手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

2日間のショウ

2日間のショウ

 

 一昨日と昨日(6月5日6日)の二日間、小さなイベントに出演しました。日本橋の田源(たげん)さんと言う大きな呉服屋さん展示会のイベントでした。コロナの非常事態宣言のために日程変更などありまして、一時は開催も危ぶまれましたが、何とか昨日開催できました。

 コロナ禍と言うこともあって、派手な催しはできませんでしたが、日本橋の近辺に住む若い家族連れなどが大勢集まって下さって、熱心に手妻を見てくれました。一昨日にご覧になったお客様が口コミで噂をしてくださったのか、昨日は、倍のお客様が集まりました。

 子供さんもたくさん集まりました。大人と子供が一緒になって楽しめるイベントと言うものはなかなかありません。手妻の公演は大人からも子供からも好評で、皆さん満足されて帰られました。

 何よりも子供にとっては、すべてが理解できるお伽の世界です。次から次に起こることが、見るもの不思議で、無限に夢を膨らませます。昨日は、一回目と二回目の間に、どうしたら弟子入りできるか、と真剣に聞いてきた子供さんがいました。弟子の前田が真面目に応対していましたが、さぁ、ひょっとすると、十数年後に本当に弟子入り希望が来るかもしれません。その時まで私が健康体で手妻が出来ていなければいけません。

 

 田源さんのお店は、私が毎月恒例で開催している玉ひでさんのお店とも近く、客席で、玉ひでさんのチラシを配ると、すぐさま7月の申し込みが数名ネットに入りました。このところ、玉ひでさんの公演は安定しています。今月(既に満員です)は勿論。来月も恐らく満席になるでしょう。口コミの威力は絶大です。有難く思います。このままで行けば、二回公演も近いと思います。

 何にしても、私とすれば、舞台の依頼がないまま、開店休業の状態でいるのは体によくありません。どんな場所でも、どんなところでも、見て下さるお客様がいるなら舞台に立ちたいのです。見せることは必ず次の舞台のチャンスにつながります。弟子にしても、せっかく修行しているのに、デスクワークばかりしていては意味がありません。毎日でも舞台に立ちたいのです。そうした意味で、一昨日、昨日は誠にありがたい舞台でした。

 

 幼稚園児や小学生が熱心に見ていましたが、これくらいの年齢で、手妻を体験するのは大切です。彼ら彼女らは一生この体験を忘れないでしょう。この時に受けたインパクトが、その後、様々な芸能を見る元になって行きます。

 芸能とは何なのか、全く知識のない子供に、いきなり生の芸能を見せると言うことは、不毛の土地に一粒の種が蒔かれ、その土地から芽が出たことと同じです。そこからどんな花が咲くのかはその後に当人が感じる印象によって変わって行きます。

 確実なことは子供たちが芸能を認識したと言うことです。芸能とはどう見るものなのか、どう考えるのか、を知る端緒なのです。芸能を知ると言うことは、彼らはそこから、人生や人のつながりをより深く、多面的に見る知識を学びます。芸能を知らずに育つと、一方向のみで世の中を見る、偏(かたよ)った人格になって行きます。

 芸能とは極論すれば、弱者、はみ出し者の言い訳なのです。明らかに間違った人、明らかに虐げられている者たちの悲痛な叫びが芸能の原点です。「そんなものを聞いて何になる」。と思う人もいるでしょう。然し、そんな人でも、ひとたび自分が弱者の立場に至った時に、芸能の言っていることが切実に聞こえて来ます。芸能は言ってもどうにもならないこと。明らかに間違っている人の言い訳を聞くことなのです。

 

 ロミオとジュリエットがなぜ結ばれないかは、実は10歳と13歳の初恋だからです、演劇では13歳、16歳になっていますが、史実はもっと若かったのです。しかも親同士は同じ町の中で利権を争うライバルなのです。当時でなくとも、今でも10歳と13歳の、対立した家の子供の結婚ならみな反対します。

 然し、シェークスピアは、無理な恋愛を、さも愛さえあれば何とでも解決できると言わんばかりに二人の愛を語ります。然し、終いには許されない恋と断罪して、悲劇の幕を下ろします。観客をその気にさせて、明らかに無理な話をラブロマンスに作り替え、結局天井から突き落として終わるのです。

 どう考えても理不尽です。然しそれが芸能芸術です。これをばかばかしい、くだらないと言うのは簡単ですが、ひとたび自分がその立場に立ったなら、この話の題材は一つ一つが心に刺さります。と同時に人の心を慰します。

 間違った行為を犯してしまっては変えることはできません。芸能は誤った行為を正当化はしません。芸能ができることは鎮魂なのです。傍に寄り添って間違った人のために一緒に泣いてやることなのです。見ようによっては女々しい世界です。然し、それが芸能なのです。それがわかると人は芸能から離れられなくなります。

 その芸能の発端として種をまく役を私が引き受けたことになります。何十年かして、その子供が大人になって会う機会もあると思います。どんな風に豊かな心に育ったか、その時が楽しみです。

 

 実は、芸能の芽が育った子供の親御さんから先月連絡が来ました。今から10年前、私は京都の会社経営者の山本さんのお宅で、手妻の会を致しました。山本さんは、今も古い京町家にお住まいで、家は京都の文化財になっているお宅です。

 そこで、山本さんは定期的に落語会とか、クラシックの演奏会を開催しておられます。その催しに、私の手妻を使って下さいました。3年間毎年一度、都合3回、山本さんのお宅で手妻を演じました。その時、大人に混じって何人も子供さんが見に来ていました。その中の一人の子供さんが、私の手妻を喜んでくれて、その後もことあるごとに手妻の話をされるのだそうです。

 そして、今年になって、奈良県ロータリークラブでパーティーを開催することになり。役員一同、どんな催しをするかと会議をする中で、一人の役員さんが、10年前、現在大学生になった息子と子供のころ、一緒に京都で見た「手妻がもう一度見たい」。と言ったことを役員会で伝えたのだそうです。

 話は一縷の細い糸を手繰って、過去とつながって行きます。役員会は「そんなに面白い人なら、出てもらおうか」。と言う話になりました。然し、話は簡単ではありません。記憶を頼り、山本さんの連絡先を調べ、私が誰であるかを探し、住所を訪ね、私の元に連絡を下さった次第です。

 こうして、私は8月に、ロータリークラブのパーティーに出演することになりました。それもこれも、息子さんが心の中でずっと私の手妻を思い続けてくれていたのがご縁です。

 何もかもを実利に結び付けることは正しいことではありません。然し、面白かったことをしっかり子供さんが記憶していてくれていたことは、私にとっても幸いだったわけです。何万と蒔いた種から、たった一粒、花が咲いて実を結んだわけです。一粒万倍の妙術です。

続く