手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

生贄作り

生贄作り

 さて、世の中は、不思議なことが次々に起こります。医師がテレビで度々、「医療活動が限界にきている」。と言います。本当でしょうか。コロナウイルスが突然今、爆発的に増えたのならそれも理解できますが、既に1年もコロナが蔓延していて、それに対して国が10兆円もの緊急予算を出していながら、病床数も、看護師、看護婦も増えず、緊急医療センターもできないのはなぜなのですか。

 「看護師、看護婦はいきなり増やせない」。と言うでしょう。そうなら、定年退職した看護婦や、看護師に声をかけて、職場に復帰して貰ってはいかがですか。1000人や2000人は増えるのではありませんか。問題を国民に問うのではなく、根本は医師の活動の仕方にあるのではないですか。それを国民に押し付けて、医療崩壊だとを煽られても、国民は何をどうしてよいのか、首をかしげてしまいます。

 同時に、こうした事態に至ったなら、ウイルスに特化した看護師、勧募譜を緊急に養成し、その間の受講生の生活の面倒を国が見て、5千人でも1万人でも看護師看護婦を養成してはいかがですか。

 アメリカは日本の数十倍の感染者がいて、対応しているではありませんか。なぜ日本がアメリカよりもはるかに小さな数の感染者の対応ができないのですか。 

 そもそも、感染者の数を増やしているのは、GOTOキャンペーンと飲食店ホテルでしょうか。GOTOキャンペーンをやめても一向に感染者が減らないのはどう言う理由ですか。感染源をデーターにしたグラフを見ると、感染者が圧倒的に多いのが、会社、病院、学校、自宅、です。飲食店、ホテルはそれよりずっと少ない数です。

 実際、冷静に考えたなら、一時間、二時間飲食をすることよりも、同じ会社で何百人もの社員が8時間以上も同じ部屋にいるほうが、はるかに感染率は高まるはずです。同様に病院であり、学校です。自宅然りです。

 マスコミは、コロナウイルスが増えると、真っ先に飲食店を攻撃します。わずか10坪程度のバーや、レストランに出かけて、カメラをオーナーに向けて、なぜ自粛をしないかと攻め立てます。正義はテレビ局にあります。言われたオーナーは苦しそうに、自粛を了解しつつ、「このままでは店がつぶれます」。と嘆きます。

 その嘆きにテレビは耳を貸しません。あくまで自粛を守らない飲食店を犯人に仕立てて、正義を突きつけ、自分が正義の味方になって攻め立てます。かくしてテレビ局は、飲食店がつぶれて行くであろう行為を放送し続けて正義を語ります。それを番組の、居並ぶタレントがお追従で同調します。毎朝、毎日同じストーリーが流されます。誰一人正義の陰で涙を流している人は助けません。

 テレビは、決して院内感染を特集しません。大会社の社内も感染源であることを特集しません。何よりも、山手線や中央線のラッシュを感染源と語ったことは一度もないのです。マスコミが公平であるなら、10坪の飲食店と、山手線の車両とどちらがコロナの感染者を増やしているのか、明らかにすべきです。

 医師によっては、「電車バスなどでの移動手段での感染者は少ない」。と言う人がいます。そうならGOTOキャンペーンはどれほど影響があるのでしょうか。ほとんど影響はないのではありませんか。無理無理GOTOキャンペーンを止めさせたのは、政治の圧力ではないのですか。全く不可解です。

 結局、コロナウイルスは、ニュースにしていい人たちと、ニュースにして流してはいけない人たちがいるようです。

 かつて、コロナが流行り始めた時には、真っ先にホストクラブが叩かれました。今考えたならおかしなことです。日本でホストクラブが与える影響などと言うものは微々たるものです。それが今年の初めは、まるでコロナの感染源であるかのようにホストたちが叩かれまくったのです。私はそれを見て、「立場の弱い人と言うのはこうまで叩かれるのか」。と思いました。然しそれも沈静化しました。話題が飽きられたのでしょう。もうニュースとしての面白みはなくなったのです。興味本位で生贄にされたのです。

 そしてライブハウスです。わずか30人50人しか入らないようなライブハウスが、まるで悪の巣窟のようにマスコミは叩いたのです。多くのライブハウスはあえなく倒産、休業です。本来被害者であるはずのライブハウスが生贄になりました。

 次は小劇場です。50人100人と言う零細の劇場からクラスターが起こったとして、俳優から演出家、作者、劇場に至るまで、テレビカメラが執拗に追い続け、彼らに謝罪させたのです。不思議な話です。なぜこの芝居に出演していた役者が謝らなければいけないのでしょうか。なぜ作者が謝らなければいけないのでしょうか。彼らこそ被害者だったのではありませんか。それを追い続けるテレビカメラはなぜそんなことをするのですか。抵抗のできない弱者を生贄にすることがニュースですか。

 

 そして今は宴会に出かける政治家を攻め立てています。10人20人の宴会に出たか出ないかで執拗に攻め立てています。コロナと飲食との因果関係など曖昧なまま、テレビ局は正義を振りかざしています。

 その結果が、年の瀬に来て自殺者の増加です。誰が自殺に追い込んだのですか、テレビはまったく自然現象のように自殺者を報道しています。これは自然現象ですか。飲食店を執拗に攻め立てて、休業に追い込んだのは誰ですか。

 自殺して行く人の多くは、パートで働く女性や若者の男性です。彼らはなぜ死ななければならなかったのですか。飲食店が休業すれば、そこでわずかなパート収入で働く人たちは失業します。彼ら彼女らには家のローンや、学費のローンがあります。それが一瞬にして返済不可能になります。一度無収入になれば、借金の返済は容赦なく押し寄せて来ます。弱者はそれに抗することが出来ません。

 私は半年前に、「こうしてこうすりゃこうなることと、知りつつこうしてこうなった」。と言うタイトルでブログを書きました。このまままでは年末には死者がたくさん出ると申し上げました。ガースーさんはそれを知っているからGOTOキャンペーンの中止を渋ったのです。然し、マスコミや医師がGOTOキャンペーンを叩きまくってやむなく中止をしました。結果は、コロナ感染者は増え、自殺者も増えています。

 もう一度申し上げます。コロナはワクチンや特効薬が出ない限り減少しないのです。自粛によって一時的な減少はあってもそれは見せかけです。結局、政治家も医師もコロナの前には無力、無策なのです。策がないから「出るな、歩くな、家にいろ」。と言います。それで国民は生きて行けますか。今しなければいけないことは、一時しのぎの政策を打つよりも、国民に普通の生活を求めることです。初詣、結構です、温泉旅館、いいじゃないですか。忘年会、新年会、是非やるべきです。

 手洗い、マスク、消毒を守って、アクリル板で囲いまでしているレストランは、山手線に乗るよりも衛生的です。それを生贄にするのはおよしなさい。20人の宴会に出た政治家が謝罪しなければならないなら、山手線から降りてきた乗客は全員謝罪しなければならないはずです。勤め人が満員電車に乗らなければ生活して行けないように、政治家はこまめにパーティーに出なければ、選挙民の心をつなぐことは出来ないのです。勤め人も政治家も互いに生きるためにしていることです。アンバランスな報道はおやめなさい。不確実な推測で他者を責めることはおよしなさい。

 社会全体がヒステリーになって、身近な人を生贄にすることに躍起になっています。幾ら人を攻め立てても、コロナ感染は収まりません。当然です。原因はコロナにあって、人ではないからです。感染者が1000人になろうとも、このまま生活して行く以外生きる道はないのです。

続く