手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

自主公演 1

自主公演 1

 

 今、私が毎月一回行っている、玉ひでさんの座敷での手妻公演は、全く私の自主公演です。玉ひでさんにお願いして、お客様が食事をすると言うことで座敷をお借りする、それだけの条件で、座敷を使わせて頂いています。

 幸いこの条件なら、私にとって赤字にはなりません。お客様の数が、5人でも、10人でも、料金は、食事代だけでお借りしているわけです。無論5人10人では公演自体がやって行けません。何とか15人以上お客様が集まるように、あちこち声をかけて人集めをしています。

 通常、玉ひでさんの座敷は椅子だけを並べると、35人くらい入るのですが、コロナの影響で、半分の18人を定数と考えています。幸い、人数はいつもいっぱいです。今月の19日の開催も満席です。(と言っても18席です)。

 

 当初の企画は、3年前に遡ります。インバウンドを目的として、海外の観光客に、ショウと食事を提供できる場を作ろうと、神田明神の地下にある江戸っ子スタジオと、玉ひでさんの二か所で、私の手妻が企画されました。企画者は、旅行代理店やバス会社、イベント会社などで、会社主導でショウの場を作ることになりました。この時点では私は単なる出演者でした。

 但し、この公演のコンセプトが江戸の文化を提供することが目的でしたから、私の出演は外せません。そのため企画の段階から参加していたのです。

 手がけたのは神田明神のほうが先で、当時は、海外の観光客が激増していた時期でしたから、この企画は順調に話が進んで行き、実際何度か公演もされました。

 ところが、コロナによって、観光客は激減。思いもよらない展開で、旅行代理店などが仕事が成り立たない状況になって行きます。それまで、この企画に集まって来ていた会社がどんどん抜けて行き、ショウ自体も開催できない状態に至りました。

 

 玉ひでさんは、元々私が興味を持っていた場所でしたので、公演はやりたかったのです。然し、玉ひで公演は始めから逆風が吹く中での開催でした。本来は昨年1月から始める予定が、コロナウイルスが蔓延して、何度も開催が延期になったのです。

 インバウンドを当てにしていた旅行代理店などが、どんどん手を引いて行き、いたずらに開催が遅れ、月日だけが過ぎて行きます。このまま何もしないでいるのはまずいと考え、昨年の6月から私の自主公演で、毎月定期公演をすることを決めました。

 「Max20人程度の座敷なら、やってやれないことはないだろう。コロナが半年、一年後に終息したなら、また旅行代理店も集まって来るだろう」。と考え、見切り発車をしたわけです。人が少なかったのは当初の3か月くらいで、その後は順調にお客様も集まるようになりました。そして、先月で1年開催したことになります。

 

 自主公演では、メイン手順の他に、日ごろ演じない珍しい手妻も披露しています。そのため私もめったにしない演技を稽古しなければなりません。これがいい刺激になります。

 また、弟子の前田は毎月出演しています。前田だけでは目新しさが出ませんので、ほかの若手にも声がけをして、私の演技の開始30分前に、マジックショウを加えています。今は、戸崎卓也さん、ザッキーさん、早稲田康平さん、せとなさん、4人の若手が交互に出演しています。

 若い人は見ていると、みるみる舞台慣れして来て、顔つきが変わってきます。人に見られることの意識が身について来るわけです。こういう姿を見るにつけ、「人を育てるには生の舞台は必要なんだな」。と実感します。

 何にしても、若い連中と、ごちゃごちゃ話しながらマジックの活動していると言う場が大切です。いつでも何人かで集まってマジックをしていると、傍から見ると、「何か知らないけど、あそこに行くと、面白そうなことをしている」。という風に見えます。この、「何か知らないけど何か面白そう」、と言うのが大切なのです。これが火種なのです。

 例えば私が、自分の演技をするために舞台活動をする、と言うのは、言ってみれば、何十年も続けて来たことを見せることになります。それは安定した演技にはなりますが、それそのものの話題は乏しいのです。

 人を引き付ける公演には、安定した演技は重要ですが、それ以上に観客が求めるものは、危ない演技なのです。未熟で、形がまとまっていない、この先どうなるかわからないような不安定な演技、こんなものは何ら商品価値はないのではないかと思わせるような演技、それが実は観客の刺激を満たす要素になります。

 まだ海のものとも山のものとも判然としないような、曖昧な演技を持ってくすぶり続けている若いマジシャンが数人集まって、何やらごちゃごちゃとやっている。そうした不安定なものを人に先駆けて見ることが面白いのです。

 この先、彼らが上手くなって、名前が知られるようになって行ったとしても、彼らのあの時の姿は二度と見ることはできません。そんな彼らの出る場所を誰か先輩が作ってやらなければ、せっかく小さな炎を灯し始めている芸人の卵たちも、何もしなければ消えてしまうのです。

 それを実践するのが私の役目かと思い。玉ひでの場を作って毎回出演をしてもらっています。どうぞ、一度玉ひでにお越しくださって、生のマジックと手妻をご覧ください。

続く