手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

虎屋の羊羹

虎屋の羊羹

 

新年会

 一昨日は、恒例の新年会を中止し、代わりに、大樹と、石井裕と、前田と私の4人で、寿司屋で一杯やりました。それぞれの顔を見て、コロナの状況下でも、何とか生きて行っているようで安心しました。

 全く、年末のパーティーも、新年のイベントも発生しない状況では、マジシャンが生きて行くことは難しく、誰もが苦しんでいると思います。この先もしばらくは展望はないだろうと考えると、お先真っ暗です。私にもう少し力があれば、仲間を助けてやれるのでしょうが、今は自分が生きて行くことでやっとです。

 昭和の天皇陛下が倒れられたときも似たような状況でしたが、それでも半年のことでした。平成になったとたんにたちまち舞台仕事は復活して、山のように依頼が来たのです。平成5年以降にバブルが弾けたときは、大きく生活の仕方を変えなければなりませんでしたが、それでも、舞台の依頼が一本も来ないと言うことはありませんでした。神戸の震災の時も、東日本大地震の時も、仕事は大きく減りましたが、全く舞台がないと言うことはなかったのです。

 今回のことは、人生の中での最大の試練になるかもしれません。

 

虎屋の羊羹

 石井裕が土産に虎屋の羊羹を持って来てくれました。虎屋の羊羹は最高級の羊羹です。羊羹が二竿箱に収まって、羊羹自身は竹皮に包まれています。恐らく数百年前からこの姿なのでしょう。江戸時代は砂糖が入手しずらく、砂糖をふんだんに使った羊羹は超高級品で、羊羹一本が一分(現在の25000円)、したとか、江戸の一流菓子屋の鈴木越後では二分(50000円)したなどと聞いています。

 当然、庶民の口に入るものではなく、生涯に一切れでも食べられたなら最高の幸せと言う位の菓子です。虎屋は今も相変わらず高級品で、先ず重さが違います。通常の羊羹よりもずしりと重いのです。1.5㎝に切って、二つ、皿にのせて出てきたものを、フォークで切って食べますが、なかなか切れません。がっしりと固まっていて、簡単にフォークが入らないのです。それを一口舌の上に乗せ、ゆっくり味わいますが、黒砂糖の甘みが強く、それでいて小豆の香りがしっかりと感じられます。夜の梅、と、竹皮に書かれています。これは漆黒の羊羹にうっすら小豆の粒が見えるところが、夜に眺めた梅の花にたとえて名付けたものと聞いています。

 私は最近アルコールをあまり飲まなくなったため(本当は飲みたいのですが)、甘みを欲するようになりました。

娘のすみれと、女房の和子と、一緒に羊羹を食べて、ひと時の幸せを楽しみました。裕に感謝。

 

 さて、今日は、内視鏡の打ち合わせで、再々慈恵医大病院に行きます。才蔵のことなど書きたかったのですが、時間がありません。また明日にします。

続く