手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

天一

天一

 私は今から10年前に松旭斎天一の人生をまとめて、「天一一代」と言う本を出しました。日本の歴史の中で、最も成功した奇術師と言えば、江戸時代なら柳川一蝶斎、明治時代なら、松旭斎天一、大正昭和なら松旭斎天勝です。

 天勝は亡くなった後も、芝居になったり、小説になったりして、今日まで長く語られていますが、悲しいかな、他の奇術師は、誰も書こうとはしません。そこで私は手始めに、天一を調べ、天一の人生を一冊の本にしようと考えました。

 そして、資料集めのために天一の生まれた地、福井に何度も行きました。そのご縁で知り合った方々とは今も交流があり、年に一度、天一祭と言う催しを福井市内で開催し、私は毎年福井に出かけています。

 天一は自伝の中で、嘉永5(1853)年、「越前福井で武士の家に生まれた」。と言っていましたが、調べてみると、福井藩士ではなく、福井藩の家老、狛(こま)家の家来、牧野と言う家に生まれています。狛家は、大名町と呼ばれる大踊りの交差点、福井銀行本店の所に大きな屋敷を構えていました。

 そこで、日本奇術協会では、大名町に石碑を立てることにしました。今も福井銀行の玄関を出た左側の並木に天一の碑が立っています。奇術協会が石碑を立てたのはこれが後にも先にも初めてのことでしょう。

 牧野は、祖父も父も剣道の腕前が優れ、街なかに道場を開いていました。天一も、もし何事もなければ、親の道場を継いで、剣の道で生きて行ったことでしょう。ところが、天一5歳の時に何かの理由で父親海平が不始末をし、家は取り潰しになります。天一は後年、事件を、酒の席での失敗と言っていますが、本当のところは分かりません。

 ここから天一の長い流浪の旅が始まります。翌、万延元(1860)年、両親と天一、姉、それに叔父と妻、叔父の息子と妹の7人は、海平の弟が、阿波(徳島県)の鳴門で寺の住職をしており、その唯阿上人を頼って阿波に行きます。

 武士の家では、子供が多いと長男は後を継ぎ、あとは、養子に出すか、家に残って後継ぎの家来になるか、寺に入って坊さんになるかのいずれかを選択しなければなりません。唯阿上人は末弟でしたので坊さんの道を選んだわけです。

 阿波での生活は相当に厳しいものだったようです。寺としても、自分たちが生きて行くのさえギリギリの状況だったと思いますが、親戚だと言う理由でいきなり7人もの人が増えたのではどうにもならなかったでしょう。翌年には貧困の中を母親の音羽が亡くなり、更に翌年に父親が亡くなりました。天一のみがすくすくと育ったのです。

 天一は唯阿上人から読み書きを習い、一通りの教育を受けます。勉強のできる子供だったようですが、無類のいたずら好きで、しかもそのいたずらが度を越していました。

寺の本堂に屋根に上がって、棟瓦の上で逆立ちをして見せたり、仲間の坊主と一緒に、弘法大師の真似をして、鳴門の海沿いの絶壁にある洞穴に籠って断食をして見たり。

面白がって始めた断食でしたが、食べ物もなく、空腹で動けなくなり、あわや命を落とすところまで行きました。

 そこを漁師が船を漕いでいると、風に乗って鐘の音がしました。そのわずかな音に誘われ、洞穴から天一を救出して、寸でのところで助かりました。

 この時代にお陰参りと言うものが流行し、空からお札が振ってきて、村人がそれを見つけると、「それ神様のお告げだ」。と言って、「えぇじゃないか、えぇじゃないか」。と踊り出し、村人がそっくり一文の金も持たずに、伊勢参りに出かけてしまいまうと言う、何とも無謀な信仰が日本中の流行になって、街道と言う街道にお陰参りの一行が連なるようになります。

 その噂を伝え聞いて、天一はこれは面白いと、お陰参りを試してみようと考え、先ず白い着物を自分で縫い、狐の仕業に成りすまし、本堂の屋根から、自分で書いたお札を撒きます。お札だけでは信憑性が薄いのではないかと余計なことを考え、賽銭箱から小銭を盗み、銭まで撒きます。すると、お参りに来た村人がそれを拾い、驚いて、「それ、神のお告げだ」。と大騒ぎを始めます。

 唯阿上人は、自分の寺でお札がまかれると言うことを怪しみ、これは日ごろ屋根に上がって逆立ちをしている天一の仕業と推測し、天一を捕まえて白状させます。こうした悪さが繰り返されて、ついに唯阿上人は持て余し、天一を勘当します。これが天一13,4の頃です。

 ここからは、「新古文林」と言う雑誌に、天一自らが半生を書いたものがあります。天一自身が語ったものを文章にしたため、内容は怪しい部分がたくさんあります。然し読み物としてはまことに楽しいものです。以後、天一は托鉢坊主に化けて日本中を旅することになるのですが、すみません。今日は玉ひでの公演があって、もうじき出かけなければいけません。天一の度はずれた修行はまた明日。

続く