手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

天一 16 大成功の秘密

天一 16 大成功の秘密

 

 天一は、横浜で興行している際に、東京の新聞に自身の意気込みを広告スペースを使って大々的に述べています。大変に面白い文章です。が然し、余りに難しい漢文がたくさん出て来ます。現代の知識人が多くは英語を理解しているのと同じように、明治の知識人は漢文を知識の物差しと考えていました。そうした読者に照準を合わせていたようですが、然し、それにしても難しすぎます。当時新聞を読んでいた読者の一体何人がこの文章を理解できたのか、またあえてそんな文章を費用を支払って、新聞に掲載する理由があったのか。

 どうも天一は、興行で成功した後を考えていた節があります。天一は、「誰に評価して貰いたいのか」。をはっきり狙いを定めて東京進出を考えていたようです。無論お客様であるならどんな人でも来てもらいたいのですが、天一の本心は、

 知識人階級に、天一の舞台を見てもらい、仲間に広めてもらいたかったのでしょう。そうすることで、奇術と言うものが知的なものである。芸能として高尚なものであると言う評価を東京中に振りまいてもらいたかったのでしょう。

 このことは先に申し上げたように、中村一登久が、東京で成功して以後、決して良い仕事に巡り合えず、小屋掛けにとどまっていた姿を見ていて「あのやり方ではこの先の成功はない」。と考えていたのでしょう。そしてこれこそが天一の答えなのです。

 天一は、奇術師の文章とは思えないような、漢文どっさりの広告を出します。恐らく知り合いの漢文学者などに手伝ってもらったのでしょう。面白いので全文書きます、後で訳させていただきます。

 

 萬国第壱等世界無比

改良 大てじな興行

 予輩今回演スル西洋奇術ハ英国妖術博士(イギリスのマジック権威者)鉋富満(ホフマン)氏ノ盲体論魔術矩(モダンマジック)ノ実伝ナリ、予氏ニ従ヒ研究スル事積年、而(しか)シテ氏ハ予ノ黽勉屈撓(びんべんくっとう)セサルヲ賞褒シテ之ヲ授与スルニ至レリ、然リト雖(いえど)モ予之ヲ以テ未タ心ニ足レリトセス、尚遠奥(なおしょうおう)ヲ究(きわめ)ント欲シ、奮然身ヲ理化学ニ委ネ、思ヒヲ焦シ頭(こうべ)ヲ爛(ただ)シ尚蛍雪(なおけいせつ)ノ功ヲ累(かさ)ネ、奇々妙々千変万化ノ秘術ヲ発明スルヲ得タリ、

 今是ヲ諸方ニ施シテ世人ノ称賛喝采ヲ得タリ、現ニ横浜ノ如キハ大(おおい)ニ洋人(=西洋人)ノ褒賛ヲ得、͡滋(ここ)ニ興行スル事二カ月ノ長キニ及フト雖モ満場殆ント立錐ノ地ナク其ノ奇ヲ演シ術ヲ行フニ至ッテハ看客(=観客)ヲシテ拍手喝采手ノ舞ヒ足ノ踏ムヲ覚ヘサラシム、実ニ華胥仙界(かしょうせんかい)逍遥(しょうよう)スル疑ヲ起コサシム(後略)

 

 この後、自身の得意芸の火吹きのことを書いています。口から火を噴く姿が、会津磐梯山の噴火を思わせる、等と宣伝しています。この年に福島の磐梯山が噴火したため、それを奇術にくっつけて語っています。若いころ習い覚えた火吹きをこの時はまだ繰り返していたのです。他に、文楽座の入場料などをこまごま書いていますが、とにかく、前半の文章は驚きです。

 先ずモダンマジックを盲体魔術矩と書くことは、当時どれだけの人が読みこなせたか謎です。苦労して学ぶことを黽勉屈撓と言う人が当時の日本に何人いたでしょうか。途中、理化学に身をゆだね、と書いていますが、天一が理科学の研究をしていたかどうか不明です。火薬の調合や、小道具の制作は熱心にしていたでしょうが、それを拡大して言っているのでしょうか。

 そもそもホフマンと言う人は、モダンマジックと言うマジックの種の解説本を出した人で、アマチュア研究家なのですが、明治初年の日本ではこの本を奇術愛好家は有り難がって読み、ホフマンを神様扱いをしたのです。その人の所に行って、奇術を習って来たと言うのは天一の法螺です。この時点で天一はまだ海外に出てはいません。

 横浜の二か月間は、観客が熱狂し、拍手喝采の上、踊り出し、大騒ぎとなったと言っています。横浜の興行が当たったことは事実です。然し観客が天一の奇術を見て、熱狂して踊り出したと言うのは大げさです。然し、天一が何を東京の観客に伝えたかったのかは痛いほどよく伝わります。

 

 天一は、横浜を終えると10月には東京に乗り込み、文楽亭(座)の支度をします。そして11月1日。初日を迎えます。文楽亭の入場料は、下等8銭、中等15銭、上等30銭、と、半年前のジャグラー操一の興行と大差はありません。然し特別上等として、1円の席を設けました。これは大きなことでした。当時の1円は今日の2万円に匹敵します。警官の月給が8円の頃の1円です。簡単に出せるお金ではありません。

 「奇術の興行に1円なんて誰が払うんだ」。と鼻で笑っている関係者がいた中で、天一は強気です。きっと特別席が満席になると踏んでいたのです、実際、興行が始まると、黒塗りの馬車に乗って押し掛けるお客様が大勢来て、たちまち特別席は満席になりました。天一はしてやったりとほくそ笑んだでしょう。さてその演技は如何なものか、すみません、明日またお話しします。

続く