手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

どう残す。どう生かす 2

どう残す。どう生かす 2

 タイトルの「どう残す。どう生かす」。は私が講演するときのテーマです。私が長く続けて来た手妻の活動は、「いかにして残すか」。を目的にしているわけではありません。仮に手妻がこの先に残ったとしても、博物館や、資料館に道具だけ残されて、ガラスケースの中に展示されているのでは、芸能としての手妻は死滅したも同じなのです。

 ちょうど昆虫が、虫ピンで手足を刺されて、品種別に飾られているのと同じで、そこにあるのは死んだ昆虫にすぎません。芸能も同じです。生き生きとした状態でお客様に見てもらえないのでは芸能ではないのです。つまり芸能は「どう残すか」ではなく、「どう生かすか」が大切なのです。

 どう生かすかの「生かす」方法は、手段は一つではありません。ただ単に私が手妻を演じていれば、それで残ると言うものではありません。古いから、古典だからと言って、みんなが大切にしてくれて、熱心に見てくれるものではありません。

 ほとんどのお客様にとって、手妻が残ろうが消えようが、そんなことはどうでもいいことで、何とか手妻が残るように助けてあげようとする奇特な人はほぼ皆無です。私が50年以上かけて活動してきたことは、世間から見たならどうでもいいことなのです。

 それを価値あるものにするのが私の仕事です。そのため、昔の手妻を残しつつ、わずかなマイナーチェンジを加えたり、手順を変えたり、時に新たに種仕掛けを加えたり、作り直したりして、作品をより明確に、見ていて面白いものにすることが大切なのです。

 しかも、出来上がった作品が、私のアレンジで手妻が何倍も面白いものになり、お客様が喜んでくださって、まるで二百年、三百年前からそのやり方でやっていたかのごとく、作品の邪魔をせずに、古さになじんで、効果をあげていたなら。私の務めは成功したことになります。話が長くなりましたが、作品のアレンジの話を続けましょう。

 

二つ引き出し

 上下に引き出しのある小箱は、手妻の世界では「夫婦(めおと)引き出し」と、呼びますが、これは帰天斎の流派の呼び方です。この手の引き出しは、指物(家具製作者)の世界では本来、「二つ引き出し」と、呼びます。

 私の一門では、従来の夫婦引き出しと区別して、手提げの付いた引き出しを二つ引き出しと呼んでいます。

 私が30代の末に、夫婦引き出しをアレンジしているときに、既に構想の中に二つ引き出しのアイディアが浮かんでいました。すぐにでも製作に入りたかったのですが、矢継ぎ早に新規製作をしていては費用がかかりすぎます。なかなか夫婦引き出しと、二つ引き出しを同時に製作はかかれませんでした。

 何しろ、夫婦引き出しと二つ引き出しでは根本の仕掛けが違います。実際にバルサ板で見本を作り、思考錯誤を繰り返してみると、何とかできるようになりました。下に入れた玉が消えて、二階の引き出しから出て来ます。

 昨日私が、二つの引き出しがありながら、上の引き出しを一切使わないのはおかしい。と言ったことは、そのまま私の疑問だったのです。それを、からくりを大幅改良することで作り直して見たわけです。

 作品に疑問を抱くことは誰でもすることと思いますが、そうならどう改良するかという段になると、なかなか良い考えは出て来ません。多くの人は結局諦めて、昔の型で演じてしまいます。それを疑問の隅々まで考え抜いて答えを出すことは苦労の連続です。その頃の私は何かに取り憑かれたかのように夢中になって改良を続けていました。

 更に、二つ引き出しには手提げを付けることを思いつきました。手提げを付けることで直接箱を手で持ちません。演者は手提げを手に持っているだけで、全く箱に触れない状態で玉を出したり消したりします。これは実際不可能です。

 発想は更に発展し、直接道具に手を触れないことを強調するために、玉を持つときも、煙管で玉を掬い取って示すように工夫してみました。マジックに使う、マジックウォンドを発展させて、煙管で玉を持ったら面白いだろうと考えました。なぜ煙管なのかと言えば、手提げの小箱が煙草盆に似ていたからです。

 そこで、煙管の雁首を少し大きく作り直して、小さな盃(さかづき)を乗せたような形状のものを作り、玉の出す消すを手で持たずに、煙管の先で取り、雁首に玉を乗せることで示せるように工夫しました。こんなやり方は古典にはなかったことです。

 然し、いかにも手妻の世界にはありそうな振りを考えて見ました。こうしたハンドリングをこしらえたときに、内心「これで引き出しは百年先まで残せたぞ」と密かに確信しました。

 先ず煙管の先に玉が乗るような細工と言うものはどこにもありません。そのため、飾り職人に銀細工で作ってもらいました。たった一つの雁首を作るのですから、とても費用がかかります。然し、値段などどうでもいいのです。

 小箱は、漆を塗り、金蒔絵を施して作りました。その道具に、白く輝いた煙管の上に赤玉を乗せて、見得や振りを付けると、まるで江戸時代の手妻師がそこにいるかのようで、とても個性ある世界が生まれました。これです。こうした世界を作り出して見せたかったのです。種仕掛けだけでなく、たたずまいが人の心を掴むのです。それが古典芸能を生かすことになります。私が思い描いていた通りのものが出来ました。

 煙管を使った引き出しはどこで演じても評判が良く、効果絶大でした。煙管を使うと、本来、引き出しの演技は、小さな現象であるにもかかわらず、1000人の舞台で見ても玉の出た、消えた、が良くわかります。また、鈍く光る銀煙管が高級感を出して、独特の世界を作り出します。44歳で作り上げたこの作品は私のヒット作になりました。

 実は、大樹や、前田も密かに銀煙管を使った二つ引き出しに憧れていたらしく、一昨年は大樹が二つ引き出しを作りました。もう既にあちこちの舞台で演じています。また、前田も、昨年、文化庁から道具製作のための支援金をもらい、二つ引き出しを作りました。自分で作るとなると、数十万円もかかる装置ですので、国の支援は有り難いと思います。

 前田にとっては、この道に入ったらぜひやりたかった手妻の一つであったらしく、念願の道具を手に入れたことになります。前田も年内には二つ引き出しをすることになるでしょう。贅沢な話です。

 但し、二つ引き出しは、一般には出していません。アマチュアさんに出すと、そこから情報が洩れて、これを真似て商品化する人が出ますので、私の一門が所有するのみです。

 私とすれば。若い人が、大金を投じても真似たい。作りたい。と思うような作品が出来たことを幸せに思います。「あげる」と言っても欲しがらないような古い道具がある中で、なんとしても手に入れたいと思う作品があることは、手妻の世界を大きく、価値を引き上げたことになります。そうした作品を残せたことに自負しています。

続く