手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

NHKラジオ深夜便 1

NHKラジオ深夜便 1

 

 今から10年前、突然NHKから電話が来まして、「ラジオ深夜便と言う番組があるんですが、ご存じですか」。私は何か聞き覚えのあるタイトルだと思い、「あぁ、母が夜、寝付かれなくて、よく聞いていると言っていました」。

 「そうなんです。タクシーの運転手さんや、トラックの運転手さん、それから高齢者の方が結構聞いているんですよ。番組は深夜12時から、ずっと朝方まで長時間放送しているんですが、深夜二時くらいにエッセイのコーナーがあります。毎回一人のタレントさんをお招きして、その人の歴史とか、これまでの仕事の内容とか、なんでも結構ですがお話ししていただいています。そこに藤山さんをお願いしたいと思ってお電話しました」。

 聞いて面白そうだ、とは思いましたが、問題は、ラジオ番組、と言うことです。テレビなら、途中、手妻を見せることも出来ますが、全くの喋りだけで手妻の歴史や、演技内容を一人で語ると言うのはかなり難しい話です。

 「あの、面白いお話だとは思いますが、私が視聴者さんを納得させるだけの話術があるかどうか、私が引き受けた結果、却って番組に対して失礼なことになりはしないかと心配です」。

 「それは大丈夫です。今までの藤山さんがテレビに出てお話しされていたものをいくつか拝見しましたが、大変魅力的な話し方をされます。内容も個性的で、他の人では話せない内容ばかりですので是非お願いしたいのですが」。

 そう言われると、まんざらでもないと思い、お引き受けしようかなと考えましたが、NHKさんの求める内容はかなりハードルの高いものでした。

 「但し、一回10分程度で、5日間連続でお話ししていただきます。そしてその5回分はNHKに来ていただいて、一日で録音します。宜しいでしょうか」。

 言われて私は悩んでしまいました。10分で5回と言うことは、50分の原稿をこしらえなくてはいけません。単純に原稿用紙50枚です。そこで、

 「とにかく簡単な内容を書いて持参しますので、それで良いかどうかご判断くださいますか」。

 と言って、引き受けるとも何も言わずに、打ち合わせ日を決めて、それまでにラフに原稿を書き上げてNHKにお伺いしました。打ち合わせの結果それでいいと言うことで、収録日までに正式な原稿を書き上げて、再度NHKに伺いました。

 私の人生の中で、50分、マジックをしないで語りだけでNHKに出演したことはありませんでした。これもいい機会かなと思い、原稿作成に力を入れました。手妻をしないで手妻を伝えるのですから至難です。

 そこで、例えば水芸の口上とか、金輪の曲の口上などを、目の前で演じているかのごとくに、演技をしている尺で、口上を挟んで語ったならどうだろうか。当時の芝居小屋の雰囲気を出したなら面白いのではないかと考え、とにかく古風な形式で原稿を作り上げました。

 ラジオの放送室は、テレビのスタジオとは違い、スタッフも少人数ですし、部屋はとても小さなところで録音します。小部屋に私一人閉じ込められて、ガラスの窓越しからきっかけを出されて喋ります。机の上にはマイクと水が一杯あるだけです。

 なるべくゆっくり話しますが、話しているうちに自分自身のテンポが出て来て、思っていた以上に快調に話すことが出来ました。しかし、一本撮り終えて、緊張から汗が吹き出しました。10分くらい休憩し、二本目に入ります。原稿は出来ていますので、ただ読むだけですが、これが簡単ではありません。間違えてもとにかく続けます。

 5本撮り終えるとぐったり疲れました。椅子に座ってただ喋るだけですが、これがこんなに大変なものとは知りませんでした。

 

 さて、録音を終えて、放送日を楽しみにしていましたが、なんせ深夜2時の放送ですので、聞く機会も限られています。幸いNHKさんからまとめて録音を送っていただきました。まぁ、可もなく不可もないものでしたが、果たしてこれが皆さんに喜んでいただけるか。それが心配でした。

 聞く人がいると言っても、深夜二時のことですので、何人興味の方がいらっしゃるのか。あまり当てにしないでいました。ところが、放送のたびにアンケートをいただき、面白がって聞いてくださる視聴者さんがかなりいたことをうれしく思いました。

 

 そうした中で、私の公演が見たいと言って、NHKに私の連絡先を聞いてきた方がいらっしゃいました。お客様は大阪の方で、大阪での公演はないかと聞かれました、ちょうど、文化庁の学校公演で京都の小学校で公演する日がありましたので公演日をお知らせしました。

 実はこのお客様はイベント会社のキョードー大阪の社長さんで橋本福治さんとおっしゃる方で、大阪では最大手のイベント会社です。大物ミュージシャンや、オペラなどを招聘して興行しています。あまりに規模が大きすぎて、私の企画などとは縁遠い会社でした。

 京都の公演に橋本社長は仕事の都合で来ることはできませんでした。然し、女性社員が来て下さって、えらく気に入って下さったので、恐らく会社で報告をされたのでしょう。すると、橋本社長から連絡が来て、東京ではどこに出ているのかと聞いてきました。

 当時私は毎月一回、神田明神にある、神田の家と言う古民家の座敷で手妻を見せていました。20人も集まれば満杯という小さな座敷です。そこを紹介すると、橋本社長は東京まで見にいらしたのです。座敷に座って、一時間、私の手妻を楽しそうに見てくださいました。大きなイベントばかり手掛けている橋本社長にとっては、真逆な催しです。が、この座敷の企画をえらく気に入って下さったのです。

 全く不思議なご縁でした。元はと言えば、ラジオ深夜便と言う、語りだけの放送から、私を探し出してくれて、熱心に追いかけて下さって、ご贔屓になって下さったのです。これがのちに大きな仕事につながって行きます。

その話はまた明日。

続く