手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

スライハンドはなぜ売れぬ 5

糖尿病の検査

 今朝は月に一回の糖尿病の検査がありました。そこでいろいろ気になる問題が発生しました。詳しいことはまた後日お話ししますが、これまで入院とか、重い病気に罹ったことのない身としては、病気は気になります。然し大したことにならなそうですので、よかったと思います。

 

テレビ撮り

 今日は浅草でテレビ撮りをします。夕方に蝶を演じます。そして深夜に水芸を和田奈月が演じます。その監修を私がします。そのため、午後から深夜まで浅草の東洋館に張り付くことになります。昨日蝶の稽古をしました。何千回と演じている蝶ですが、稽古をすると身が引き締まります。

 水芸は奈月と、前田将太がいたします。私は一切舞台には現れません。巧くやってくれることを願っています。

 

関西指導

 明日(7日)は、富士、明後日(8日)は名古屋、明々後日(9日)は大阪の指導です。また3日間東京を離れます。もうこうした活動が10年以上続いています。各地で私を支持してくれる人がいることに感謝を感じています。

 

 スライハンドはなぜ売れぬ 5

短距離走者とマラソン

 私が、スライハンドは7分の演技では売れない。30分のショウを作らなければだめだ。と言っても、スライハンドマジシャンはおいそれとは動きません。それはある意味やむを得ないことです。と言うのも、彼らはこれまで、演技を凝縮して、密度の濃い内容にすることで手順を作ってきたのです。それを30分の演技にしろと言うのは、全く別の考えでショウを作らなければならなくなるからです。

 例えて言うなら、短距離走者にマラソンを要求するようなものです。同じ陸上競技ではあっても、短距離とマラソンでは両極の技です。然し、芸能で生きると言うことは、この矛盾を受け入れられる人のみが生き残れる社会なのです。以前に私が書きました。「やりたいことのみの仕事なんてないのです。やりたいこともやりたくないこともできて仕事です」。

 役者をしていた人が司会者になったり、お笑い芸人がレポーターになったり、元々彼らが求めていた仕事とはかけ離れたところで人気を維持している人はたくさんいます。

 実際自分自身が何に向いているかと言うことは、自分ではよくわからない場合が多いのです。それを、ただ一度、マジックのコンテストで入賞したと言う実績を拠り所に、自分のスタイルを作り上げ、その中だけで生きようとするのはあまりに視野の狭い生き方ではないかと思います。

 今ここで話していることは、レポーターをしなさい。司会をしなさい。と言う話ではないのです。演技の枠を広げて、自分自身を多面に眺めて、別の角度からマジックを作って見なければ先がないと言っているのです。

 そうでないと常に、タキシードを着て、嫌味のない、居てもいなくてもどうでもいいような好青年を演じ続けなければなりません。自身のある一面だけを見せて、嫌われない程度に人に認めてもらい。小さなポジションを手に入れてそれを固守する。そんな役どころで30年も40年も人に愛され生きて行けるわけはないのです。その生き方では人の見方が浅すぎます。人の魅力はもっと起伏が激しいはずです。もっと自分自身は多様で多面なはずです。それらを客観的に見つめて表現するのが芸能です。

 スライハンドマジシャンは、芸能の世界で生きて行く上であまりに初心(うぶ)な人が多いようです。初心と言うよりも素人なのかもしれません。私はそろそろ本気で芸能の世界で名を成すスライハンドマジシャンが出てこないかなぁ。と思っています。

 

成功のチャンスはある

 私はきっちりとした30分手順を作り上げたスライハンドマジシャンが出たなら、十分売れる可能性はあると思います。日本全国の市民会館を次々に公演してゆくことも不可能ではないと考えています。

 その理由は、大学のマジッククラブが、どこももう50年以上も活動を維持していることです。彼らのOBの数を合わせれば日本中に数万人のマジック愛好家がいることになります。大学マジッククラブのOBはすなわちスライハンドマジックの愛好家と考えてもいいと思います。

 その中には自営業も会社経営者もいるはずです。そうした人たちと巧くつながればいい支持者が集まるはずです。要は魅力あるスライハンドマジシャンが一人でも現れれば、一遍に日本中のマジック愛好家の輪ができると思います。

 そうなれば市民会館で年間50本も70本も公演することは不可能ではありません。日本中でマジックショウが開催できます。条件の悪い仕事場で角度に悩む必要もなければ、仕事の少ないことを悩む必要もありません。マニアばかりを相手にして、コンベンションで小道具を販売する必要もないのです。常に舞台に出ることで安定して生活をして行けます。要は、社会人が見るに堪えうる、中身の濃いマジックショウを提供できれば、マジシャンは生きて行けるのです。

 その中でもスライハンドマジックは、技巧を前面に押し出し、ストーリー性を加味し、センス良くまとめ上げれば、多分に芸術的要素が生まれて来るでしょう。俗に走らず、奇抜を追わなければ、きっと多くの人に支持されるはずです。

 要は、誰がその人となるかだろうと思います。

スライハンドはなぜ売れぬ。終わり