手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

 

 以前に、マジシャンはほかの社会のトップに比べて、いい顔をした人が少ないと話しました。あまりに漠然としたいい方です。私の言ういい顔とはどんな顔か、もう少し詳しくお話ししましょう。

 いい顔とは奇麗な顔を指しているのではありません。一つの仕事を50年、60年とやり続けていると、その職業でなければ出てこないような、独特な顔になって行きます。そんな人を見ると、「あぁ、この人は一つの職業を長く続け来たなんだなぁ」。と、顔を見て納得します。

 毎日木を削って、木工作品を作る。土をひねって壺や茶碗を作る。機(はた)を織って、織物を作る。第一線の舞台女優として、常に客席を満席にし続けている。オーケストラの指揮者として、一癖も二癖もある演奏家たちを統率して、優れた音楽を提供し続けている。

 なんにしても、一つことを続けてくれば、その生き方は独自であるわけで、そこから出来てきた人格や、表情は誰も作り得ないもので、しかも、長く生きるには偽物では通用しません。こうした顔に接すると、一緒にいるだけでその人の人生を体感したようで、幸せな気分に浸れます。

 然し、社会のトップの人と長い時間一緒にいると言う機会はなかなかありません。そうした時間を手に入れたとしたなら、それは人生の至福の時と言えます。遠目にわずかな時間トップの人を見るのと、いろいろ質問をして話を聞くのとでは大違いです。時に話をしたことで全くその人を誤解していたと気づくこともあります。

 

 私がマジック界でいい顔をしている人だったと思うのは、昔でいえば、アダチ龍光師匠です。ロープ切りだの、リングなどを得意にしていて、およそ派手さもなく、一人で喋りながらお客様を笑わせていた人ですが、晩年に行くに従って、喋りは噛んで含めるような味わい深いものになり、お客様も年寄りの昔話を聞くかのようにのんびり楽しんでいました。

 テレビにもよく出ていましたので、道を歩くとみんな知っていました。地味で自己主張をせず、穏やかな人柄で、みんなに愛されました。小学校の校長先生のような風貌で、度のきつい眼鏡をかけ、口ひげを生やし、いつも黒のタキシードでマジックをします。私は年を取ったらこういう顔の人になりたいと思っていました。然し今その年齢に近づいて思うことは、なかなか歳が近づいたからと言って、あの境地には至りません。あの人柄、あの芸にはなかなか到達できないのです。好々爺であり、すべてを悟っていながら、まだどこか少しインチキ臭い。そんな裏も表もある顔がマジシャンの到達すべき顔なのだと思います。

 

 いい顔と言う点では、初代の引田天功さんと言う人は、素晴らしいいい男でした。背が高く、肉付きが良く、顔は甘い顔立ちで、巨人の高橋由伸さんのような雰囲気がありました。然し、45歳と言う年齢で亡くなったためか、人としての面白みとか、厚みと言ったものは感じられませんでした。

 女性関係はやりたい放題で、あのまま生きていたら結婚詐欺で訴えられただろうと思う話がいくつもありました。まったく危ない人生で、あの時心筋梗塞で死んだことは、名誉の死であり、天の恵みだったと思います。

 性格は、猜疑心の強い人で、いつも後輩に自分の立場を侵されると言う恐怖心にさいなまれ、若手の家に電話しては、「お前の演技はまるでなっていない」。と嫌味を言い、若手がテレビ出演する際には、わざわざプロデューサーに電話してその若手を外したりしました。

 私もそれをされた一人です。随分迷惑をこうむりました。然し、当人はその時の都合だけで生きているわけですから、悪気などなく、全く無意識に若手の邪魔をしました。

 天功さんの悪行を語ればきりがありません。でも、テレビの業界など少しでもかじれば、先輩と称する人はそんな人ばかりです。テレビで成功する人の席はあまりに少ないのです。引田天功と言えども、その社会でしがみついて生きて行かなければならない一人なのだと思えば、それもやむなしなのかと思います。

 然し、この業界のトップの顔としては未完成だったように思います。もっともっと年を取っていい性格も悪い性格も説得力が出てきたならば、それはそれで含みのあるいい顔になって行ったのかもしれません。45歳と言うのはまだまだ生な年齢だったのでしょう。インチキ臭さは多分に持ち合わせていましたが、この業界を代表とする顔と称するには物足りない顔だったと思います。

 

 今、マジック界でいい顔をしているなぁ、と思うのは、マギー司郎さんです。60になったぐらいから、急に穏やかな顔になって行って、いい人相になったように思います。かつてのアダチ龍光師を彷彿とさせます。

 お客様も、マギーさんのマジックに一切期待せず、ただボヤっと眺めていて、マギー司郎と一緒にいることを幸せと感じているようです。いいですねぇ、マギー司郎の芸に費用対効果を求める人はいません。ただ彼が存在していることに満足をしています。芸人の理想です。

 

 海外の人でいい顔と言うと誰でしょうか。古くは、チャニングポロック、フレッドカプス、ノームニールセンは、他を圧倒するほどいい顔をしています。そこを別格とするなら、サルバノのはいい顔をしていました。小型のフレッドカプスのような演技をするマジシャンで、優れたテクニックを持ち、それなりにマエストロの風貌も備えていながら、どことなくインチキ臭く、話をしていると、矛盾の塊のような人でした。

 ポーランド人ですが、ユダヤ人が嫌いで、ユダヤ人の狡さや、周囲と溶け込まない協調性のなさなど、彼の話を聞いていると、ヨーロッパ人がなぜユダヤ人を嫌うのかがよくわかりました。そうでありながら、人類愛を平気で語るような人でした。その矛盾がまたまたこの人の魅力なのでしょう。

 興味の尽きない人でした。かつても東欧で生きて行くのは幾多の苦しい人生だったと思いますが、晩年は、顔からは灰汁(あく)が抜けて、見飽きのしない何ともいい顔になっていました。

続く