手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

金持ちの孤独 2

金持ちの孤独 2

 

 芸能で長く生きてきたことによって、随分いろいろなお客様とご縁が出来て、お客様から過分にお世話をいただきました。

 私のどこに興味を持ってくれたのかはよくわかりませんが、私の演じる手妻から何かを感じられたのか、何度も何度も舞台を見に来てくださって、折あるごとに食事に誘われたり、遊びに連れて行ってくださるお客様がありました。

 

 私からマジックを習いたいと言う人とも何人もお会いしました。その中で、Bさんは、未亡人で財産もあり、大きな家を持ち、毎日デパートに行って買い物をし、買い物の後は近くのレストランで食事をして車で帰ってくることが日課の人でした。

 ある日、Bさんから、手妻を習いたいという依頼を受けて、Bさんのお宅に伺いました。Bさんとはこれまで何度もあって話をしています。私よりの10歳くらい年上の女性です。Bさんのお宅のある駅前で待ち合わせをして、車でホテルに行き、ホテルのレストランで食事をしながら長い話をしました。

 それから車でBさんの自宅に伺い、さて手妻の指導をするのかと思うと、応接間に通されて、娘さんからお茶をいただき、またまた長い話になりました。私は出張して指導をしていますので、往復時間を入れてもせいぜい3時間ほどで用事が住むものと思っていました。

 ところが、駅でお会いしてから5時間たっても指導は始まりません。初めはBさんに話を合わせて、なるべくBさんが喜びそうな話をして気を使っていましたが、いつまでたっても指導を求めてくる気配がありません。

 「あの、手妻のご指導はどうしますか」。と尋ねると、「今日は初めてですから、お話だけで、次回からご指導をお願いします」。と言うことでした。

 結局指導料はいただいて、その日は帰ってきたのですが、何も指導せずに指導料をいただくのは心苦しく思いました。

 翌月お伺いすると、同じようにホテルで食事をし、車でBさんの自宅に伺い、またも長い話が始まります。私はこうしてBさんと日がな一日世間話をすることに時間の浪費を感じました。この時も、お金持ちで孤独な人特有の「影」が感じられました。

 互いがこうしてここで話しをしていること自体が空虚なのです。ただただ時間を空費しているだけなのです。世間話はあってもなくてもどうでもいい話ばかりです。話が止まると何もすることがなく、しばらくして、また意味のない話を見つけては無駄な時間を過ごして行きます。豊かな生活はしていますが、音楽も演劇も、何ら芸術の話が出ません。出てくるのはマジシャンの噂話ばかりです。私にとってはどうでもいい話です。私は少し不快感を感じました。

「手妻のご指導はしなくてもよいのですか」。というとBさんは、「えぇ、お願いします」。と言います。然し、別段習う状態ではありません。何もしないわけにはいきませんので、雑談の延長で指導を始めました。

 事前に、必要材料を伝えてありましたので、材料のことを言うと。「まだ道具は用意していないんです。何から始めていいかわからなくて」。などと言います。

 そういうこともあろうかと、私の方で道具を持参して行ったのですが、いざ始めると、マジックの噂話は熱心ですが、一向にいま指導している手妻に熱が入りません。

 かなりマジックを知っている人ではありますが、その演じ方は雑で、これまでの習得の仕方は我流です。マジシャンのことには詳しく、人の技量はかなり厳しく採点しますが、実際ご自身の演技はまったく素人芸です。見る目ばかり育って、自分の技術が何一つ備わっていません。

 どう指導したらいいものか、教えつつも考えてしまいます。あまり焦っても仕方がありません。じっくり一つずつ手妻の面白さを伝えて行こうと考えて、要所要所をご指導すると、「それは知っています」。と言うのですが、実際はまったくできません。「知っているだけでは人前で見せられませんよ」。と言って、詳しく指導をしようとすると、疲れた表情をして、すぐに休憩になってしまいます。あまり乗り気でないのです。

 こうして、指導と言うよりも、世間話ばかりをして、時間が過ぎ去って行きました。私は「この先も私から手妻を習いたいですか」。と尋ねると、「えぇ、ぜひ覚えたいのですが」。と言います。そこで、私は少し口調を改めて、

「それではご指導はします。でも、次回から食事はいりません、指導がすむまではお茶も結構です。家の場所もわかりましたので、次回からは直接お伺いします。そして、私がついたならすぐに指導ができるように準備しておいてください。ご指導は1時間。それ以上伸びたなら、もうワンレッスンの料金をいただきます。それが終わったらお茶をいただきますが、その時間は30分くらいとお考え下さい。お茶がすんだら帰ります」。

 と言うと、Bさんは明らかに不快感を持ち、「私はそんなにマジックがうまくなりたいとは思っていない。別に人にマジックを見せたいとも思わない。楽しくマジックが出来ればそれでいい。一方的に子弟関係のような指導は受けたくない」。と本音が出たのです。

 つまりBさんの本心は手妻が習いたいわけではなかったのです。ひたすら続く退屈な毎日の話し相手が欲しかっただけなのでしょう。

 然し、私にすれば、この時間の空費が耐えられませんでした。「こんなことをしていて何になる、早くBさんから抜け出さなければ、自分自身の人生がだめになる」。そう思うと私は、Bさんの指導を断り、Bさんの家を辞しました。

 この時私はつくづく自分自身は芸人に不向きな人間だと思いました。指導など本気になってやる必要はないのです。空いている日に電話をして、金持ちの遊び相手になって、一緒に世間話をして遊んであげたなら、いい食事が出来て、収入の足しになったのです。然しできませんでした。あの底なし沼のような、無限の時間の使い方が耐えられなかったのです。いくら金があっても、あの生活が幸せには思えなかったし、その仲間にはなりたくなかったのです。

続く

 

 明日はブログを休みます。