手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジシャンを育てるには 11

どうした日向大祐

 昨日、驚愕な事件が入って来ました。共にマジック活動をしている日向大祐さんが、学習塾で指導をしている際に、女子生徒のスカートの中を盗撮したとして逮捕されたと言うニュースが流れました。当人もそれを認めているそうです。

 私もニュースを読んだだけですので、相手のあることですから、ここで私のコメントは申し上げません。事象のみ申し上げます。このため今週、土曜日の玉ひでの日向さんは休演とします。仲間が一人減った分、前田が和洋両方の演技をいたします。

 玉ひでは6月の開始以来、ずっとザッキーさんと日向さんが出演していました。日向さんの演技にも少し幅が出来て来ましたし、喋りがこなれて来て、「よくなって来たなぁ」、と思っていた矢先の出来事でした。これまで渡部健さんの事件などを他人事のように見ていましたが、身近に事件が起こるとは思いもしませんでした。起こってしまった問題はどうすることもできません。この上は、次善策を立てて、周囲が収まるように工夫をしなければならないでしょう。来年こそは良き年になることを、マジシャンの仲間として願っています。

 

マジシャンを育てるには 11

 プロマジシャンになるには、別段ライセンスはありません。名刺にプロマジシャンと書いて、関係者に配ればその日からプロです。実際そうしたプロマジシャンは大勢います。然し、それで、他の仕事をせずに、かかってくる電話だけで10年でも20年でも生活できるかどうかです。

 プロだと言っていても、収入になる仕事が年間5本10本ではプロと言えるでしょうか。時々でもテレビ局から出演依頼が来るでしょうか。仲間内が認めるような、大きなタイトルを持っているでしょうか。いや、今は信用も、タイトルもないとしても、日々生活していく中に上昇志向があるのでしょうか。

 取り合えず仲間のつてで、週末のレストランなどでショウを見せているとしても、そこから脱却して、もっともっと大きく活動をして行く意思があるのでしょうか。意志があるなら、今現在、そのための技術は磨いているのでしょうか。

 確かに日々日当を貰い、人前でマジックを見せているならプロではあります。然し、それはプロマジシャンの入り口に立ったにすぎません。そうした仕事を3年、5年と続けて行くうちに、本当になりたかったマジシャン像をどこかに置き忘れて、だらだらとした生活をしてはいませんか。

 プロとは何か、と私が問われたときには3つのことを話します。

 

1、代わりの利かない人

 私とマギー司郎さんとナポレオンズさんは45年来の友人です。この三組に共通することは、代わりが利かないことです。マギーさんが体調を崩したとして、代わりに私が行っても代わりになりません。私が休演して、代わりにナポレオンズさんが来ても代わりになり得ないのです。それぞれのスタイル、演技が違いますし、それぞれに固いお客様がいますから、他のマジシャンが来てもお客様は納得しないのです。

 私はその人独自の世界が作り出せる人こそプロだと思います。「同じ現象を演じてもあの人が演じると深みがある」。「どこか他のマジシャンと違う」。「あの人の話は聞いているだけで心地よい」。そんな風に言われるには、一つや二つの発見だけでは到達しません。人には言えない苦労の末に芸の奥を見つけ出さなければ、人を超えて存在することは出来ないのです。自分しかできない、表現できない世界を作り上げる。それがプロです。

 

2、前を向いていること

 生きている限りは変化して、前に進んでいることです。途中で進歩が止まると、急激に演技の輝きが消えて行きます。

 私が30代の時に、先輩に尋ねました、「この先どんなことをしたいのですか」。すると先輩は、「まぁ、これまで作り上げたものがあるから、それを演じるだけでも生きて行けるかなぁと思っている」。と言ったのです。この時私は心の中で、「きっとこの人を後悔させてやる。そんな安易な生き方でマジシャンが成り立たないことを私が教えてやる」。と決意しました。

 若手にそんな闘志を抱かせてしまう先輩と言うのはだめな人です。前に進もうとしない芸人は、命があってもマジシャンとしては死んでいるのです。そんな人はいつしか大きな仕事が遠ざかって行き、期待されないマジシャンになって行きます。

 自分の手順をよくよく見ればおかしなことばかりしています。それを直したいと思いつつも、自身に技量がないために何十年も下手を繰り返して、進歩が止まっているのです。それを内心恥じて、いつも気にかけて、何か閃(ひらめ)いたらすぐに改める、そんなことを繰り返していなければ、プロたり得ないのです。本当のプロとは今の姿ではなく、明日の自身の姿だと知ることです。

 

3、志を持つ

 自分が目を閉じて、10代の頃、20代の頃を考えて見ることです。一体自分はどんなマジシャンになりたかったのか。そして、今の自分はそれを達成しているのか。

 達成していないとするなら、なぜ達成できなかったのか。何が欠けていたのか。今、仮に自身に足らなかったものが突然現れたなら本当に自分の夢が実現出来ますか。例えば資金、技術、閃き、支援者、そうしたものが現れたらたちまち解決しますか。

 いやいや、日々、だらしなく酒を呑んでいたり、昼まで寝ていたり、やるべきことを後回しにして10年20年生きて来てしまってはいませんか。資金がない、支援者がいない、技術がないと言い訳しているうちに、自分はどんどん、どこにでもいるようなマジシャンに落ちて行きます。

 結局足らないのは金でもなければ支援者でもなく、自身の志なのではないですか。人のやらないことを恐れずにやってみる。人が「そんなことをしていても稼げない」。と言って、否定するようなことでも諦めずに、答えが出るまでやり続ける。そうした意志が欠けているのではないですか。

 スライハンドにしろ、クロースアップにしろ、手妻にしろ、強い意志を持って活動する人でなければ、この社会にいても、いないのと同じです。意志のない人を誰も支援してはくれません。名刺にプロと書いてそれでプロになれるわけはないのです。

 

 プロをプロとして認めてもらうには、お客様に愛されなければ長く生きて行くことは出来ません。プロを認めるのはお客さまであって、マジシャンではないのです。

 ではお客様はどんなマジシャンを求めているのか、お客様と言うのは自分で世界を描き切ることは出来ません。お客様が漠然と求めている世界を形にしてくれるマジシャンを求めているのです。いつもお客様の心の中にある漠然とした夢を考えてくれて、見るたび少しずつ前に進めてくれるマジシャン。お客様はそんなマジシャンと一生付き合いたいと考えているのです。

マジシャンを育てるには 終わり