手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

差し入れと言わないで

差し入れと言わないで

 

 私のところで修行するとまず、直される言葉は「差し入れ」です。楽屋にお客様がお菓子などを持ってきて下さったときに「差し入れをいただきました」。などと言ってはいけません。「楽屋見舞い(がくやみまい)が届きました」。と言います。

 差し入れと言うのは、刑務所の受刑者を面会に行くときに、家族や、友人が、面会所で、ガラス板の仕切りを挟んで話をします。そのガラス板のところに映画館の券売所のような小さな穴が開いていて、そこから持ってきた品物を受刑者に「差し入れ」るために、これを差し入れと言います。

 なぜかこんな特殊な言葉が普及して、人に土産を持って行く時に、普通に差し入れと言う人がありますが、それは間違いです。古い芸人さんたちは、若手が物知らずないい方をすると「そんなことを言ったら笑われるよ」。と、必ず直させました。私も弟子には注意しています。

 楽屋に物を持って行くときは熨斗紙(のしがみ)に「楽屋見舞い」と書きます。病院の場合は「病気見舞い」、或いは「お見舞い」です。文字の頭に病気と付くことを嫌う人もありますので、あえて病気とは書かない場合が多いのです。選挙のときは「陣中見舞い」です。

 私の楽屋にお菓子など届けてくださるお客様の中に、丁寧に熨斗紙に「差し入れ」と書く人があります。これはもらう側が困ります。まぁ、善意に解釈して「私を見舞ってくださっているんだ」と、判断して、何も言わずにいただきます。

 

 見舞いは、例えば火災のあった家に品物を送るときは「火事見舞い」。と、書きます。水害のあったところには害は書かずに「水見舞い」。と、書きます。「水見舞い」とはいい言葉です。出産祝いも、出るという文字があまりに生々しいので「お産見舞い」。と書くようです。

 何分見舞いとは災難を被った人を勇気づけるために、品物を送るわけですから、熨斗紙に書く言葉は、よくなる方向を示すような文字を使うことが正しいのでしょう。

 

 もう一つ必ず直す言葉は、「黒衣(くろご)」です。黒衣は世間一般ではすでに黒子と書いて「くろこ」と呼んでいます。今や多勢に無勢、衆寡敵せずの状態ですが、それでも私の一門では必ず黒衣(くろご)と呼んでいます。

 黒い着物を着て舞台の上で目立たなく動く、影の仕事をする人を、黒いころも、で黒衣(くろご)です。これをくろこ、とは言いません。ましてや漢字で黒子とは書きません。黒子と書くとほくろと読みます。でも今の時代にほくろを黒子とは書かないし、読めない人が多いため、黒子の文字が死語になっています。そこでくろごを黒子にあてたのでしょうか。

 いずれにしても全く違う意味です。特に私のところでは実際黒衣を使いますので、文字は黒衣と書き、それを必ず「くろご」と発音します。

 発音の際には、くろごの「ご」は鼻濁音で、ngoと発音します。口中で「ご」と言うのではなく、喉の奥からngoと発音します。nはほとんどわからない程度の発音です。これは東京の発音だと思います。

 学校と言うときはgakkoとそのまま発音しますが、gの言葉が単語の途中で出てくる場合は鼻濁音に変化します。例えば、小学校はsyo ngakkoと発音し、鼻濁音が入ります。ご飯はごはんですが、晩御飯の「ご」は鼻濁音です。

 但し、黒子(くろこ=ほんらいはほくろ)は、文字も読みもどんどん浸食してきて、今や黒衣(くろご)は消えつつあります。せめて私のところだけでも残そうと、あまり意味のない抵抗を続けています。

 駒形橋はこまかた橋であって、こまがた橋ではありません。私がこまかた橋と言うと、ご丁寧に「こまがた橋でしょ」、と但す人があります。間違いを正されるなら素直に聞きますが、正しいことを間違った言葉に正されるのは心外です。しかも、こまがたの「が」が鼻濁音になっていません。二重に間違っています。でもこれも、いつか「かた発音」が消えて行き、「がた派」に占領されて行くのでしょう。正義は必ず勝つと言うものではないようです。

 

 先月、富士の指導で、若狭通いの水をしたときに、セリフに中で、「此方の水を彼方の方に、移してごらんに入れます」。と言うのを、私は今まで彼方を「あなた」と発音していたのですが、生徒さんが「かなた」、と発音されて急に自信がなくなり、「あぁ、確かに彼方はかなたと読むから、まぁ、かなたでもいいか」。と、安易にかなたを認めてしまいました。然しそのあと、新幹線の中で、「かなた、かなた」と何度も発音しているうちに、やはりこれはあなただと思い、自宅に帰ってから辞書で調べると、やはりあなたが正解でした。一昨日の富士の指導であなたと訂正しました。

 ドイツのカールブッセの詩で「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う」。と言うものがあり、これを三遊亭円歌師匠が授業中という落語で使っていました。若狭通いの水の口上は古い言い回しですので、これはあなたでよいはずです。

 ちなみに若狭通いの水の口上は、「大和の国、奈良は東大寺の二月堂の傍に若狭井という井戸がございます。この井戸は、毎年二月は十と五日、海の潮が満ちる頃、遠く若狭の国よりこの井戸へ、水が通うとございます。いささかこの儀を象(かたど)りまして、此方の水を彼方の方へ、水を移してごらんに入れましょう」。と言うところのあなたです。

 仕掛けは単純ですが、セリフの良さと、御幣(ごへい)などのもっともらしい小道具を使うところが古風で面白いために、最近人気が出てきて、今これを習いたがる人が増えています。一昔前なら、マジシャンはセリフを言うことが不得意で、手妻の口上などは嫌う人が多かったのですが、今は口上が面白いと言う人が増えました。時代が少し変わってきたようです。良い流れになってきたと思います。

続く