手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

昨日退院

昨日退院

 

 皆様にご心配をおかけしましたが、私は昨日退院をしました。5泊6日の入院でした。入院していきなり一切の食事ができません。2日目に、直腸にできたポリープを取りました。直腸とは、大腸から肛門に続く短い通り道です。そこに内視鏡を入れて、直腸にくっついたポリープを取りました。実際の手術は麻酔をしていたので、内視鏡を入れた記憶さえありません。麻酔が覚めた時にはすべてが終わっていました。

 そうなら、この後すぐに帰れそうなものですが、そうは行きません。2日目の時点では何も食べていませんので胃も腸も空っぽの状態ですから、食べ物のカスもなにもありません。当然便は水みたいな便が毎回少量出ます。

 ちょうど坊さんが断食をするときに、わずかな水だけを飲んで胃腸の中を空にするのと同じ状態です。断食はすべての欲を捨て去って体内をすっきりさせ。同時に頭の中の煩悩を取り去るためにするのだそうです。そうすると、頭の中だけで考えていた、物欲が無意味であることを知ります。

 私は到底そこまでは行きません。煩悩の塊です。と言うよりも、煩悩そのものです。うっかり断食などしたら、煩悩と共になめくじのように消え失せてしまいます。

 実際入院中は食べ物ことばかり考えていました。それでも、仮にもう数日断食を続けると、食べ物も欲しなくなるそうです。そうなったときに、仏教でいう世俗の欲を捨てた状態になるようです。そんな体験も興味はありますが今、私は断食をしているわけではありませんので、ほんのわずかの間体内を空にしただけです。栄養は点滴で補給しています。

 この状態は、取り除いたポリープの傷口に食物が当たらないようにしているわけです。処置した傷口に瘡蓋(かさぶた=多分そんなものかと思いますが)を作っているわけで、瘡蓋が剥がれると、再度内視鏡を入れて、傷口を塞がなければなりません。3日目、4日目までは点滴を使用しつつ、瘡蓋の様子を見ながら、少しずつお粥やスープを飲んで腸を慣らして行きます。

 つまり、2日目の手術以降は、実際何もすることがありません。便と共に下血しないかどうかを見極めるだけが用事です。当初、わずかながら便に血が混じりましたが、どうもそれは手術の時に出た血が腸内で固まったものが流れ出たようで、4日目からはまったく血の塊は出ませんでした。危険なのは、便を出したときに、血が便器いっぱいに広がる状態のようです。

 そんな時はどうするのでしょう。血は肛門を抑えきれないでしょう。常に肛門から血が流れます。タンポンでも入れて止めておくのでしょうか。そうなればそうなったでまた面白い体験です。タンポンと見せかけて、白い袋の中に万国旗を隠しておけば、タンポンを抜いた時にまさかの万国旗が出てきて、華麗にフィナーレを作り出すことができます。看護婦さんも喜ぶことでしょう。

 然し、タンポンを使用するチャンスもなく、経過は順調です。但し、ものを食べないということは確実に体力が落ちます。病院の廊下を歩いていてもふらふらします。

 日曜日、退院の朝、最後の朝食で、パンと温野菜と牛乳が出ました。パンにはマーガリンとジャムが付きました。内容を見ていると、まるで小学校の給食を思い出しました。当然のことではありますが、一週間慈恵医大病院に入院していていいものが一つも食べられませんでした。

 パンが温まっていたのは救いでした。パンは2枚、一枚はマーガリンを塗り、もう一枚はジャムを塗って食べましたが、「うまい」と思いました。ようやく食事らしい食事をしたという実感がわきました。これが朝の7時40分でした。

 それからかたずけを始め、9時には予定の通り玄関ロビーに行き、前田が車で迎えに来るのを待ちます。前田には早朝から車の用意をしてもらい気の毒ですが、やむをえません。それが修行です。実際、着替えから書籍から、もろもろをスーツケースに詰めるとかなりの重量です。私一人でコロコロ曳いて徒歩10分歩いて虎ノ門に行くのはかなりきつかったと思います。ここはやはりお迎え車が必要です。

 この先、二週間は安静にしていないといけません。激しい運動はできません。アルコールは勿論だめです。そう言われましたが、それでは火曜日のジャパンカップでは酒は飲めません。せっかくの帝国ホテルでの食事会なのに残念です。明日は、目の前にたくさんの誘惑が並び、きっと直腸には毒なものが手招きするでしょう。酒だけでなく、刺激物もダメです。辛子はだめ、カレーはだめ、麻婆豆腐はだめ。下手な喋りのマジックもダメです。(見ていてイライラしますから)。とにかくこれから二週間。少しつらい日々が続きます。

 

 そうそう、月末の辻井さんとの柳ケ瀬での飲み会も中止しなければいけません。あそこで酒を飲みながら、うだうだ世間話を喋るのが人生の幸せの一つなのですが、貴重な楽しみが消えてしまいました。4月の末には再度、お伺いしたいと思います。お気の毒ではありますが、いつものメンバーの酒好きの峯村さんも柳ケ瀬は一回お休みです。私の直腸の瘡蓋の影響で酒を飲むことができません。天下の名人峯村健二も私の直腸の瘡蓋にはかないません。

 家に戻ると、一昨日(20日)能勢裕里江さんが来て、プレゼントを持ってきてくれたそうです。裕里江さんは今順天堂大学の病院に医師として勤務しているようです。百瀬師匠を亡くして、マジックが出来ず寂しいようです。久々私と話がしたくて来たのでしょうが、私は慈恵医大に入院中でした。よく考えてみたなら、私は順天堂大学病院に入院しなくてよかったと思いました。順天堂で、私が内視鏡を入れて、肛門から血を流していたり、水のような便を流しいる姿を裕里江さんに見られたなら、私の手妻師としての威厳は薄れてしまいます。(元々威厳はありませんが)、

 いただいたお土産は開けてみると落雁でした。最近落雁を食べたことなどありません。落雁は梅鉢の形をした小さな陶器の入れ物に入っていて、中の落雁も、芥子粒ほどの小さな梅鉢の形をしていました。お茶を飲みながら、一粒いただくと甘味と、梅の香りが口に広がりました。この時初めて、自宅に帰って来た幸せを実感しました。

続く