手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

神田明神伝統芸能イベント

神田明神伝統芸能イベント

 

東儀秀樹さんの雅楽ロック

 昨日(22日)は神田明神地下にある江戸っ子スタジオで、伝統芸能のイベントをいたしました。今まで何度か出演したイベントですが、今回が一番大きな企画でした。神社の敷地内には店が出て、夜店の営業をしていました。江戸っ子スタジオのある伝統館の6階にはもう一つ劇場があり、そこにはアニメのキャラクターのショウがありました。

 私の出演する江戸っ子スタジオは、曲芸、落語、幇間芸(太鼓持ちの芸)、など5本の演目が並び、ほかにも、別イベントで東儀秀樹さんが篳篥(ひちりき=日本の古楽器)を演奏し、神田明神所属の雅楽演奏家と一緒に越天楽などを演奏しました。

 

 盛りだくさんの企画の中で私が出演したのですが、神田明神で既に3年以上この企画に出演しているため、ご存じのお客様も多く、ずいぶん熱烈な声援をいただきました。外国人もちらほら見えていましたので、インバウンドの効果も期待できるかもしれません。まぁ、実際のインバウンドの効果は、海外との交流が解除された後になりますが、それが早ければ7月あたりに解放されるかの威勢がありそうです。早くそうなって、元の活況が戻ってくることを望みます。

 

 東儀秀樹さんは今回初めてお会いしました。もともとが宮内庁雅楽を演奏する家系に生まれ、実際若いころは雅楽演奏家をしていたのですが、そこから雅楽の楽器とギターやシンセサイザーなどとコラボした曲を作って発表するとたちまち多くの若い支持者を集め、人気が出たようです。

 雅楽という非常に閉鎖的な世界にあって、たった一人世に名前が出た人で、それだけに周囲の圧力も大きなものだったと思います。宮内庁を離れてからも、雅楽の研究をして、古楽器とロックなどのコラボをして、篳篥の面白さを伝えたことはご当人のセンスの良さを表していると思います。

 私は東儀さんと同じ時代を生き、同様に古典芸能の復活を考えていたものとして、この人の考え方はよくわかります。平成になって、急に、狂言であるとか、雅楽であるとか、およそこれまで人の話題に上がらなかった分野が脚光を浴びるようになって、そこからスターが生まれました。雅楽の世界からのスター出現などと言うのは格好のマスコミの話題になったと思います。手妻も規模は小さいながらも同様に、平成になると多くの方々から興味を持って迎えられ、随分とたくさんのお仕事をしました。

 平成というのは、昭和と比較すると、どちらかと言えば古典への回帰の時代であったとおもいます。歌舞伎や、能の公演にたくさんお客様が押し掛けるようになりましたし、相撲にも若いお客様が来るようになりました。歴史を持っているジャンルの公演が、みな支持されるようになった時代です。それは、イケイケで突進していた昭和に対して、平成が、もう一度日本と日本人を考え直そうとする、原点回帰を考える時代、すなわち自己を顧みる時代だったと思います。

 実際平成になった途端、手妻の仕事が増え、評価が一気に高まったのですから、手妻にとってはい時代でした。多くの先人が決して恵まれた生活をしてこなかったのを見知っていた私なぞは、本当にこんな認められ方をしていいのかと、わが身を疑うほどでした。私の活動は、平成に入ってからはずっと安定していました。

 

もうひと波来るかもしれない

 さて、昨日お話ししましたように、手妻を習いたいという人が増えてきています。たびたび相談も受けます。「見よう見まねで手妻の道具を買い集めて、手順を作ってやってみても、なかなかしっくりとした演技ができません。それを続けていても限界を感じます。やはり基礎からしかりと学ばなければどうにもならないと知りました」。

  「マジックも手妻もしたことはなかったのですが、手妻に見せられて、その奥深さに気付き、やってみたくなりました。ご指導お願いします」。

 こんなお話をいただくことが度々あります。アマチュアさんが何をどう稽古されようと自由ですが、まず学んでおかなければならないことはたくさんあるのです。

 それでも自身が自らのまずさに気付いて、基礎から学ぼうとすることは進歩です。そう考えようとしないアマチュアさんのほうが実はたくさんいるのですから。

 さすがに最近になって、ただ着物を着て傘を出すような演技が、どこかで徐々に否定されてきているのかもしれません。そんなものが和ではない。と日本人が認識し始めているのでしょうか。そうであるならいい時代が来たと思います。日本人の和の文化を見る目がランクアップしたのです。もしそうであるなら私は今の世の中の流れから、手妻にもう一つ大きな波が来るような予感がします。

 こうした流れは今まで何度か体験しています。私が、昭和63年に芸術祭賞を取ったとき、それから平成10年に芸術祭大賞を撮った時、ともに私は心の中で大きな世の中の波を感じていました。

 波とは何かといえば周囲が妙に手妻に対して暖かくなる時期があるのです。暖かいとはどういうことかというなら、急に仕事が増えだしてきたり、講演の講師に招かれて、文化としての手妻を語る機会が増えて来たり、弟子が押し掛けて着たり、テレビ局が特集を組んでくれたりと、私が考えもしないところで世の中が、私を使おうとし始めるのです。

 そのおかげで活動が多忙になります。そうした波を経験した立場から考えると、このコロナ禍の中で、どうやら、静かに大きな波がやってきているように思います。いいことです。私はあまり流行に乗るということを望んで生きてきたわけではありませんが、向こうから波が来たなら、大きな波には自然に乗らせていただこうと考えています。

 ところで、どうして手妻にばかり波が来て、マジックには大波が来ないのでしょうか。実はマジックそのものがもうとっくに卒業していなければいけないことをいまだに引きずっていて、自分の世界に閉じこもり、その中だけで生きてゆこうとしていることが成長を妨げているのです。そのお話は明日申し上げましょう。

続く