることです。

 場所を紹介してもらう。お客様を連れて来てもらう。どんな小さな協力でも、支援者を作り、それを原点にして活動して見ることです。こんな状況なら、練習する時間はたくさんあるはずです。稽古をする、或いは誰かに習いに行く、そこには大きなチャンスが秘められています。

 今の状況を、政府が悪い、コロナが悪いと人のせいにばかりせずに、今を原点と捉えて、自分に何が出来るかを考えて見るのです。この状況を最大限に生かして、少し遠大に将来を眺めてみるのです。

 前向きな活動を続けていれば、必ず支援をしてくれる人は現れます。私は今まで40年以上自主公演を続けて来て、どれほど多くの人に助けられたかしれません。全くマジックに興味のない人が、仲間に声をかけてくれて、チケットを10枚20枚と買ってくださったこともあります。そんな人の輪か広がって、自主公演は安定して運営して行けたのです。

 昨日のブログで私は、若手マジシャンの演技について、未熟で、不安定で、形の定まっていない演技こそが人を集める。と書きました。こうした演技こそがスリルがあって面白い、と書きました。実は、この若手とは、私自身なのです。

 私は20代30代の時に、未熟で不安定な演技を繰り返していました。時には大きな失敗もしました。然し、失敗によって、その後、お客様が減って行ったかと言うとそうではなかったのです。失敗すればそれはそれで、めったに見ることのできない珍しい場面を見ることが出来たと捉えて、喜んで見ているお客様が多かったのです。

 舞台の面白さは今進行している演技を見る楽しさです。うまく行く場合もあれば、失敗する場合もあります。何であれ、演者と同時に呼吸をしながら、マジックを見ることが楽しいのです。舞台人はうまく行かないときも、乗らないときも、どんな状況であれ、お客様に「それを見ていることが楽しいんだ」。と思ってもらえたなら、まずは成功なのです。

 このことがわかると、芸能とは何か、が少しずつ分かってきます。案外お客様は、見た目の現象を見てはおらず、演者の奥底をしっかり見つめているのです。そして芸能は互いの心の奥がつながったときに初めて宝物となって光り出すのです。

続く