手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナの時代にどう生きる 2

コロナの時代にどう生きる 2

 

 昨日(2月1日)に、どんな状況であれ、常に人にマジックを見せ続けなければいけないと言う話をしました。もっと詳しく聞きたがる方が何人かいましたので、続編を書きます。

 コロナ災害に接して考えることは、いざとなると芸能と言う立場は脆(もろ)いと言うことです。どんなに実力があっても、収入を上げていても、知名度があっても、舞台に立ちたい、出演したいと思っても、先ず主催者に招かれなければ公演することは出来ません。その主催者も、劇場を借り、音響、照明を借り、司会者を借り、スタッフを借り、と、何から何まで借り物で寄せ集め、ショウを立ち上げます。ショウとはすなわち虚像のことなのです。そこに自分のものは何一つありません。

 そうした中で実と呼べるものは、当人の芸の力でしょうか。「自分を求めて人は必ず集まる」。と言えるタレントならなら大したものですが、実際公演してみるとさほどに受けなかったり、お客様の反応が今一つだったりすると、「一体自分のよりどころはどこにあるのだろうか」。と不安になってしまいます。

 全く、50年以上舞台に立っていても、少しも実のある芸を掴むことが出来ません。いや、芸とはそもそも実のないものなのです。舞台に立って、いつもの演技をしていても、長くやっているから何となく及第点を取って、かたちばかりのものを見せてはいますが、それでもお客様の気持ちを細かく掴んでいるかどうか、その実態はつかめていません。いつもひやひやしながら手探りで演じています。

 

 話を戻して、いつでも受け身で仕事を待っていると、ある日突然全くショウの依頼が来なくなります。私が経験した話で言うなら、昭和の天皇陛下が倒れられた昭和63年の夏から半年間。そして、バブルが完全に崩壊した平成5年から3年間。そして、令和2年から今にまで続くコロナ災害です。天皇陛下の時も、バブル崩壊の3年間の時でも、全く依頼が来なかったわけではありません。小さな仕事は来ていたのです。それが今回の災害は二重三重に舞台活動を圧迫しています。

 そもそもショウの依頼が発生しません。決まりかけると政府や、地方自治体が非常事態宣言をして止めてしまいます。GOTOキャンペーンもどこかに消えて行ってしました。それでも何とか公演の開催にこぎつけると、風評被害を煽るマスコミや、個人の監視員がいてお客様の足を遠ざけてしまいます。

 私の親父が昭和19年20年に、ギターを持って演芸をしに行こうとすると、表で国防婦人会や、憲兵に掴まって、「この非常事態に何をしているんだ」。とこっぴどく叱られたそうです。「いや、歌を歌ったり、ばかばかしいことを喋っているんです」。と言うと。「それなことをしていてアメリカに勝てると思っているのか」。と怒鳴られたそうです。親父はアメリカと戦う気持ちなどありません。戦って勝てる自信もないのです。面白おかしく生きて、人の喜ぶ顔が見たかっただけなのです。

 今の時代でも国防婦人会は存在しています。人のあら捜しをして大袈裟に騒ぎ立てています。さて、こんな時に我々はどう生きて行ったらいいでしょうか。

 実際舞台の収入は大きく減少しています。それでも全くないわけではありません。ほかに指導の収入などもあります。それを合計したものが年収です。これを基に生きて行けばいいのですが、それではあまりに受け身です。

 依頼を受けての舞台活動のほかに、私は、年間5本程度自主公演をしています。更に、毎月玉ひでの座敷で手妻を演じています。玉ひでは少ない人数の前で見せていますので、収入はわずかです。それでも収入があります。

 今の私にできることは、この自主公演の部分を充実させてゆくことだろうと思います。わずかでも収入になって、人前で演技ができるなら、そうした活動の場は増やして行かなければなりません。

 

 私は昔から噺家さんと付き合いがあり、噺家さんが日頃どういう風に活動しているのかをつぶさに見て来ました。彼らは、実に熱心にお客様を作る努力をしています。お客様にスポンサーになってもらうように事あるごとに働きかけます。そうして町の寿司屋さんや、蕎麦屋さんの二階で毎月一回、独演会を開催しています。場所は無料で借りて、来るお客様には蕎麦や寿司を食べてもらい、食事代プラスアルファー入場料を頂きます。入場料が、噺家の収入です。これはすなわち私が玉ひでで行っているシステムと全く同じです。

 独演会では、メインの噺家が二席話し、他に弟子や、仲間に出演してもらいます。至って小さな会ですが、仲間に依頼して、公演しますので経費はわずかです。噺ですから、音響照明もいりません。舞台もありません。座敷に座って話をするだけです。マジックで言うならクロースアップか、サロンマジックの規模です。

 とにかく経費を掛けないようにして、出演の場を維持して行きます。こうした話の会は、噺家たち殆どが持っています。古典落語と言う、なかなか一般のイベントには売りにくい芸能を、何とか維持するために彼らは地道な活動を続けているのです。

 私は、マジシャンも、こうした活動をして行くべきだと考えます。依頼された仕事だけをしていては、ある日仕事が途絶えた時に、全く先に進めなくなってしまいます。それがすなわち今のコロナ災害の現状です。そうなった時に、自分にお客様がいないことに初めて気づくようでは遅いのです。

 常日頃から、自分のお客様を作る努力をしておかないと、なん十年マジックをしても、何も実になるものが残りません。実とは何かといえば、何か自分で催しを開いたときに、10人でも20人でもお客様が集まってくれることが実です。

 そのために、常日頃から、マジックの会を開くことを心がけることです。マジシャンが毎月一本の自主公演を作り上げたなら、そこにゲスト出演するタレント二組も含めて三組のマジシャンが出演できます。それを100人のマジシャンが100か所の公演場所を作ったならば、毎月300人のマジシャンがショウに出演することになります。そうすると年間を通して3600人のマジシャンが出演の場を持つことになります。仲間同士ゲストになり合って活動して行けば、小さな仕事場ではあっても、確実に毎月何本か、出演の場ができるわけです。

 自主公演は収入としてはわずかなものですが、マジシャンが確実に人に見せる場を持っていると言うことに価値があります。「演じる場所がない」。「お客さんがいない」。と嘆いてばかりいないで、まず自分自身が出演場所を作り、お客様を作って行かなければ、誰も注目してはくれないのです。

 自分たちの活動の場は、自分たちで作らなければいけません。待っていても誰もマジシャンのために働いてはくれません。先ず、自分で自分の活動の場を作って行くのです。そうすれば、どんな災害があっても、不況が来ても、マジシャンは全く外部のイベント会社やマスコミに頼ることなく、活動して行くことが出来るのです。

続く