手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

胃カメラの体験

東さんとの会話

 毎月一二度、東さんに電話をして、色々な話をします。私の将来のこと、奇術界のこと、様々な話をします。コロナ騒ぎで世界中のマジシャンが凍り付いたように身動きできなくなっています。何かいい解決策はないかと思いますが、解決どころか、どうにも悪い方向に進んでいるらしく、明るい話題は程遠いようです。

 私の玉ひでの活動や、若手の指導は可能性があると言って東さんは評価してくれています。それは有り難いのですが、まだまだ何一つ成果につながってはいません。これが花開くためには、コロナが解決されないことにはどうにもならないと思います。何もかもコロナが発展を止めています。

 

胃カメラの体験

 このところ大腸がんの内視鏡を入れたり、胃カメラを呑んだり、全く病人の生活を繰り返しています。それでも今まで病院にほとんどお世話になっていませんでしたので、「今度はどんなことをするんだろう」。と内心楽しみに出かけました。

大腸癌とは違い、胃カメラは、前日から食事を制限されることはありません。当日(22日)、の朝、絶食をするのみで、病院に行きます。8時30分に世田谷医療センターに行き、先ず、胃の洗浄薬と言うものを飲みます。待つこと10分で問診を受けます。そして、透明でどろりとしたゼリーのようなものを口に含みます。3分、口の奥に入れたままじっとしています。

 3分すると時計が鳴って、「はい、飲んでください」。と看護婦さんに言われます。フルーツの香りのする液体ですが、妖しげな飲み物です。飲みながら、口の中に張り付いて来て、何となくしびれて来ます。「なるほど、これは麻酔だ」。麻酔が口から喉に、徐々に効いてきます。これは喉の奥に張り付いて粘る麻酔薬です。時計を見ると、8時50分でした。

 それから寝台に寝て、左腕に麻酔の注射をしたのですが、それから看護婦さんに揺り起こされるまで何も意識がありませんでした。胃カメラを呑んだ記憶もありません。時間は10時30分でした。起こされて先生に胃カメラの結果を聞くのですが、どうも私は麻酔が効きすぎたらしく、眠くて仕方がありません。

 結果は小さなポリープはありましたが、取るほどのことではなく、別段大したことはなかったようです。但し、「一年に一度くらい胃カメラを呑んで、検査をするとよいでしょう」。と言われました。「いやぁ、毎年一度胃カメラを呑むのはつらいなぁ」。と思いつつ、健康を思えば仕方ないと考え直し、そのようにすることに決めました。

 

 12時過ぎに医療センターを出て、梅が丘駅前の日本蕎麦屋に入りました。色々食べたいものはありますが、食べるものは柔らかいもので、脂を使ったものはだめだと言われましたので、冷たいとろろそばを頼みました。

 味は可もなく不可もなく。但し空腹だったうえに、町の蕎麦屋さんですから、蕎麦の盛りが多く、ボリュームで満足しました。考えて見たなら、子供の頃に食べた蕎麦もこんな感じのものでした。蕎麦の香りがどうの、つゆの返しがどうのなどと能書きを垂れることはありませんでした。ただつるつるとそばを食べて、腹がいっぱいになったならそれで満足でした。

 梅が丘駅のホームのベンチに座っていると、日差しが温かく、何ともいい気持ちです。次の電車が来るまであと7分。持ってきた単行本を読もうかと思いましたが、どうも気持ちが集中しません。眼鏡を出して活字を読もうとするのですが、頭に入りません。その内、つい、うとうととして来ました。はたと気づくと、一時間もうたた寝をしていました。

 病院にいるときから、麻酔が効きすぎて眠くて仕方がなかったのです。「ここで寝たらまずいなぁ」、と思いつつ眠ってしまいました。実はこのあと、アトリエで二人指導をしなくてはいけません。時間を見ると二時です。まだ十分間に合います。

 急ぎ自宅に戻り、指導をして、夕方、少しデスクワークをしようと机に向かったのですが、ここでも集中ができません。ついつい寝てしまいました。起きたら夜の8時です。結局大した仕事もせずに一日が終わりました。

 ダイニングに上がると、女房は外出して、食事だけ置いてありました。日頃、私の健康を気遣ってか、繊維質の野菜ばかりで料理をしてあります。然し、今晩は、繊維質の野菜はだめなのです。胃が弱っていますから、やわらかいものでなければいけません。レンコン、ダイコン、ニンジン、ブロッコリー、どれも胃にあたります。これらのおかずはすべてパスしました。

 カレイの煮つけがありましたので、カレイを一匹食べました。身は中くらい、子供が付いています。これはなかなかの味です。飯は、水を多めに入れて、電子レンジでお粥を作り直しました。子供の頃に母親に毎日のように食べさせられた、緩い飯を思い出しました。母親は自分が胃が弱いものですから、毎日の飯がお粥のように柔らかかったのです。あれはまずい飯でした。あの飯をここで食べるのは情けないと思いましたが、よく考えて見たなら、今の私は胃を病んでいるわけです。ちょうどあの頃の母親と同じです。そうなら粥飯もやむなしと思いました。

 カレイだけではおかずが寂しいと思い、生卵をかけて食べることにしました。然し粥飯に生卵は旨くありません。ぐちゃぐちゃの所にどろどろの卵です。なんとも味わいに欠けます。しかし致し方ありません。こんな日があってもいいのでしょう。

 このj日は、自分がこなさなければならない仕事の半分も出来ずに一日が終わってしまいました。「なんだ、自分は、この程度の仕事しかできなかったのか」。と反省することしきりです。私はもっともっとバリバリ仕事が出来て、どんどんやりたいことを前向きに解決していける人間だと思っていたのですが、物を食べて寝ているだけで一日が終わってしまいました。情けない一日でした。